第9話 一生推すよ
「付き合うってどういう? え?」
「まあ落ち着いて、とりあえず座ろうよ。ショボい店だけど行きつけなんだ」
「ショボくて悪かったねえ!」
昭和なカウンターの奥から、酒焼けした声が聞こえてきた。バー兼喫茶店の主がどなったらしい。
声だけだと男の人にも女の人にも思えるけど、ひょこっと覗かせた顔で店の主は女の人――こういうの、ママって呼ぶんだっけ――だと分かった。
怒鳴ってはいたけど、怒っているわけじゃなくて、単純に耳が遠いのかもしれない。ママの年齢は、八十歳はゆうに越えてそうに見える。
アッキちゃんに手を引かれて、アッキちゃんの座っていた席の隣に座る。カウンター席って普段座らないけど、肩が触れるくらい近いんだなあ。
アッキちゃんの目の前には素敵なカップに入った白い飲み物があって、ソーサーにはカップと同じ柄の陶器製のスプーンが添えられている。よく見るとソーサーに飲み物ががっつりこぼれている。
「これなに?」
「ホットミルクだよ。毒虫ちゃんも飲みなよ。ママ! ホットミルクもうひとつ」
「はいはい」
「ちょっと勝手に頼まないでよ、メニューもまだ見てないのに」
「紅茶はティーバッグだし、毒虫ちゃんどうせコーヒーの味なんか分からないでしょ。ジュースは裏のスーパーで買ってきたやつがグラスに注がれて出てくるだけだよ。ホットミルクが一番ウマい」
アッキちゃんのあけすけな物言いにママは無言のまま顔をしかめる。
「あいよ」
と目の前に置かれたホットミルクも冗談みたいにこぼれていた。
ママの手の甲には大きな
あと普通に、老化?
アッキちゃんは細長い脚を組んで、断りなくタバコに火をつける。いつものガ〇ムだっていうのは箱を見てすぐ分かった。
甘いにおいの煙が、赤紫に染められた唇から吐き出されて……かっこいいなあ、じゃなくて!
「付き合うって、なに? 急に」
「付き合うは付き合うだよ。私、今フリーだしさ、めんどくさいの、私。だからかな、振られちゃった。ねえ毒虫ちゃんのアカウントでもいちご大福のアカウントでもいいけどさ、匂わせしてもいいよ」
そう言ってアッキちゃんは二つのカップを寄せて、そばにガ〇ムの箱を置いた。
「しないよ匂わせなんて。ていうか、いちご大福の方にラテあげたのもしかして、妬いてる?」
「別にぃ、あんな不味そうなカスタムのラテになんか嫉妬しないし。いちご大福には友だちが居てよかったね。私のおすすめカスタムも忘れちゃうくらい舞い上がってたんだもんね、楽しそう」
ぷう、と頬を膨らませたアッキちゃんがアルミ製の灰皿に紙巻きタバコを置く。
ホットミルクのカップを取り上げて、飲む。カップの持ち手にもミルクがついているらしく、指についたミルクを見せつけるように舐め取るアッキちゃんは、かわいい。
カップの縁についたリップの跡を指の腹で拭って、その指をれをはナプキンで拭いた。
ついでに唇に塗られていたリップも
リップメイクを落としても、アッキちゃんは三六〇度どこから見ても魅力的な完璧な美女だ。
あたしは、ぽうっと熱にうかされたみたいになってしまう。
「……――じゃなくて! なんで急に付き合うとか言うの? 彼女か彼氏かしらないけど、居たとか振られたとかそういうのファンに言わないでよ。並べたカップ写真撮りたいなら友だちでいいじゃん。それに……」
「それに?」
「アッキちゃんだって
言ってから、「メンバーに嫉妬してます」って宣言に近いことに気づいてあたしは顔が熱くなるのを感じた。
焦って自分の分のカップを手にとって、一口飲む。
ホットミルクは温かくて、甘くて、アッキちゃんのイメージには合わないけどこんな優しい飲み物を飲むアッキちゃんもいいなあと思った。
もちろんこちらのカップもこぼれたミルクでべたべただ。指を拭こうとナプキンに伸ばした手を、アッキちゃんが掴む。
「な、なに?」
「付き合ったら、このミルクを舐め取ってあげることもできるのに?」
う、それは、正直、ドキドキします……。
ってだから、違うんだってば!
あたしは強くてきれいで自由で傲慢なアッキに憧れたわけで、キモいファンみたいに興奮するわけでは……ないはずなんだけど。近くで見るアッキちゃんの魅力にあらがえない。
薄い胸元のタトゥーに目がいく。黒じゃなくて、紫っぽい珍しい染料が使われていて、肉の薄いデコルテによく似合ってる。手描きっぽい素朴な格子柄と、その隣にAKKIの名前。
これには意味と覚悟があって、軽々しく真似するものじゃないって、アッキちゃんは発言していた。それであたしは凹まされたことがある。
そこまで思い出して、あたしは少し平静をとりもどした。
「ファンだから、あたしとアッキちゃんは、ファンと推し」
「でも友だちでもある?」
「友だちって言っていいなら、友だちになりたいよ! それで守りたいし、助けたいし、支えたい。でも、いきなり付き合うのはなんか違うよ」
「ファンってことが壁なの? 友だちが壁なの? それとも女の子同士だから? 支えてくれるっていうなら、付き合ってくれてもいいじゃん」
ずっ、と顔を寄せるアッキちゃんから甘いミルクのにおいとガ〇ムのにおいが混ざった香りがする。
負けちゃだめだ。なんていうか、今のアッキちゃんの感じで付き合っても、それは違うってあたしの直感が言っている。
「ファンだから、かな……? 説明するのは難しいけど、支える方法は色々あるじゃん!」
「うーん、でも私はめんどくさい構ってちゃんだから、分かりやすい関係がほしいの。……そうだ、推し変しなよ。私の元カノもね、元ファンだったけど、気まずいっていうから推し変させたの。そうしたら私と毒虫ちゃんは友だちになって、友だちならそこから付き合うこともあるし問題なくない?」
「推し変は、しないよ」
「なんで? Sin-sのライブで私のステージ姿は見られるじゃん。戴天あたりいいんじゃない? あの子やる気ないからファン増えなくてさー、まあ【怠惰】だし、ファンはベーシックインカムらしいから、そう多くなくてもいいっぽいけど」
「絶対ヤダ! あたしが戴天とのニコイチ営業に嫉妬してるの分かって言うあたり、マジで性格めんどくさいね」
手を振り払って、アッキちゃんの目の前にあるナプキン立てからナプキンを取って指を拭いた。
アッキちゃんはというと、払われた手の行き場をさがして手をひらひらさせている。手は灰皿に置きっぱなしの火のついたままの煙草にたどりついて、それをもみ消した。
「とにかくアッキちゃん以外を推すなんて考えられない。わたしは生涯アッキ推しって決めてるんで」
「困ったなあ、推してくれるのは嬉しいけど、それ以上を求めたいのにな……」
「一生推すって、自分で決めたんだよ。それで一生見守る。助けもする。暇になったら呼び出していい、さみしくなったら手をつないでもいい。でも、ファンでいさせてよ、あたしが生きてる限り。アッキちゃんがもし活動をやめる日がきても、あたしがアッキちゃんのファンなのは一生変わらないの」
アッキちゃんが呆れた顔をした。なにも答えてくれない。
おかしなことを言ったかなって不安になって、あたしは思わずたずねてしまった。
「……もしかして、一生って重い……?」
アッキちゃんの顔が、くしゃっと歪んだ。泣くのかな、と直感で思ったけれど、彼女は泣かなかった。
かわりに唇をひきつらせて笑って言った。
「自分の一生が重いって信じられるのは、ラッキーだね」
その言葉に、カッと頭に血が上るのがわかった。
「さっきから何? 急に呼び出して、あたしに友だちが出来たことに文句言ったりとか、推し変しろとか、つ、付き合うとか! それで一生推すって言ったら、バカにするみたいなこと言うし! アッキちゃんが色々事情ありそとうなのは分かるけど、その説明もなしで振り回されても、本当にわかんない! アッキちゃんからしたら下らないかもしれないけど、あたしの『一生推す』って気持ちはそんな、そんなふうに言われるものじゃない!」
立ち上がって、千円札をレジの横に置くとそのまま店を飛び出した。
地上に登る階段でつまずいて膝を強打した。ああ、あたしはどんくさい。
「こんなとこで転ぶのダサい」
後ろからアッキちゃんの声がする。それから階段を上がる足音。
あたしの横をすり抜けて、一段上のところでアッキちゃんはしゃがんだ。
細くて白い手が伸ばされる。
「毒虫ちゃんをバカにしたんじゃないの。ごめん。話すから、聞いてくれる?」
地上からの日差しを背負って、逆光になったアッキちゃんの人工の髪がきらきらと光った。
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