File 1 : 霜山リカ 2

 カチャ…っと音がして、部屋のドアが開いた。帰ってきたのは 今より若い 'わたし' だ。


 あ…。あの服、覚えてる。あいつに会うために、高いのに無理して買ったやつだ。バイト代、全部つぎ込んだ。一緒に靴もバックもブランド品を買った。

 似合ってないのに、少しでも自分をよく見せたかったから背伸びした。


 何年前だっけ? ああ、5年も前だ。 'わたし' はまだ19才の大学生だった。何も知らない無知な大学生。初めて体の関係を持った男に愛されていると思ってた。


 バカな女。


 鏡の向こうの 'わたし' は、あいつとホテルで時間を過ごして帰ってきたところだ。'わたし' は行為に夢中になってたけど、あいつは頭で他の女の事を考えてた。いまなら、それが分かる。'わたし' の事を大事に思っているわけではなく、ただの遊び相手。キスも愛撫もおざなりで、自分の溜まった欲望を 'わたし' に吐き出しただけ。そんな事も気づかずにいた。


 ねぇ!ここから出してよ。

 今ならまだ間に合うから!

 間に合うって教えてあげたいから…。

 

 でも私の声は届かない。鏡の向こうの 'わたし' は気づきもしない。


 'わたし' は部屋の電気を消してベッドに横になった。あいつの匂いを消したくないと、シャワーも浴びずにいる。


 そして、あいつの顔を思い出して幸せそうに笑ってる。これから見る夢なんて、頭の中のあいつを美化しているだけなのに。


 外からの薄明かりで部屋の中がぼんやりと見える。


 バカな 'わたし' のこれからを思うと涙が出た。






     ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢






 鏡の向こうの 'わたし' が、ぼんやりとした顔で座っている。やつれた顔の目の下にはうっすらと隈がある。


 泣きたいなら、泣けばいいのに、泣きもせず自分を責めてる。私が悪いの…そんな顔をしている。


 あぁ、あの頃だ。あなたの全てが欲しい、と言ってあいつに抱かれていた頃。あいつの事を想うと体が疼く…そんな頃の 'わたし' だ。


「お前、そのままが欲しいなんて、結構なすけべ女だな」


 鼻で笑うあいつに 'わたし' は縋りついて言った。


「そのままがいいの。欲しいの、お願い…」


 あいつは、しょうがねぇなぁ…と、避妊もせず 'わたし' を抱いた。


 あいつの心を読んでそう言った。それだけだった。何も考えてなどいなかった。妊娠するって分かっていたのに。


 妊娠し事がわかると、自分でなんとかしろよ、できるよな、とあいつは言った。お前がそうしたいって言ったんだからな…って。


 こうなる事は分かっていた。分かっていたのに、頭と体は違う行動をする。ただ、あいつに抱いてもらえるだけで、幸せだと思っていたから。


 本当は心の片隅で、あいつが喜ぶんじゃないか、結婚しようと言ってくれるんじゃないか、と微かな期待をしていたけど…。そんな事、起こるはずもなかった。


 処置をした時の記憶は曖昧だ。よろよろと産婦人科から出てきた時、泣いてはいなかったと思う。


 覚えている事は、あいつは付き添いに来なかったという事。優しい言葉の一つも掛けてくれなかったし、いつ行くんだよとも聞かなかったという事。


 そう、なんの連絡もなかった。


 処置の後はふらふらとした。

 お腹が減っていたが家にはカップラーメンしかなかった。そのラーメンを啜りながら涙が出た。


 終わりました。

 迷惑かけてごめんなさい。


 そう連絡を入れると、読んだはずなのにあいつからの返事はなかった。既読無視。


 これが別れるチャンスだ。

 別れるなら今だ。

 これ以上、一緒にいても自分が傷ついてもっと辛くなるだけだ。


 そう分かっているのに、別れられなかった。


 3週間後、あいつから連絡が来た。いつものホテルで待ってる。早く来い。抱いてやる。


 'わたし' はいそいそとホテルに向かった。


 そして、それから何回も妊娠し、同じ事を繰り返した。


 ほんと、バカで悲しい女…。

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