第13話
学び舎の門をくぐって外に出た。部活仲間の二人と別れて帰途につく。
退部代行の仕事は基本暇だ。生徒が部活を辞めることは頻繁にあるイベントじゃないし、代行を依頼するほど切羽詰まっている人はもっと少ない。
加えて退部代行部の存在をよく思わない人は多い。周りの目を気にした利用者がやっぱりやめる! なんて心変わりしたケースもある。俺が悩みごとを抱えて通学路を逆行することはめったにない。
今日は珍しくその例外に当てはまる。慣れないことをしているせいか、気付くと時間が数秒飛んだみたいに移動している。
帰り道を間違えて違う道に入った。せっかくだからと足を進めてショッピングモールに足を運ぶ。
下校時刻が過ぎても人は多い。仕事帰りの社会人やカップル、目を凝らすと制服をまとう人影もある。
一人の俺に長居は不要だ。すれ違う人影を目尻に流して大きな建物に踏み入り、スーパーを目指して廊下の床を踏み鳴らす。寄り道せずスーパーの食材置き場へと突き進んだ。
「ん」
視界に見知った人影が映った。艶のある長髪が揺れて、顔に貼り付けられた微笑が露わになる。
作り笑いの正面に立つのは頭一つ高い少年だ。見覚えのない顔が涼乃に対してぺらぺらとしゃべっている。
仲睦まじく、というふうには見えない。
俺は逡巡した末に靴裏を浮かせた。
「あれ奇遇じゃん! 浅霧もここで買い物か?」
声を張り上げた甲斐あって二人が振り向いた。
二つの顔がきょとんとしたのは一瞬のこと。浅霧の表情に微笑みが浮かんだ。
「蕪木遅い! 約束したのに私を待たせるなんていい度胸ね!」
隣にいる男子には目もくれずに涼乃が迫る。
俺は思わず首を傾げた。
「待たせるも何も、俺たち待ち合わせなんて痛ったッ⁉」
右足を踏みしめられた。端正な顔立ちが俺をひとにらみし、すぐにまた微笑を貼り付ける。
「やだー休み時間に勉強教える約束したじゃない。さあ行きましょう。時は金なりよ」
「おい待てよ、さっきの話は!」
「すみません先輩。先約があるのでまた今度お願いします」
じゃ。涼乃が言い放って俺の手首を握った。心なしか握る力が強い。余計なことは言うなという脅しか。
涼乃に手を引かれて歩くなんて男子の大半が喜びそうなシチュエーションなのに、全然まったくこれっぽっちも嬉しくない。さながら今の俺は人型脱出ボタンだ。物は歓喜なんて覚えない。
長々と廊下の床を踏み鳴らしてエスカレーターに運搬される。
上の階の床に靴裏を付けてようやく手首を解放された。
桃色のくちびるから小さなため息がこぼれる。
「ため息つきたいのは俺の方なんだけど」
「仕方ないでしょ。ちょうど通りかかった自分を恨んでよ」
「無茶言うなぁ。大体なんでこんな時間にモール来たんだよ? どちらかと言うとそういうのを
「お母さんに買い物を頼まれたのよ」
「じゃあ買い物しに来たらばったり会った感じか」
「ええ。あいさつされたから軽く返したんだけど、それからあの男にずっと付きまとわれてたの。どうして察してくれないのかしら」
口調に微かな苛立ちが混じる。
あの男とはまたひどい言われようだ。涼乃の迷惑を気にせず言い寄っていたし、そりゃ嫌われもするだろうけど。
「じゃあ俺は買い物あるからこれで」
俺はため息混じりに告げて身をひるがえす。
買い物に来たのは俺も同じだ。無理やり引っ張られたからスーパーで買い損ねたし、下に続くエスカレーターを探さないと。
「ぐえっ⁉」
「何するんだよ!」
「蕪木こそ何するつもりなのよ⁉」
「スーパーで買い物だよ」
「私一人置いていく気? 信じらんない」
「ちゃんと助けただろ」
「まだ助かってないわよ。下に行ってあいつに見つかったら嘘がばれるじゃない」
「ばれないだろ。用事思い出したとか適当にでっちあげればいい」
「それであきらめるとは限らないでしょう?」
さすがにあきらめるだろう。恋仲や友人じゃあるまいし、帰り道送るよとか言い出したらいよいよやばい奴だ。その時は背中を向けて全力で逃げればいい。ここは人が多いし、大声を出せば正義感強めの人が動いてくれるはずだ。
そんなこと、涼乃が理解していないとは思えない。思考に少なからずズレを感じる。男子に絡まれたから感情的になっているのだろうか。あるいは、俺が当事者じゃないから理屈っぽく考えすぎているのか。
分からない。ついさっきまで考えごとをしていたから頭が疲れている。
糖分の重要性。思考を効率させるためにも何か口に入れていこう。
「じゃあどこかで飲み物おごってくれよ。しばらくは一緒にいてやるから」
「分かった。その代わり三十分は付き合ってもらうからね」
交渉成立。俺は涼乃と肩を並べて通行人とすれ違う。
この時間帯はそこそこ人が多い。相席を取れるか不安だったけどちょうどテーブルが空いた。
運の良さに感謝して店内の床を踏み鳴らし、椅子に腰かけて涼乃と同じテーブルを挟む。メニューブックを開いて写真を
「このミレニアムジャンボも頼んでいい?」
「だめ」
俺はしゅんとして店員にカフェオレを注文した。去り行く背中を見届けて通学カバンの中に腕を突っ込む。
「そうだ、一応報告しとく。潜入上手くいったよ」
「潜入って?」
「お昼休みに話しただろ?」
涼乃が目を丸くした。
「もしかして部活に潜入する話?」
「それ以外に何があるんだよ」
「嘘でしょ? たったそれだけのために変装して潜入したの?」
「した」
涼乃が固まる。
一泊置いて小さく吹き出した。
「こら笑うな」
「だって、探るためだけに普通そこまでする?」
「必要ならみんなするだろ」
「しないわよ。誰が裏取りのために変装して部活動に参加するのよ? スパイじゃあるまいし」
こらえきれないとばかりに涼乃が小気味いい笑い声を上げた。近くのテーブルから視線を振られて、耳たぶが焚火であぶられたように熱を帯びる。
「うるさい、笑いすぎだろ周りに迷惑だ」
「だって面白かったんだもの。蕪木って時々愉快なことするわよね」
「ひどくない? 俺大真面目だったんだけど」
「大真面目にそういうことするから面白いんだって」
整った顔立ちが一息ついて微笑みを浮かべる。やわらいだ表情からは、先程まで残っていたツンの気配が消えている。
すっかりいつも通りになった涼乃と三十分ほど勉強を教え合った。
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