第10話 魔窟! アッキちゃん宅!

 最初は階段に座り込んで話そうとしたけれど、例の青少年ナントカ腕章のおじさんの目が気になったあたしたちはアッキちゃんの部屋に行くことになった


「部屋……アッキちゃんの部屋……!」


 駅のホームで、気持ちが急に高まってうなり声を上げる。

 あたしの声に驚いたのか、前に並んでいる人に振り向かれてしまった。

 恥ずかしくて頬が熱くなる。マスクを付けててよかった。 


 電車を待つあたし達は、揃ってマスクをつけている。アッキちゃんは黒いマスクを愛用している。芸能人って感じでかっこいい。

 あたしは、普通の白いマスク。

 アッキちゃんと並んで歩くと目立つから……顔を隠したくて途中のコンビニで買ったのだ。


 それはそうと、アッキちゃんの部屋である。どうしよう、とあたしがひとりでワタワタしていると、アッキちゃんがジト目で見てきた。


「変なこと考えてる? 考えてもいいけど、付き合ってないのにそういうこと考えちゃうひと?」


「考えてない! でででも推しの部屋に入るって、大事件だから緊張する」


 ホームに電車が滑り込んでくるときの警笛で、アッキちゃんの言葉の最後の部分はうまく聞き取れなかった。

 

 ホームドアが開いて、車両から乗客が大量に吐き出される。誰かに押されて、アッキちゃんの細い肩に、あたしの健康的な二の腕がぶつかる。ならんで立つと、やっぱりアッキちゃんは小柄だ。

 吸い込まれるみたいにして、列にならんでいた人たちが車内に入っていく。

 

 あたしが一歩踏み出しても隣のアッキちゃんの足は止まったままで、乗らないのかな? と思ったときだった。


「ん!」

 

 アッキちゃんがすねたような顔で手を差し出してくる。

 あ、あ~、そういう感じか。構ってちゃんなの、マジなんだ……。


「乗ろう、アッキちゃん」


 指を絡めて手をひくと、アッキちゃんは嬉しそうに目元をほころばせてついてきた。黒のマスクで顔の半分を覆っていても、意外に表情が豊かなアッキちゃんの気分はすぐに伝わる。

 

 これが、【傲慢】の仮面がなくなったアッキちゃんなのか。と思うと、胸のところがくすぐったくなった。あんなに強いアッキちゃんに憧れていたのに、不思議だ。

 

 Sin-sの【傲慢】担当のアッキちゃんを見て、こんな風に強くキレイになりたいって憧れから始まった推し活だけど、いまはどのアッキちゃんもかわいいし大事だと思う。

 すし詰め状態の電車のなか、アッキちゃんの手はひんやり冷たくて気持ちいい。

 

 あたしは自分だけが汗をかいている気がして、恥ずかしくて手を離したくなった。

 でもアッキちゃんは、絡めた指を絶対にほどかせないぞ、という力であたしの手を握っている。


「手、つなぐの好きなの?」


 周りに聞こえると恥ずかしいから、カーブで大きく電車が軋むポイントでたずねる。

 アッキちゃんは小さく首を振った。


「なんていうか、人混みが不安なんだ。ライブのときのこと、思い出しちゃうから」


「そっか……」

 

 あたしが手に力をこめると、アッキちゃんも、きゅ、きゅ、と二回手を握ってこたえた。


「あれ、どんな水だと思った?」


 黒い不織布マスクをずらして、そう問うアッキちゃんの顔は真剣だった。唇が震えている。リップの落ちた唇は血色を失っている。


「どんなって……」


 事件当日の、ツイートの様子を思い出してみる。なんだったっけ、謎の液体を浴びたっていう子のツイートにはなんてあった?

 べたべたして、しょっぱい、生臭い感じ……。


「海水みたいなもの?」


 言ってから、バカなことを言ってしまったと思った。海水を浴びて怪我をしたり、ショックを受けたり、こんな風に怯えたりするはずがない。

 だから、「なんてね」って続けようとしたんだけど、アッキちゃんはますます真剣な表情になった。


「そうだとしたら、おかしいと思う?」


「おかしく、は、無いけど、怖いなとは思う」


「それは、私が?」


 汗をかかないアッキちゃんの手が、小さく震えている。


「私の存在が……怖い?」 


 そう訊ねるアッキちゃんの声も震えている 

 もう一度、アッキちゃんの手を握り直す。うつむいたアッキちゃんの頬の丸みを上から見ていると、衝動的に抱きしめたくなる。

 そんなことは出来るはずがなく、せめて、少しだけ思い切って……空いている方の手でそっと頬を撫でた。

 あたしと同じ、ファンデを塗った肌。でもあたしより白い肌。

 きれいな顔。


 傷の跡を指先でさぐると、小さな凹凸が見つかる。縦に入った跡を撫でる。


「ちがうよ、怖いのは、他の人にはなんでもないものが、アッキちゃんにとって劇薬になるのかもしれないっていう事実のほう。その状況でアッキちゃんが、今までもこれからも生きないといけなかったってこと」


 頬に添えられたあたしの指に、アッキちゃんの手のひらが重なる。

 色を失ったアッキちゃんの唇が動いて、何かを言いかけたときだった。

 

 電車は目当ての駅に滑り込み、アッキちゃんはさっさとマスクを引き上げる。乗った時と反対で、今度はアッキちゃんが先になってあたしの手をひいて電車を降りた。





 アッキちゃんの自宅は、小さな賃貸アパートだった。  


「――これはすごいねえ」 


 彼女の部屋の前、開け放たれたドアの外であたしは呆れた声をあげた。

 憧れのアイドルのお部屋! というワクワク感は既に失せている。

 部屋の外からでも、中の惨状がうかがえたからだ。

 

 加えて、どうやって入っていいものかと立ち尽くすしかないくらい、玄関にまでゴミが積み上がっている。

 畳んだダンボールが下の層にあって、一応ラベルを剥がしたペットボトルがビニールに詰め込まれている。分別をしようとした努力を讃えたいところだけれど、その上に絶妙なバランスを保って、今度は畳まれていないダンボールが積まれているあるのでやっぱり褒められない。


 分析するに、資源ごみに出そうとしたものの出し忘れられ続けたあげく、上には畳むのもあきらめた空のダンボールが置かれた。ってところだろう。みたいな感じだ。


「やっぱり、ヤバいかな?」


 自信なさげに言うアッキちゃんは、物とゴミの層をすいすい登ってダンジョンみたいになった室内に入っていく。

 アッキちゃんの通った足場を覚えておかないと、層を崩して一気に埋もれてしまいそうだ。


「ちょっと一旦コメントはひかえるね。ええと、右足がここで、左足……」


 どんくさいあたしは二歩目にして足場選びを間違えたらしく、ペットボトルを踏んだ。ペキペキペキッ、と派手にペットボトルが潰れる音がして、そのまま滑り落ちるた。

 ホコリと砂と髪の毛――これはアッキちゃんの地毛の白い毛――がスカートにつく。

 

 顎に下ろしていたマスクを引き上げてから、スカートについたなんやかやを払った。アッキちゃんが部屋のドアを開けるときにもマスクを外さなかった理由がよく分かる。


「大丈夫?」


「これ攻略しないと部屋にたどり着けないけど、他のみんなはどうしてるの?」


「みんなって……」


 アッキちゃんが言葉につまる。


「部屋に呼ぶの、毒虫ちゃんが初めてだから……」


 推しの部屋の訪問! そこが汚部屋! に加えて、あたしが初めての訪問者! となって感情がジェットコースターなのだが、ちょっとそれどころじゃない。

 

「あ、そ、そうなんだ。へえ、戴天たいてんとか呼ばないの? あとほら、元カノだか元カレだかは? 呼ばなかったんだね。……って、ちょっと待ってね。マジでどう攻略していけばいいか分からないんだけど、ルート教えてよ」


「ルート? いつもなんとなく『道』が見えてるから、そこを行ってるだけなんだけど」


「修行者みたいなこと言ってないで、素人にも分かるようにおねがいします」


 というわけで手とり足とりで、玄関の資源ゴミ層をなんとか抜けたあたしは、やっとアッキちゃんの部屋の内部への潜入に成功したのだった。

 

 玄関にそびえる層ほどではないけれど、メインの部屋も低い層が出来ていた。

 床に積み上がった層はベッドと同じ高さになっていて、はじめは、層の上に布団を敷いて寝ているのか? と思ったくらいだった。

 

 こっちは全部がゴミというわけではなくて、主に服とか、本とか、ヘアアイロンとか、化粧品とか、食べ終わったお弁当容器とか……まで目に入った時点で、あたしは無言でお弁当容器を手近なビニール袋に詰めた。

 ゴミかどうか判別が付かないものが多いぶん、こちらの部屋のほうがカオスなのかもしれない。

 

「なにしてんの?」


「さすがに食べ物系は早めに捨てたほうが良いでしょ。片付けるよ!」


「食べ物系はそんなに置いてないよお、あっても一週間くらい」


「十分ヤバい! 夏だよ今!」


 と言っている間にも、ハンバーガーショップの紙袋に詰め込まれたバーガーの包み紙とナゲットの紙を見つけたので、紙袋ごとビニール袋に放り込む。

 あたしの額から汗が落ちるのを見て、アッキちゃんがエアコンのスイッチを入れてくれた。

 

 エアコンが異音を鳴らしながら、カビくさい風を吹き付けてくる。

 ホコリが舞い放題になるけど、もう驚かない。


 目についた食べ物系のゴミを袋いっぱいに詰め終わるころには、アッキちゃんはすっぴんに部屋着、という姿になっていた。

 暇を持て余したアッキちゃんは、ウィッグを取り、メイクをクレンジングシートで落として、タンクトップにショートパンツ姿に着替えていたのだ。

 

 使い捨ての黒のカラーコンタクトレンズが枕に放られていて、その周りにはひからびた無数のコンタクトレンズの死骸が転がっている。

 あたしはそれもつまみ上げてビニール袋に放り込んだ。

 応急処置としてはこんなものだろうか。とりあえず座る場所を作り終えて伸びをするあたしに、アッキちゃんがのんきに声を掛けてきた。


「やっと話せるね。隣、座る?」


 キャラクターものの色あせたタオルケットの上にあぐらをかいたアッキちゃんが、隣をぽんぽんと叩く。推しじゃなかったらキレてたけど、かわいいから良し。

 惚れた弱みを感じながら、アッキちゃんの隣に小さくなって座り込んだ。

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