第5話
バイブレーションの音で目が覚めた。
腕を伸ばしてスマートフォンの液晶画面に触れた。アラームが止まったのを確認して上体を起こす。
カーテンをつまんで腕を引いた。シャーッと鳴り響いた軽快な音に遅れて、窓から差し込んだ光で内装が明るみを増す。
パジャマを脱ぎ捨てて私服に袖を通し、ポーチを握って廊下に続くドアを開け放った。廊下を経て下りの段差に足を乗せる。
一階の床に足裏をつけて、その足で洗面所に向かった。顔面に冷水を叩きつけてタオルで水滴を拭き取る。靴下やハンカチなど出発の準備を進めて玄関に足を運んだ。
スニーカーに足を差し入れて外につながるドアを解錠した。取っ手を握って手前に引き、玄関に新鮮な生温かい空気を迎え入れる。
鍵を閉めてコンクリートの地面を踏み鳴らす。
制服を着て歩く時間帯には人影がちらつく道だけど、土曜日の早朝だけあって辺りは静まり返っている。
時折すれ違う車の走行音が実に心地いい。ちょっとした特別感で口角が浮き上がる。
新鮮な空気を堪能した末に目的の建物を視界に収めた。ドアを開けて店内の空気に身をさらす。
「いらっしゃいませー!」
鈴の音に続いて満面の笑みに歓迎された。放課後に見た時とは違って、装いはカフェで定められた制服だ。白や焦げ茶色で彩られた様相はシックで落ち着きがある。
「一名様でよろしかったでしょうか?」
「ああ。いつもの席空いてる?」
「はい。ご案内いたしまーす!」
青風が身をひるがえして店内の床を踏み鳴らす。早速素を出した同級生に苦笑して、俺も奥へと足を進める。
俺以外に客はいない。
俺が開店と同時に入店する理由はこれだ。広々としたおしゃれかつ静かな空間での朝食は気分をリッチにしてくれる。朝早くに起床するから、帰宅後も長々と休日を謳歌できる。いいことづくめだ。
木製のチェアに腰かけて、青風からメニューブックを受け取った。
「青風、訊きたいことがあるんだけどいいか?」
「その問いかけって、店員じゃないわたしに言ってるの?」
「そ。カフェ青風の看板娘じゃなくて、部活仲間の青風に用があるんだ」
青風は三組に所属している。持ち前の明るい性格で友人も多い。竹田さんの話を聞くならうってつけの人材だ。
「仕事があるから長話はできないけど、いいよ。何が訊きたいの?」
「一年の竹田さんって知ってる?」
「知ってるよ。同じクラスだもん」
「どんな人?」
「う~~ん、同じグループじゃないから詳しいことは言えないけど、側崎さんと仲が良かった子かなぁ」
「その人女子?」
「そうだよー」
その側崎という女子が、竹田さんが言っていた三日坊主なんだろうか。
「なになに? もしかして側崎さんのこと気になるの?」
青風が大きな目を輝かせた。前のめりになって距離が縮まる。
「期待させたところ悪いけど興味ない。実は青風が帰宅してから竹田さんが部室を訪れたんだ」
「退部代行の依頼ってこと?」
「そういうこと。彼女将棋部を辞めたがってるんだ」
「あーまあそうだろうね」
俺は小さく目を見張った。
「知ってたのか? 竹田さんが将棋部に属してたこと」
「将棋部に属してることは知らなかったよ。でも以前竹田さんと側崎さんが部活のことで口論してたから、そうじゃないかなって思ってた」
「口論ってどんなふうに?」
「側崎さんが一方的に要求してるって言うのかな。竹田さんに対して早く辞めなよって感じ」
「竹田さんは何て?」
「退部しにくい空気があるから無理って言ってた。他にも側崎さんの言葉に曖昧な言葉を返してたなぁ。最初はのらりくらりしてたんだけど、側崎さんが竹田さんの退部届書くって言い出したらちょっとした口喧嘩に発展したの」
「へえ、それは面白い話だな。教室での竹田さんってくそ真面目な優等生だったりする?」
幼さを残した顔立ちが左右に揺れた。
「ううん、真面目な方ではあるけど、だらける時はだらけるって感じ。特に側崎さんと仲が良かった頃は、側崎さんのいたずらに引っぱり回されて先生に叱られてた」
「悪友ってやつか」
「そうかも。竹田さんが中々退部しないと分かったら別のグループに行ったっきりだし、今じゃ二人はろくに話さないもん。正直竹田さんが将棋部を辞めたところで、側崎さんが元の関係に戻るかって言われると正直微妙だね」
青風が困ったように肩をすくめる。
驚いた。基本誰に対してもポジティブな青風がここまで明確に苦言を呈するとは。
ンンッ! とわざとらしい音を耳にして、俺は華やかな人影から視線をずらす。
青風父が立っていた。店長を担う知り合いの視線は青風に向けられている。
青風が俺に向き直って苦笑を浮かべた。
「怒られちゃった」
「悪い、長話させたな。俺から言っておくよ」
「いいよそんなの。では改めて、ご注文はお決まりですか? なお当店お勧めはアールグレイのオレンジアイスティーとあんバタートーストとなっておりまーす!」
「じゃあそれで」
「かしこまりました! 少々お待ちくださいませーっ!」
同級生が元気のいい声を残して踵を返した。白黒の制服姿が店の奥に消える。
耳を澄ませると話し声が聞こえてくる。青風とその父だ。
娘を叱る声がその明るさにほだされて、俺は声を抑えて笑った。
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