第8話


 俺は部室の床を踏み鳴らして椅子に腰かけた。スマートフォンを取り出して電源ボタンをプッシュする。


 親指の腹でタタタと文字を入力し、欲しい情報を求めてネットサーフィンにしゃれ込む。


 検索のネタには困らない。藤川先輩と図書室で交わした会話が何とも興味をそそった。


 小説サイト。またの名をWeb小説。この機嫌は二十世紀のパソコン通信までさかのぼる。


 二十一世紀間近でインターネットの普及が始まった。一般家庭でもパソコンでオンラインを扱えるようになり、個人が作品を公開する基盤ができ上がった。


 有名なアニメの二次創作も掲載されて、日本のアニメが世界に広まるきっかけとなった。


 知れば知るほど新たな事実がひも解かれる。日常に溶け込んでいる物事にもこうした厚みが隠れていると思うと知識欲が刺激される。


「なーに読んでるのっ?」


 視界にぐいっと顔が近付いた。爽やかな甘さが香って反射的に背筋を反らす。


「青風! 急に出てくるなびっくりするだろ!」

「急にじゃないよ。ノックしたし声もかけたのに、颯太ったらわたしを無視するんだもん。むっとしたからびっくりさせちゃった」

 

 無邪気な笑顔が花開く。青風のいたずらに苛立っても、この笑みを前にすると許せてしまうから不思議だ。


「それで何を見てたの?」

「内緒」


 素直に教えるのも悔しい。ささいな意趣返しだ。


 青風が体の前で手のひらを打ち鳴らした。


「あ、分かった! 男子が女子に言えないものだね!」

「どんなものだよ」

「言ってほしいの?」

「分かった言わなくていい」

 

 俺は小さく息を突いてスマートフォンの画面をかざす。


 青風が液晶画面に顔を近付ける。


「なになに……web小説の歴史?」

「青風はweb小説を知ってるか?」

「知らない。何それ?」


 俺は調べたことをそのまま口にした。

 

「そんなのあるんだ。面白いね」


 平坦な声が関心の薄さを裏付けていた。


「青風は小説に興味ないか?」

「うん。漫画の方は読むけど小説は読まないね。活字がずらーっと並んでるの見るとうわってなっちゃう」

「web小説は文章と文章の間に感覚があるから多少はマシかもしれないな」

「うーん、でもわたしはやっぱり漫画がいいかな。一目見ただけでパッと分かるし」

「そうか」


 俺は素直に引き下がった。興味を持てないことを無理やり押し付けても嫌になるだけだ。


 ドアが三回ノックされて、俺はどうぞを口にする。


 男子が失礼しますと口にして靴裏を浮かせた。部室の床を踏みしめてドアで室内と廊下を隔てる。

 

 眼鏡のレンズの向こう側にある瞳と目が合った。


「あの、退部を代行してほしいんですけど」


 今日は藤川先輩の登板だけど、先輩はまだ部室に来ていない。


 入部したばかりの青風に任せるわけにもいかない。俺は微笑で応対し、椅子から腰を浮かせて依頼者席を指し示した。座る椅子を変えて男子と同じ机を挟み、軽く名乗って本題に入った。


 彼の名前は茂地文男。文芸部に所属している生徒だ。

 

 文芸部は実績作りのために小説を投稿している。茂地さんは軽い気持ちで入部して執筆ライフを楽しんでいた。


 ある日投稿した小説が大量のポイントを獲得していることに気付いた。胸の内から噴き上がった歓喜に任せて部活仲間に自慢した。


 それがまずかったらしい。最初は部員全員がおめでとうを口にしたものの、翌日から周りの態度が変わった。素っ気なくなってハブられることが増えた。


 冷たい環境に耐え兼ねて退部を申し出たところ、部員全員に辞めないでくれと止められた。仕方なく残ってはみたが、他の部員との関係は以前のようには戻らなかった。


 最近また退部を検討しているものの、また説得される可能性を考えて俺たちに依頼を頼んだ。彼がここに足を運んだ経緯は大方そんなところだ。


「事情は分かった」

「じゃあ退部を代行してくれるんだな?」


 期待のこもった眼差しを向けられて、俺は思わず言い淀む。

 

 逡巡した末に首を縦に振った。


「ああ。でもすぐにとはいかない」

「どうしてだよ。ここは退部させてくれる部活じゃないのか?」

「その部活であってるけど、聞いた話だと退部するだけじゃ円満退部とはならない気がするんだ。自覚はあるだろう?」

「ああ。だから頼んでるわけだし」

「ならしばらく時間をくれ。茂木さんが穏便に退職できるように計らってみるから」

「その間、俺は部活に顔を出さなくちゃいけないのか?」

「その必要はない。もう少しで期末試験だし、試験勉強に本腰を入れたいからしばらく休むって連絡しておいてくれ」

「さすがにばれるだろそんな嘘」

「ばれても責められはしないよ。文芸部にとって茂地さんはいてもらわないと困る人材なんだ。多少の嘘やわがままは呑み込んでもらえるはずさ」


 素行の悪い有名人が許されるのは、その存在に需要があるからだ。


 程度は違えど今の茂地さんも同じ立場にある。彼の小説が獲得したポイントは文芸部の実績になる。多少は筋が通った嘘なら呑み込まざるを得ない。


 もちろん裏で調子に乗ってるとか言われるだろうけど、それは茂地さんが最初に退部申請をした段階で行われている。今さら陰口が一つや二つ増えたところで些事さじだ。


 俺は茂地さんに退部届と要望書を手渡す。


 その後に続けた言葉で茂地さんを丸め込んで、廊下に消える彼の背中を見送った。

 

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