風さん
授業が始まって20分位たった頃だろうか? 黒っぽい長袖シャツにジャージを履いた小柄な女性が早足でこっちに向かってくるのが見えた。
あっ、きっとあの人がこのワークショップに初参加する人だ。
そう思って、何かホッとした気持ちになった。
その人が荷物置き場の所にやってきた所で、J先生も気づいたらしく歩み寄る。
何か会話を交わしているようで、その女性はペコペコと何回も頭を下げている。
「申し込みをした
と言ったように聞こえた。
先生も生徒も皆、裸足になって身体を動かしているのを見て、風さんも裸足になった。
そうだ、僕達は皆、裸足になっている。
緑の芝生の上に素手裸足で大地を感じている。気持ちいいな。
そんな風に今、感じた。
小柄で華奢に見える風さんは若くはない。
僕と同世代くらいに思える。
先生に促されて風さんも皆と一緒に身体を動かし始めた。
何故か気になる。
同じ初参加、しかも同世代という事で、安心感があったのかもしれないけれど、それだけではないような気がした。
授業が始まってから、動きがだいぶハードになってきた所だ。
ここからの参加で大丈夫かな?
僕自身もまともに動けてないのに、風さんの事が気になって、彼女の動きが見える位置に移動した。
四つ這いになって、その場で右手と左足を上げる。
そしてその逆を交互に。
少し動作を早めていく。
そして前進。
時々、J先生自らの動きが入る。
それを見た生徒達から感嘆の声が漏れる。
野生動物の動きだ。
柔らかく美しい。
肩甲骨周り、どうなってるんだろ? と思う位に綺麗に動いている。
「見本を見せるから真似して下さい」という感じではない。
風さんも見惚れている。
そして自分も動いてみている。ぎこちないけれど、先生の動きに近づけようとしている事は見て取れる。
僕みたいに見られる事を恥ずかしがってはいないようだ。
上手くなんか出来てなくても恥ずかしくない。
僕もつられるように、動かしてみる。
右手と右足が一緒に上がっり、リズムが狂ってつんのめりそうになったり。
上手く出来ない。自分の動きがおかしくて自然に笑顔になる。
風さんの方に目を向けた。
「違う違う」「出来ねー」
笑いながら、風さんからブツブツと男言葉が漏れている。
僕は「ん? 風さんって女性だよな?」と思った。
その後、ギャロップとか逆ギャロップとか、四つ足動物の歩く動作から走る動作へと激しさを増していった。
ゴリラの動きなんていうのもあった。
もう何だか理性なんてものが無くなって、少しずつ本能で身体を動かしているような感じになっていった。
そして、おそらくこれが本日のメインディッシュであろうという物が運ばれてきた。
先程までの動きにオオカミの遠吠えが入る。
僕がJ先生の本を読んで最も興味を持ったエネルギーを通すという事。
体幹の最深部を覚醒させることが必要で、オオカミの遠吠えはこれ無しには出来ないようだ。
【人間としての声を出すのではなく、声というよりも野生的な音として「全身が鳴る」こと】が求められる。
どうやるの?
生徒達がキョロキョロしていると、突然オオカミが現れたかのような気配。
野を駆けていくひとつの物体。
「ぅお〜〜〜ん」というような野生の音が鳴り響く。
まじか?
野生の音。すげー!!
それに続いて、生徒達が各々四つ足で走りながら音を出している。
皆、経験者だ。
先生のような動きと音ではないけれど、それなりに様になっている。
風さんも歩み始めた。
その場に取り残されないように、僕も動いていく。
音は出ない。
風さんからも音は感じられない。
先生の所に皆が集まった時に、誰かに言われた。
「オオカミさん、本領発揮して下さいね」と。
僕は真顔で答えていた。
「オオカミじゃないです。僕の名前はオオガミです」と。
なぜか皆に笑われた。
それでちょっと打ち解けた気分になった。
僕は風さんに声を掛けてみた。
「声、出してますか?」
「出ねぇ」
お前男か? って思ったけど、それは口にせずに言ってやった。
「出さなきゃ出ねぇよな」と。
僕自身に言い聞かせる言葉だった。
僕はわざと風さんに聞こえるように、変な声を出しながら四つ足歩きを始めた。
全然遠吠えにはなっていないけど、「ウォー」みたいな声を出してみた。
それを真似るように風さんが後ろについてきた。
「オー」
僕よりも下手くそな声に聞こえるけれど、声は出ている。やろうとしているのが分かる。
上手くは出来ない。
だけど、何回かやっているうちに僕も風さんもほんの少し声というよりは野生の音に近づいたんじゃないかなと思う。
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