第3話 不知火晴の話

「ひっ…わあ!やめてくれ!」

大学帰り、揺られる電車の中で突然左方から悲鳴が聞こえる。声の方に目をやると、会社帰りのおじさんがフードを被った若者に羽交い絞めにされ、首にナイフを突きつけられている。顔に紋章のついた布のようなものをつけており、その素顔は全く分からない。

「既に運転席もジャックした。こいつの悲惨な末路を見たくなければ我々の言うことに従え。」

固まった表情で彼を直視するもの、スマホで撮影するもの、恐怖で涙を浮かべている者……様々見受けられたが、ここにいる者全員がもれなく従うわけがなかった。

「や、やだよ!」

席から足をもつれさせながら席から立ち上がり、非常用ドアコックへ真っ先に走る金髪の若者。なるべく気配を消していた晴はその姿を見て(ああ、終わったな。)と冷ややかな目つきをした。予想通り、彼の身体はドアコックにたどり着く前に貫かれ、その場に血の海が出来る。再びその場は阿鼻叫喚。こんなところでしゃしゃり出る方が危ない。放っておけば自然と収まるだろうと自分でも酷く落ち着いている自覚がある晴はため息をついた。


_____出しゃばる方が痛い目を見る。高校時代からそうだった。入学した頃から友人には恵まれ、一軍まではいかなくても比較的クラスの中心に近い位置にいた晴はそこそこ楽しく学校生活を送っていた。しかし問題は『勉強』だった。世間的に見れば中堅に位置する晴の高校では何も全員が頭の良い高校生ではない。その年の学年によっても学力の差が大きく割れることが当たり前で、つまり晴は学年の中で十分に秀でるほど勉強が良くできた。

「この前のテストの結果貼り出されてるぞ~!」

誰かが声を上げれば皆が一斉に掲示板に集まる。勉強ができることはステータスだ。晴が学年1位を取ったことはなかったが、年5回あったテストは全てトップ5位以内に入っていた。

「このままなら晴も1位目指せるって!」

「いやいや、そこまでじゃないよ。でもありがとう。」

応援の言葉に礼を言いつつも晴はそこまで成績を他人と比べることに興味はなく、毎回ご丁寧に掲示される学年順位のポスターにも自ら見に行くことはなかった。

高校2年。文理選択を終え、晴は迷わず進んだ理系コースで花開いた。理系選択の授業、2年生全体の授業のテストの双方の合計点数は遂に1位を取るようになった。

「晴やったじゃん!すごいよ!」

晴を応援してくれていた友人たちはもちろんその功績を称え、晴に勉強を教えてほしいと頼んでくる生徒も現れ、晴の交友関係が広がった。点数に貪欲でなく、クールにトップをとっていく姿に恋をする者も現れ、かけている眼鏡の奥で晴も嬉しそうな顔をした。

______それを許さなかったのはそれまで1位の生徒、玲央れおとその取り巻きだった。あることないことを吹聴し、晴に対して冷ややかな目を向ける者が増え始めた。晴はだんだんと人気者の座を剥奪された。

(マジかよ……。)

さすがにここまでの掌返しと状況の悪化には晴も落ち込んだ。しかしテスト1位の座から降りることはなかった。意地でも玲央に取られるわけにはいかない。必要最低限の友人と付き合う日々。高校3年生になり、受験期になっても晴は推薦も取らず黙々と勉強し続けた。卒業が近づくにつれてポツポツと玲央の嘘に気づいた者が謝罪してきたりもしたが、既に晴の眼中にはなかった。鮮やかにトップレベルの国立大学の入学権を勝ち取った。そこに受かったのは晴ただ1人であった。


_____それからはおごらず出しゃばらず平穏な日々を過ごすことを第一とした。バイトもカフェのようなキラキラしたおしゃれなものを避け、ひっそりと続けていけるものにした。大学に行き、授業を真面目に聞き、レポートとテストをこなし、バイトをして家に帰る。何か特別なことが起きない、何もない平穏な日々がお似合いだろう。

だから今目の前で起こっているものに首を突っ込む必要はない、きっと誰かが警察を呼び、この状況を打開してくれる。

「……ほらさっさと歩け。」

隣の車両から別のやつに連れられて人質がやってくる。他の人は全て殺されてしまったのだろうか。一瞬開いた車両間のドアの向こうに倒れた人が見える。血は出ていないようだったが、連れてこられた彼女以外は皆やられてしまったようだった。

「お前、名前は?」

連れられている間俯いていたが、ちょうど皆から見える位置で乱暴に顔を掴まれ、彼女の顔が周囲の皆に露わになる。晴からしてみれば、同い年くらいの何の変哲もない女子大学生に見えたが、その素顔と目の綺麗さは晴の目を釘付けにした。

「琉璃…です。」

「そうか、上玉だな。きっとも気に入るだろう。」

「やめ、やめてください…!」

(多分、この子は何もしてない…こいつらの気に障るようなことは、何も。)

偶然目に留まってしまったのだろう。小さく抵抗しながらも殺人鬼の腕力には耐えられずズルズルと運転席の方に連れて行かれそうになる。下に垂れ下がったままのその手を咄嗟に晴は掴んだ。急に動かなくなる琉璃に力のこもった方向を殺人鬼が向く。

「あ?」

「や、やめてもらえますか?」

自分でも何故手を掴んだのかは分からない。しかし、彼女がこのまま連れていかれるのだけはどうしても許せなかった。初対面なのに、何故こんなことを。頭が混乱しつつも琉璃の手は離さない。

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