第12話


 下校時刻を迎えて、俺は文芸部の部室を後にした。お手洗いで眼鏡とヘアピンを取り払い、真の姿に戻って退部代行部の部室に立ち寄る。


 部室には藤川先輩と青風の姿があった。


「ただいま」

「おかえり蕪木君。文芸部の様子はどうだった?」

「茂地さんの話は間違ってないみたいです。文芸部の部員は明らかに茂地さんに対して余所余所しいというか、明確に距離を感じました」

「そっか。今回は退部しかなさそう?」

「はい」


 茂地さんの名前や作品を挙げるたびに、部室内の空気が凝固したように重苦しくなる。その原因については大方予想がついている。


 文芸部の中には一年以上、人によっては小学生の頃から小説を書いてきた生徒もいる。


 茂地さんが小説を書き始めたのは文芸部に入部してからだ。小説サイトに作品を投稿してから一年も経っていない。本人から耳にした入部の動機もやる気を感じさせるものではなかった。


 そんな人物の作品が、小説に対して真摯に向き合っている人の小説よりも高い評価を得た。多くの読者からポイントとコメントをもらっている。


 数字は残酷だ。高いポイントを得た作品が爆売れするとは限らないものの、web小説を利用する人の大半はランキングに載った作品しか閲覧しない。


 誰だって時間は無駄にしたくない。貴重な時間を使って読んだ小説が面白くなかったら徒労感に苛まれる。


 大量のポイントは、多くの読者が目を通して評価した証。いわば一定以上の質を約束する保証書だ。探す手間を省きたい利用者がランキングから作品を選ぶのは自明の理と言える。


 ゆえにランキング外は読まれない。他の部員の小説がポイントで茂地さんに勝つのは不可能だろう。読者は素人が書いた作品の方を面白いと判断した。腰を入れて励んできた文芸部からすれば不愉快に違いない。


 その不愉快の正体は理不尽に対する妬み。これは彼らの作品が茂地さんの小説よりも高く評価されるか、茂地さんの小説が何かしらの理由で駄目になることでしか解消されない。文芸部が負けてられないと奮起していてくれたなら話は早かったけど、あの分では望み薄だ。


「当初の予定通り、茂地さんの退部を代行する方向でいきます。ただ、代行するにあたって少々面倒なことが起こりそうなんですよ」

「と言うと?」

「文芸部の方は、茂地さんの作品を部全体の物だと思っている節があるんです」

「あー」


 藤川先輩が腑に落ちた様子で語尾を伸ばす。


 対照的に青風が目をぱちくりさせた。


「どういうこと? その小説って茂地さんが書いたんでしょ?」

「そうだけど、彼らの中じゃ違うみたいだな」

「話が長くなりそうだし、お茶でも淹れてから話し合おうか」

「じゃわたし紅茶淹れるね!」

「ありがとう青風さん」


 俺はティーポットと三人分のティーカップを並べた。フルーティーな香りが室内に充満し、カップに注がれる紅い液体が湯気を立ちのぼらせる。


 ティーカップを手元に置かれて礼を告げた。一口含んで上品な芳香を鼻腔に通す。


「一度情報を整理しようか。依頼者の茂地さんは文芸部を退部したがってる。一度は部員に懇願されて退部を保留にしたけど、態度を改めてもらえなかったから私たちに依頼してきた。懸念事項として、文芸部は茂地さんの小説の所有権を主張している」

「大体そんな感じですね」

「作品の所有権について茂地さんは何か言ってた?」

「部室に来た時には何も言ってなかったので、俺の方でアプリ越しに訊いてみました。高評価を得た小説だから文芸部には渡したくないみたいです」

「そうだよね。上手く行けばお金のなる木になるんだし、誰だって渡したくないと思う」

「でも文芸部もその作品を欲しがってるんだよね? こういう時って著作権はどうなるの?」

「著作権法上は作品を創作した個人に帰属するらしいな」

「難しい言葉を使われても分かんないよー」

「じゃあ文章を書いた人に著作権がある」


 青風が目をぱちくりさせた。


「じゃあなんで悩んでるの? 著作権があれば茂地さんの自由にできるんだよね?」

「法律上はそうなってるけど、文芸部の人が納得できるかどうかは別問題だからな」


 茂地さんの作品が手に入らなかったら文芸部は間違いなくくすぶる。


 エネルギー保存の法則じゃないけど、強制的に抑え込めば感情は別の形で発露する。悪い方に転がれば嫌がらせや陰口だ。


 特に将来茂地さんが作家デビューを果たしたなら、文芸部の嫉妬は今以上にふくれ上がる。下手をすれば大きな事件につながる一件だ。この潜在的リスクをを無視して退部を推し進めるのは無責任だろう。


 青風が可愛らしく眉をひそめた。


「んー思っていたより面倒くさいんだね退部って」

「そうだぞ。組織から抜け出すのはエネルギーを使うんだ」

「じゃあ次は、文芸部をどう丸め込むか考えようか……と言いたいところだけど、そろそろ時間だね」


 藤川先輩が顔を上げる。

 

 視線の先には円形の時計。黒い針が下校時刻を示している。


「続きは明日にしましょうか」

「そうだね。ひとまず今日は解散ってことで」


 俺たちは荷物をまとめて椅子から腰を上げる。三人でお疲れ様を交わして部室を後にした。

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