第3話


 俺は午後の授業をこなして教室を後にした。長い廊下の床をスニーカーの裏で鳴らしつつ制服の群れとすれ違う。


 グラウンドに目を向ければ数十の人影が点在している。体操着、野球帽、他にもいくつかの部に所属する生徒が日の下で声を張り上げる。


 かつては俺もあの中にいた。我こそは青春の真っただ中にいると叫び、持て余した体力を硬めのボールにぶつけていた。


 妙な郷愁を覚えて、土の上にある光景を目尻に流した。ふっと口角を上げて視界をまぶたで遮断する。


 昔の話だ。辞めたことに後悔はない。歩みを止めることなく上へ続く段差に足の重みを預ける。


 長らく床を踏み鳴らした末に部室前までたどり着いた。三回のノックを済ませて、室内を隠すドアの取っ手に指の先端をかける。


 がらがらと聞き飽きた音に遅れて、そろそろ見慣れてきた内装が露わになった。


「いらっしゃーい!」


 元気のいい声が室内を駆け巡った。黒白の衣装に飾られた同級生の笑顔に迎えられて、俺は思わず目をしばたかせる。


「えーっと、もしもし青風さん? その衣装はなあに」

「何って、メイド服だよ?」

 

 知ってた。頭を飾るヘッドドレスや、制服にしてはフリフリした様相はまさにメイドの仕事着だ。


「何でメイド服着てんの?」

「今度これ着て接客しようかと思って。どう?」


 どう? そう問いかけて細い指がスカートの裾をつまみ上げる。


「似合ってるけど、先生が見たらびっくりしそうだな」

「被服部って嘘ついてみる?」

「いや、さすがに無理があるんじゃないかなぁ。そもそも制服なら別にあるじゃないか」

「うーん、じゃあお茶にしよっか!」

「今までの文脈はどこへ?」


 俺の問いが靴音にかき消された。メイド青風が電気ケトルの取っ手を握って、ティーカップとティーポットの上で傾ける。


 青風の両親はカフェを経営している。常連で青風とも仲がいいこともあって、新メニューを考案する時はたびたび試食を頼まれる。


 俺も美味しいものは好きだ。誰も損しないということでいつもありがたくいただいている。


「今日は何の茶葉なんだ?」

「アールグレイ! イタリアから仕入れるんだって!」

「何かすごそうだな」


 ポットの湯が別のカップに流し込まれた。ティーポットに茶漉ちゃこしがセットされ、スプーンを介して茶葉が投下される。


 電気ケトルから湯を注がれ、柑橘系かんきつけいの芳香に鼻腔をくすぐられる。


「いい香りだな」

「ねー」


 談笑して茶葉が蒸らされること約三分。カップの湯がポットを温めていた湯と合流し、青風の手によって注がれる茶が空のカップを鳴らす。蒸らされた液体がカップ内を紅く彩った。  


「完成! さあどうぞ!」

「いただきます」


 紅い液体をフーフーと冷まして、口をカップの縁に近付ける。一口含んで舌に意識を集中させる。


…………。


「どう?」


 どう、と言われてもよく分からない。普段紅茶をたしなむ方じゃないし、いつもと何が違うのか見当もつかない。


 でも負けるわけにはいかない。無邪気な笑みが感想を問うている!俺の品格を保つためにも気の利いた一言を!


「ん、あれだな。さすがイタリアで取れたアールグレイ。果樹園のほとりに吹く風のような良き香りだ。やっぱり本場の味は違うな!」

「それ日本産の茶葉だよ?」


 時が止まった。


 俺はこわばった口を無理やり動かす。


「えーっと、もしもし青風さん?さっきイタリア産って言ってませんでしたっけ?」

「うん。今度イタリアから仕入れるって話ね」

「未来形かよッ!」


 顔がお風呂でのぼせたみたいに熱い。鏡を見ればれたりんごのような顔が拝めるに違いない。


「もしかして知ったかぶりしちゃった? 颯太可愛い!」

「やめて! もう許してお願いっ!」


 小気味いい笑い声が上がった。


 俺は両手で顔を覆い隠す。何という恥辱ちじょく。穴があったら入りたい。


 細い指先が笑い涙をすくって、青風が椅子から腰を浮かせた。


「可愛い颯太が見れて満足したし、わたしそろそろ行くね」

「今日はバイトなのか?」

「うん、いつもの家の手伝い! 先輩によろしく言っておいて!」

「ああ。また来週な」


 青風が自身のカバンを持って部室の出入り口へと足を進める。。


 俺は二口目を味わおうとしてハッとした。


「待って! せめて制服に着替えてから下校して! 先生方にけしからん部活だと思われちゃうからっ!」

「えー大丈夫だよ?」

「大丈夫じゃない。着替えなさい! 何なら見てて上げるから」

「ほんと? じゃあわたしを見ててね?」

「うそです冗談です男の目がないところでお願いします! あと今部室であったことは先輩にはみつに」

「えーどうしようかなー?」

「なにとぞよろしくお願いしますっ!」


 懇願こんがんした成果もあって、土曜日にブレックファーストを食べに行くことで手を打たれた。


 まったく、したたかな看板娘だ。

 

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