File 1 : 霜山リカ 5
鏡の向こうで 'わたし' がぼそりとつぶやいている。
「バカみたい!」
あいつの体は 'わたし' が一番よく知っているんだから、あいつが 'わたし' と切れるわけないじゃない。
なのに別れるなんて言うあいつは、バカみたいなのよ。
'わたし' はふらふらと部屋を出て行った。
あいつが結婚したいと思った女。
どんな女なんだろう。見てみたい。
そんなにいい身体してるの?
キスは上手いの?
'わたし' よりも?
そう聞いてやろうか。
でも、そんなわけないじゃないねぇ。
あいつが 'わたし' の体に執着してるんだもの。キスしただけでイケるって言うんだもの。
だから、5年経っても別れようとしないんじゃない。
くすくすと笑いながら 'わたし' はあいつのマンションに向かった。
あいつの部屋を見張り続けていると、あいつと若い女が手を繋いでどこからか帰って来た。部屋のカーテン越しに2人がキスしているのが見える。やがて、部屋の電気が消えた。
'わたし' はそれから二時間外で待った。そして、マンションに入り、あいつの部屋のドアベルを押した。
やがて、カチャリと音がしてドアが開いた。
「お父さん、遅かったわね…あら?…どなた?」
出てきた女の顔を見て 'わたし' はニヤリと笑った。眼を見開く女の横をすりぬけて、私よ、会いに来たの、と言いながら、あいつを探した。
見つけたあいつは、ここに何しに来た!と声を荒げた。
「…心配しないで。何もしないわ。大事なあなたを傷付けたりするわけないじゃない?」
あいつは後退りした。
「あら、逃げなくていいのよ」
ビク付くあいつのかおが可愛らしく見えた。
「ふふ…何しに来たのか…ですって?
決まってるでしょう? あなたに会いに来たのよ。あなたの婚約者を紹介してもらおうと思って」
'わたし' が前に進むと、あいつは更に一歩さがった。
「だって、これからあなたを共有するんですもの。紹介してもらわなくちゃ。
ねぇ?そうでしょ?」
'わたし' は後ろにいる女を見て言った。
「私のこと知ってる? この人、時々、他の女ともしたくなるのよ。仕方ない人でしょう?あなたと結婚しても、私とやりたいんですって! 」
あいつの顔を見て、更に一歩すすむ。
「ねえ、私のこと、抱きたいでしょう? どんなふうにしたい?
ほら、昨日も私とやったじゃない?
何回も私の中でイッたでしょう?」
「…」
「それとも…前みたいに、婚約者と3人でする?あれはよかったわよねぇ…。ものすごく感じたでしょう?」
「警察を呼ぶぞ!」
「あら、呼んでいいわよ。でもその前に、私とキスしなくちゃ。私のキスはエロいんでしょう?これだけでイケるんでしょう?」
そう言って、私は壁際に追い詰めたあいつの唇にむしゃぶりついた。
その時、あいつの目が大きく見開かれた。
「やめろ!やめるんだ!」
振り返ると目の前に、血走った眼をした女がいた。手に包丁を持ち、震えている。
「彼から離れて!」
女が 'わたし' に一歩近づく。
「あなたとは切れたってお父さんが言ってたけど…切れてなかったの?
あなた、お金は受け取ったんでしょ?
だったら、帰りなさいよ!彼から離れなさいよ! 」
'わたし' は笑ってしまった。そして、あいつの顔を見て言った。
「ねぇ…私たちのこと、この女にバレてるじゃないの。…ダメな人ねぇ」
そう言って 'わたし' はあいつの両頬を掌で包んで、再び唇にむしゃぶりついた。
「…だから…私に…しとけばいいのよ」
その時、私の背中に何回も激痛が走った。女が 'わたし' のすぐ後ろで叫んでいる。
「やめて!彼から離れて!」
'わたし' はあいつの唇から離れ、振り向いて小さな声で女に言った。
「こいつ、クズだよ」
「知ってる。分かってる。でも、好きなの」
「あんたも結構なバカだね…私と同じ…」
そう言った 'わたし' は自分の血が広がる床に崩れ落ちた。
その時、ドアベルが鳴り部屋のドアを開ける音がして足音が聞こえた。
「お前達、何やってる!」
「お父さん!」
女が父親に駆け寄り、この女が…私の彼を奪いに来たの、と涙目で訴えた。
'わたし' の目の前で、女の父親は大変だったな…と言って女の背中を撫でた。
「後は任せなさい。そうだ、これでも飲んで気を確かに持つんだ」
そう言って女の父親は棒立ちしているあいつに飲み物を渡した。あいつは何も疑わず、ごくごくと飲み出して、飲み終わる前に血を吐きながら倒れ込んだ。そして、ピクピクと痙攣を繰り返して、動かなくなった。
「この男さえいなければいいんだ。お前の幸せはお父さんが守ってやる。大丈夫だ。この女も殺ってしまえばいい」
女の父親は女の背中を摩りながら、そう言った。
目がかすみ始めた'わたし' はゆっくりとあいつの体に手を伸ばした。
「ねぇ、起きて。そんな顔、見たくないわ。起きてよ。私を抱きたいんでしょう?」
女の父親は娘に話し続けている。
「この男の手にお前の持っている包丁を握らせろ。いいか、こいつがこの女を…」
その時女の父親が、あっ! と小さく叫ぶ声がした。そして、女が小さな声で言った。
「お父さん…私、この人を愛してるのに、なんで殺しちゃったのよ。
私、お父さんを許さない!」
「お前、何を!やめなさい。やめるんだ!」
「許さない!許さない!
争う様な物音が聞こえ、女の 'うぐっ…' という声が聞こえた。
女の首からは大量の血が吹き出していた。そして、ばたりと倒れた。父親がそのそばに倒れ、2人とも動かなくなった。
'わたし' の記憶はそこで完全に途切れた。
鏡の中の私も目の前が真っ暗になった。
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