第9話
茂地さんを見送った数分後。藤川先輩が部室の床を踏みしめた。
「先輩おそーい! もう依頼者帰っちゃったよー」
「そうなの? ごめんね、今日は掃除当番だったの」
「掃除当番? それって先週もやってなかったっけ」
「そうなんだけどね。クラスメイトに無理やり掃除当番を押し付けられちゃって、私が引き受けざるを得なかったんだよ」
「その人ひどい! 藤川先輩の人の好さに付け込むなんて!」
青風が形のいい眉で逆ハの字を描いた。
被害に遭ったのは青風じゃなくて藤川先輩だけど、これだけ感情を露わにしてくれると逆にすっきりする。
小さな顔が苦々しく口角を上げた。
「ありがとう青風さん、私の代わりに怒ってくれて。私も明日一言ぶつけてみようかな。ちなみに依頼者の人はどうしたの?」
「俺が対応しておきました」
「そっか。ごめんねさぼっちゃって」
「掃除当番を変わってたなら仕方ないですよ。情報は共有した方がいいですか?」
「そうだね、お願い」
俺は茂地さんと交わしたやり取りを口頭で説明する。
藤川先輩がスマートフォンの液晶画面をタップした。
依頼者の名前、文芸部に所属していること、たまたま執筆した作品が注目を浴びて大量のポイントを獲得し、他の文芸部部員から嫉妬されていること。細い指が液晶画面をタップし、その他もろもろをメモ帳のアプリに書き込んでいく。
藤川先輩が指を止めて顔を上げた。
「説明ありがとう。文芸部か、タイムリーな話題だね」
「タイムリーって?」
「ほら、昼休みに図書室で話したじゃない。web小説が原作の書籍を紹介したでしょ」
「ああ、そういえばそうでしたね」
「なになに、何の話?」
「蕪木君と二人だけで楽しくおしゃべりした話だよ」
「なにそれ、秘密のお話ってこと? 気になる!」
「だーめ、これは蕪木君と二人だけの秘密なの。だから青風さんには教えてあげられない」
「何が二人だけの秘密ですか。大したこと話さなかったでしょう」
「もう言っちゃうの? つまんないの」
「先輩いじわるしたの⁉ ひどーい!」
青風が子供っぽく頬をふくらませた。藤川先輩が拗ねる青風をごめんごめんとなだめる。
「それで、颯太と先輩は図書室で何を話したの?」
「図書室にね、小説サイトに載ってる原作を書籍化した本が置かれてるの。それについて知ってることを蕪木君に話したんだよ」
「例えば?」
「web小説の中にはアニメ化したり、本になったりする作品もあるって話。よくよく考えると二人はすごい体験をしたのかもしれないね」
「すごい体験?」
「だって考えてみてよ。蕪木君と青風さんが対応した依頼者は、投稿した小説が原因で妬まれちゃったんでしょ? それだけ多くのポイントを稼いだなら、その作品も書籍化するかもしれないよ」
「あ」
藤川先輩の言葉がやっと腑に落ちた。
書籍が数百万部売れれば印税は億に達する。そんな作品を生み出す可能性のある生徒が、俺たちの周りに少なくとも一人はいるってことだ。今まで実感してなかったけど、これってとてもすごいことじゃないだろうか?
感嘆に並行して、何とも言えないもやもやが胸の内に巣食う。
俺と大して年の違わない男子が、億に達するお金と名誉を得る。羨ましいような、悔しいような、焦燥にも似た感覚が精神の均衡を揺らがせにかかる。
ああ、きっとこれなんだ。文芸部の部員が味わっている感覚は。
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