第11話 投げ捨てたりしないで
それから、色々な話を聞いた。元カノからは、液体散布事件の後に振られたってこととか。
アッキちゃんの元カノは、舞火というマキ論推しの子らしかった。液体散布事件の当日、アッキちゃんは救急車を呼ぼうとするスタッフやメンバーをよそに、一人で帰ると言ってライブハウスを出たらしい。舞火という元カノにも、帰るとだけ連絡をしたらしい。
「私は特殊体質で、だから病院に行きたくないの。舞火にそういう事情は話してなかったから、病院に行かないなら元気じゃんって思ったかもしれない。でも、心配だから会いたい、なんて連絡くれるかなって期待はしてたの。
……連絡待ちしながら道玄坂をうろついて、うろついて、どこにもたどり着けないからまたライブハウスの前に戻って、そこにはもう誰も居なくて。
結局、舞火からの連絡はなかった。それで、泣いてたらコンタクトずれちゃって、どうでもよくなって捨てて、そしたら私に粘着してる毒虫ちゃんがSNSで騒いでて」
「誰もいない会場に行こうとしてるなんてバカだと思った?」
「んー。あれって、本音ってことでしょ? なにも自分が知らないまま私に消えてほしくないって。すごく必死だったから、もしかして本当に来るのかもなあって思って、待ってた」
つい最近の話なのに、随分と遠い目をしながらアッキちゃんは言った。
「自分から舞火に『来てほしい』って伝えようとはしなかったの?」
「それで来なかったら悲しいから。それにコンタクトがない顔は見られたくないから、会わなくてよかったのかも」
宝石みたいに光を吸い込む赤い瞳をうるませてアッキちゃんがそう言ったので、胸がちくりと痛んだ。
アッキちゃんは完璧に装った姿だけを、恋人には見せていたのかもしれない。それに、この惨状の部屋に元カノを呼ばなかったのも、幻滅されたくなかったからだとしたら……?
あたしはどうでもいい友だちだから、見せてくれただけなのかもしれない。
自分で、ファンのままでいい、友だちでいい、守りたい、なんて言いながら、特別な扱いを期待し始めている。
毒吐き蛆虫の汚いところがまた、出そうになっている。
「あたしになら、黒コンのない目を見せてもいいって、こと? どうでもいいから?」
ついそんなことを言って、ベッドの脇に置いたゴミ袋をつま先でつつく。もう、これ持って帰っちゃろうかな。帰り道、捨てるところがあるかな。いじけた気持ちで、膝を抱きかかえるみたいにして小さくなる。
かかえこんだあたしの膝頭とあたしの顔の間に、アッキちゃんの頭が、むりやり割り込んできた。
アッキちゃんの地毛の髪はウィッグと違って、細くてちょっと癖のある猫っ毛だ。高級な猫みたいなふわふわのショートカットが、あたしの鼻先をくすぐる。
「違うよ、知りたいって気持ちで来てくれたから。ただ本当のことを知りたいってだけで、解散したあとの会場にくるようなバカだから、見せていいと思った。
……毒虫ちゃんに会ってみたいのもあった。毒虫ちゃんのSNSはさあ、くっだらないし、勝手なんだけど、いつも素の怒りを言葉にしてるだから面白かった。私には素の怒りはない。
【傲慢】の役割が与えられて、やっとそれっぽく振る舞えるだけ。でも、みんなは、そんな私が好きなんだよね」
淡々と語るアッキちゃんの表情は声の調子通りに【無】だった。
「舞火はどうだったの?」
「あの子はねえ、【傲慢】な私が完全なアイドルだって言ってたよ。だから言ってやったの『完全なアイドルはファンと付き合わないよね? 付き合うか推し変するかどっちかにしなよ』って」
「あたしにも同じ試し行動したねアッキちゃんは」
「ふふ、ごめん」
笑うアッキちゃんの髪が頬にふれてくすぐったい。
「それでその子はね、マキ論に推し変した。私と付き合うためにね」
「マキ論に!?」
驚いて思わず顔を上げて大声を出してしまった。
ぎりぎりのバランスを保っていたアッキちゃんが、あたしの膝から滑り落ちてゴミやら雑貨やらの山に落ちていく。うるさい、というように両耳を抑えたアッキちゃんが、その山から顔を出した。
「そんなに驚くことかなあ。別に私は彼女が誰のファンしてても気にしないよ。私を愛してくれたらそれでいいの」
「だってマキ論て炎上芸しかしてない子だよ」
「あー見えてファンサはこまめにするんだよ。貢がせるかわりに安いプレゼント返したりね。それにああやって極端なことを言い出して議論してる子って、強そうだし賢そうって思う人も少なくないって聞くしね」
「ええ~、自分にだけは優しいパターンで落ちるのかあ。SNSの内容めちゃくちゃモラハラなのに」
「みんな自分にだけもらえるお返しに弱いんだよ。ね、元カノにマキ論が返したっぽいだっダッせえピアス見る?」
見る見る~! と二つ返事で教えてもらったのは舞火のアカウントだった。さすがにアッキちゃんに直接マキ論から貰ったピアスの画像を送るなどはしていないらしい。
舞火のアカウントには確かにマキ論推し、と書いてあるし、マキ論の呟きに反応しまくっている。
推し変しろって言われて推し変したにしては、熱心に活動しているような……。
と画像欄を見ているうちに自撮りが出てきた。
いわゆる地雷女子っぽい外見。真っ赤な髪をツインテールにしていて、笑うとえくぼが出来る可愛い子だ。もちろんあたしは嫉妬する。この子が元カノだなんて! しかもアッキちゃんを捨てるなんて! って怒りもある。
ピアスが画像の中央に写っていた。
メッキ丸出しの五芒星のピアスは、彼女のファッションからもヘアメイクからも浮いている。
ピアスをアピりたい画像なんだなってすぐ分かるような自撮りだ。
「だっさいでしょ。多分これ百個は買えるくらいの値段のバッグ貢いでると思うよ、なんかマキ論が楽屋で自慢してたから」
「確かにこれはダサい。それで逆に同担へのマウントだって感じが伝わってくるね」
そんなやりとりをしながらも、あたしの目は五芒星のピアスから離れない。
五芒星……どこかで……。
引っかかるものがあった。
「マキ論ファンってみんなこういうプレ返しもらうの?」
あたしがたずねると、アッキちゃんは「うーん」と考えを巡らせながら、ベッドに這い上がってきた。
腕に『保湿部門ナンバーワン!』という金色のPOPシールが貼り付いていたので、剥がしてあげる。化粧水のボトルについていたものが剥がれて、落ちていたらしい。だらしないな。
「わりとばらまいてるよ。でも毎回デザインは違うかな。オキニの子には星をあげるって噂もある」
「星かあ」
星……星……。
なにかあったはずなんだ。
「あ! ソリコミ!」
「ソリコミ?」
聞き返したアッキちゃんのぽかんとした表情で、知らないのだと分かった。
そりゃそうか、あのときアッキちゃんは攻撃を受けて、怪我をして、街をさまよっていたんだから。情報を集めるどころじゃなかったんだ。
「イヤな記憶を思い出させちゃうかもしれないんだけど、例の事件、あったでしょ……? 変な水がまかれて、アッキちゃんが怪我をした事件……」
アッキちゃんの肩がぴくりと震えた。
クーラーは異音を鳴らし続けていて、部屋はちっとも涼しくならない。でも触れてみたアッキちゃんの肩はすごく冷たかった。
肩に置いた手を滑らせて、細い二の腕を掴む。
さらに手を滑らせて、かたく握りしめられたアッキちゃんの両手を覆う。
「話しても大丈夫?」
「大丈夫……。今日はその話もしたくて呼んだんだし、……何か気になったことがあるんだよね?」
「そう、見当違いかもしれないけど」
目を合わせる。
アッキちゃんの真紅の瞳に、真剣な表情のあたしが映っていた。
「いいよ、話して」
ゆっくりとまばたきをしてから、アッキちゃんはそう言った。
「…………あの日、変な水をまいた男は、ツーブロックヘアだったって目撃情報がある。その刈り上げのところに、五芒星のソリコミがあったって」
こくり、と音をたててアッキちゃんが唾をのみこんだ。
色を失った唇が震えている。
「覚悟はしていたけど、やっぱり実際に目の前に現れると怖いものなんだね」
どこか他人事のように言ったアッキちゃんが、あたしの手をほどく。
冷えた体がくっついてきて、最初は何がおこったのか分からなかった。
抱きつかれている、と気づいたあと、反射的に抱きしめ返した。
「本当に全部話すから、信じて聞いてくれる? 絶対に、途中で投げ出さないって約束してくれる? 私の話も、私のことも」
耳元でささやくアッキちゃんの声があまりにも儚くて、アッキちゃんを抱きしめる腕に力をこめた。
「約束するよ。アッキちゃんのこと、途中で投げ出したりしない。だから聞かせて」
無理やり働かされたエアコンが発する異音だけが、部屋に響いていた。
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