File 2 : 横山薫 6

 機械音も聞こえない取調室はしんと静まり返っていた。久我山の部下達はそれぞれ情報を確認しに出て行き、取調室に残っていたのは久我山だけだった。


 その久我山は取調室のベッドの横に立っていて、横山薫と名乗った老女を苦々しく見つめていた。


(こいつが…?この女が?

 ほんとかよ?

 そんな事があるわけないだろう!)


 久我山は浮かび上がろうとしている事実を否定したかった。


 しかし、竹下が冴えない顔で取調室に戻って来た時、久我山は自分達が知りたくない事実に辿り着いてしまった事を理解した。


「やはりそうなのか?」


 久我山の問いかけに、部下の竹下が大きく頷いた。


「何度も確認したのですが…。

 指名手配犯でヒットしたのは…1名だけでした」


「山城風子…か?」


 竹下は頷いた。

 

「久我山警視正…。

 私には横山薫は…普通にその辺にいる優しそうなおばあさんにしか見えません」


 裏のルートで整形したのであろう老女の顔は、久我山や竹下が手配書などで見ていた山城風子とは似ても似つかぬ顔をしていた。


 山城風子は分かっているだけで38人の殺害に関与している。もっと殺害しているだろうと言われているが証拠がない。その他にも暴行、強盗、家屋の破壊、誘拐、テロとあらゆる犯罪を犯してきたグループのリーダーだった。

 

 そのグループは最初の頃こそ主義主張もあったのだろうが、途中からはただの犯罪組織に成り果てていた。


 警察は血眼になって山城風子の行方を追っていたが足取りは途絶えて久しかった。その上、犯した罪の殆どが既に時効となってしまい、警察の捜査も徐々に規模を縮小せざるをえなかった、というのが実情だった。


 なんとしてでも逮捕したかった指名手配犯、山城風子が穏やかな顔をして目の前で遺体となっているのだ。久我山にとって、いや警察にとって、この事実は屈辱的で重かった。


「DNAを…」


 竹下が勢いよく取調室を飛び出して行った。




 久我山は無力感に襲われながらも、ある事に気が付いた。


 横山薫が支援者と呼んでいた2人の名前や映像が最後まで出てこなかったのだ。記憶の中に支援者の姿形、声…何かがなければおかしいのに…だ。


 'インネル' を使ったこの捜査では対象者は自分の記憶に嘘はつけない。最新の科学捜査で脳の海馬に働きかけ、本人がが認識している記憶を映像記録し脳内トークで本人が語るからだ。


(でも、もしかしたら…。なにかを隠す事は出来るという事なのか。そんな事…無理だろ?…いや、可能性は否めない)


 チッ!


 誰もいない捜査室に久我山の小さな舌打ちが聞こえた。


「この 'インネル' 捜査方法に改善の余地が多いということか!」


(俺がもっと上にいくために、完璧な 'インネル' を!)


 久我山は唇を噛み、横山薫を見つめた。




「久我山警視正、おかしいです」


 そう言いながら竹下が久我山に報告に来た。


「警視庁の山城風子のデータが消えてるんです。DNAや指紋などの個人を判別するデータが全てです。国際警察のデータもなくなっています。

 何が起きているのやら、訳がわかりません」


「…くそっ!」


(俺は負けねえよ)



 久我山は竹下と共に '横山薫' の名前で取り調べた老女の記憶映像を見直す事にした。もっと情報が得られるかもしれないと、微かな期待をして。


 そしてある箇所で慌ててstopキーを押した。


 そこに映っていたのは横山薫が支援者に送った封筒だった。


「竹下!これ…!」


 久我山はある1箇所を指差した。


 取り調べ中には見えなかったが、封筒に書いてある相手の名前が読み取れそうだった。


 竹下はその部分を画像処理し拡大したが、ああ〜っ!と声をあげた。


「これじゃどうしようもないですね」


 封筒の宛名の部分が大きく歪んでいた。


「警視正。すみません。私にはこれ以上は無理です。この歪みは修正出来ません」


 しょんぼりとした竹下の肩をぽんと叩いた久我山は、ふうっと息を吐いた。


「大丈夫だ。専門家を呼ぶさ」


(間違いない。支援者の情報を隠してやがる。そんな事して、俺達警察を嘲笑ってんのかよ。

 俺達を舐めんな!

 お山城風子の支援者はまだ生きてるんだ。こんな大物を逃すわけないだろ!)


 久我山はスマホで 'インネル' の開発主任である田代を自室に呼び出した。



 田代は、ニコニコとしてやって来た。


「私の久我山くん。どうしたの?」


「田代さん、この映像のこの部分の解析を頼みます。封筒に書いてある送り先が知りたいんですけど、映像がこの部分だけ妙に歪んでまして…」


 田代はニヤッと笑った。


「なぁーんだ。仕事ですかい。デートの誘いかと思ったのになぁ!

 まあね、私の大切な久我山君の頼みですものね。全力でやりますよぉ〜!

 明日の朝一でご報告をいたします。お任せ下さい」


 久我山は色々な意味で頭の上がらない田代にお辞儀をして、頼みます…と小さな声で言った。




 翌朝、田代は踊る様な足取りで久我山の元を訪れた。


「久我山く〜ん。

 ケーキのパンフ、持って来たよぉ。大変だったんだからね、私に1つ奢りなさい!」


 そう言ってパンフをヒラヒラさせ、わたしの食べたいのはこれ!と一番高いのを指差した。


 そのページには小さな小さな紙が一枚挟んであった。


 気をつけなさい

 すぐ焼却


「じゃあね、久我山くん。ケーキは急いでね」


 田代はそう言って、又、踊るような足取りで研究室へと戻って行った。


 パンフにはもう1枚の紙が挟まっていて、そこには依頼した封筒の映像が画像処理されてきれいにプリントされていた。

 

 鮮明になった封筒の宛名を見て、久我山はクラクラと目眩がした。なぜなら、それは今の久我山には到底太刀打ちできない相手だったから…。


 1人は国会議員で幾つもの大臣職を勤めた与党の大御所。立山誠。

 もう1人は全日本弁護士組合の会長、伊丹

健四郎。


(なんてこった!

 俺の相手はこいつらかよ!)


 久我山はそのプリントを誰にも見せずに懐にしまい、部屋を出た。少し風にでも当たって心を落ち着かせたかったから。


 トボトボと歩き始めた久我山だったが、研究所の門を出る時にはいつもの颯爽とした歩みに戻っていた。


 しばらくして研究所に戻って来た久我山の両手にはケーキの箱があった。





 その後、横山薫の事件は大掛かりな捜査をされる事もなく、若者2人の薬物使用による事故死と、それをはかなんだ老女の自死として片付けられた。


 その報告を聞いた久我山警視正は唇を噛み締め、端正な顔を歪ませた。




 File 2 : 横山薫  Case closed

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