第6話


 水曜日がやってきた。この日も学び舎の門をくぐって勉学に臨む。


 放課後を迎えて教室を後にした。廊下を踏み鳴らして部室に足を運ぶ。


 今日は俺が一番乗りだった。シンとした教室の照明をつけて自分の椅子に腰を下ろす。


 訪問の時間は聞いていない。部活中に来ると踏んでスマートフォンを取り出した。液晶画面に親指の腹を叩きつけてにらめっこする。


 電子的な文字列を視線でなぞっているとノック音が耳に入った。どうぞと告げるなりドアが右の壁に吸い込まれる。


 元気のいい同級生とあいさつを交わして、俺はスマートフォンの電源を落とす。長方形のそれをポケットに突っ込んで青風と言葉を交わす。念のため三組教室内での様子について問いを投げた。


 特別なことはなかったと耳にして、早速思考をめぐらせる。


 やるべきこと、話すことは休日の内にまとめてきた。三組の知り合いとも言葉を交わして裏付けを取った。後は本番に臨むだけだ。


 藤川先輩ともこんにちはを交わした数分後。竹田さんが部室を訪れた。二度目となると緊張も少しはほぐれるのか、自然体で依頼者席に腰を落とした。


 竹田さんが自身の通学カバンに腕を突っ込み、取り出した透明ファイルから二枚の書類を引き抜く。先週の金曜日に俺が渡した退部届と要望書だ。


 俺は腕を伸ばしてそれらを受け取った。


「ありがとう。必要な書類はこれで全部だ」

「将棋部の部室には今から行きますか?」

「いや、その前に少し話そう。竹田さんの目的は、将棋部を辞めて側崎さんとの関係を戻したいってことでいいのか?」

「はい。でもどうして南のことを知ってるんですか?」

 

 双眸そうぼうがいぶかしげに細められる。


 警戒されたことを察して、俺は苦々しく口角を上げる。


「そう警戒しないでくれ。三組の知り合いから聞いたんだ」

「もしかして青風さんですか?」

「いや別人。こう見えて何人かの退部を代行していてな。知り合いは無駄に多いんだ」


 俺は即座におどけてみせた。青風との交流は少なからずあるみたいだけど、告げ口みたいな形でいい気分はしないだろう。


 俺は身を乗り出して机の上に肘杖を置く。


「それでどうなんだ? 竹田さんは将棋部を辞めたいのか? 側崎さんとの友好関係を取り戻したいのか? どっちだ」

「退部したらどのみち同じだと思いますけど」


 俺はおもむろにかぶりを振る。


「全然違うよ。その二つは似てるようで非なるものだ。動機を勘違いしたまま退部したら君は絶対に後悔する」


 竹田さんが口元を引き結ぶ。


 俺はなおも言いつのった。


「どうなんだ? 君と側崎さんの仲が冷えているのは調べがついてる。君は側崎さんとまた仲良くしたいって思ってるのか?」

「私は……」


 二つの瞳が重力に引かれたように下がる。

 

 黙して待つこと数秒。竹田さんが意を決したように顔を上げた。


「いえ、南とのつながりはもう終わっていいと思ってます」


 意思表示にとどまらず、竹田さんがせきを切ったようにまくし立てる。


「だって南ひどいんですよ? 自分から誘ったくせにぱっぱと退部しちゃうし、放課後独りになるから私にさっさと辞めろって強要してくるし。私は南の退屈な時間を誤魔化すための道具じゃないのに!」

「そうだな。仲のいい友人相手でも礼は欠くべきじゃない」

「ほんとですよ! 私にだって事情があるのに、私が言いなりにならないって分かったら別のグループに取り入るし、南は昔から自分のことばっかりなんです!」


 口調に怒気が混じる。共感を出すなりこの反応。日頃から側崎さんへの不満を心の奥底に押し込めていたに違いない。


 仮に将棋部を辞めて関係が戻ったとしても、側崎さんが自らの行いを反省するとは思えない。また竹田さんが耐えるだけでは、いずれまた関係が破綻するのが目に見えている。


 方針は決まった。俺は適当に相づちを打って机の天板から肘杖を離す。


「側崎さんは別のグループで仲良くやってるみたいだし、これを機に距離を置いてみるのもいいかもな」

「やっぱり絶交ですね!」

「それを決めるのはまだ早いんじゃないか? 時間が経って、やっぱり仲良くしたいって思える日が来るかもしれないしさ」


 竹田さんがうなる。


 いまいち釈然としない様子だ。ついさっき感情を露わにしたばかりだし、やはり一度距離を取って頭を冷やした方が賢明だろう。


「大分話が逸れたな。もう一度確認させてもらう。君は将棋部を辞めたいのか、それとも側崎さんとの仲を戻したいのか、どっちだ?」

「最初は仲を戻すつもりでいましたけど、今はどうでもよくなっちゃいました。最近将棋も面白いなと思えてきたので、もう少し続けてみようと思います」


 竹田さんの表情に微笑みが浮かんだ。憑き物が取れたような笑みを前に、俺は口元が緩むのを感じた。


「そうか。じゃあ今回の件はなかったことにしよう。受け取った退部届と要望書はこっちで処分しておくから、竹田さんは今まで通り部活動に励んでくれ」

「はい。本当にありがとうございました!」


 竹田さんが上体を前に傾けた。椅子から腰を浮かせて教室の出入り口へと歩を進める。会釈を残してドアの向こう側に消えた。


 俺は藤川先輩を体の正面に据えた。


「どうでした? 俺の手腕は」

「すごいね、百点満点だよ。もう私の助けはいらないね」


 青風が小首を傾げる。


「退部代行の仕事はしてないけど、それでも満点なんですか?」

「うん。少なくとも私が見た限りでは非の打ちどころがなかったよ。ねえ蕪木君、どうして今みたいな対応をしようと思ったの?」

「竹田さんが退部を渋っているように感じたから、本心では続けたいんじゃないかと思ったんです」

「そんなサインあったっけ?」

「青風から聞いたんです。側崎さんの要求をのらりくらりして、退部届を代わりに書くって言われて口論になったと」

「そうなの青風さん?」

「はい。大体そんなこと言いました」

「なるほどね。勝手なことするなって怒ったのなら、将棋部に未練があるんじゃないかと考えたわけだ。だから竹田さんを説得して退部を阻止したんだね」

「そういうことです」

「わたしたちって退部代行部だよね? そんなことしちゃっていいの?」

「ただ辞めさせるだけなら機械でいいけど、俺たちは人間なんだ。相手の本当の気持ちを汲み取って、本心と違うことをしてる人がいたら引っ張ってやらないとさ」

「なにそれ! 蕪木かっこいいーっ!」


 青風の表情がぱーっと明るくなった。


 俺はふわっとした気持ちに任せて口角を上げる。


「だろ? もっと褒めてくれて構わんぞ」

「ねーねー今のわたしの決めゼリフにしていい?」

「だめ。俺の決めゼリフにする」

「えー!」


 けち! の言葉に続いて柳眉がハの字を描く。


 苦々しく笑う先輩をよそに、俺は青風と決めゼリフについて語り合った。

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