第8話 喫茶&バー リリィ

 艶のある黒髪がずるりとはがれる。ウィッグだったらしいそれの下には、真っ白な地毛のショートカットがあった。

 まつ毛を見て予想はしていたけれど、実際に目の当たりにすると、やっぱり驚く。

 

「いつもは、全部隠してるの?」


「そう。カラコン、メイク、ウィッグ。アルビノってやつだけど、私のは後天性。生まれた時は違った」

 

 ちょっとの間があって、アッキちゃんは自販機横のゴミ箱に空の紙パックを捨てた。


「加えて今回の怪我だし、ますますメイク時間が長くなってダルい」


「だ、大丈夫だよ。クッションファンデのカバー力、ヤバいし」

 

「でもそろそろ、身を隠さないといけないタイミングなのかもしれない。今回のは、明確に殺意があったし。……【傲慢】の仮面ペルソナがあると楽だったんだけどな。それに、仮の私の姿をたくさんの人に見てもらえるのも、悪くなかった」

 

「楽? 仮面?」


 アッキちゃんが引退をほのめかすのにも動揺したけれど、それ以上に分からないことが多すぎてあたしは混乱のままたずねた。

 聞いてほしいから、そういう言い方をしたのかなって思ったから。


「キャラが決まってたら、何を考えて何を言えばいいのか決まってるから、楽なの。私は空っぽだから。素の私に戻ると、何に悲しめばいいか、何に怒ればいいか、何に笑えばいいか、そういうの、考えられなくなっちゃう。でも、毒虫ちゃんの毒は効いたの。タトゥーに触れたでしょ、あれにはね、怒れた」

 

「……それは本当に、なんていうか、あたしがバカだったと思う。でもやっぱり、なんであんなに怒ったのかは、アッキちゃんの言葉だけだと伝わらなかったよ」


 アッキちゃんの言葉は難しかったけれど、落書きタトゥーの件にだけは反応できた。

 

「言えない事情があった。毒虫ちゃんの言った通り、構ってちゃんなんだよ私。こんなところに座り込んでいたのもそう。それで、最後まで構ってくれそうなのが、毒虫ちゃんだったわけ」


 淡々とアッキちゃんが答える。それから、あたしの紙パックのお茶をとって、一口飲んだ。


「喋りすぎて喉乾いちゃった。これ残り全部もらってもいい? それとも、返してほしい?」


 いたずらっぽく笑う、素のままの姿のアッキちゃんは、かわいかった。

 あたしが好きになったきっかけの、Sin-sのアッキちゃんと今目の前にいるアッキちゃんは姿も性格も違うけど、どちらもアッキちゃんにしかない魅力があって、それがあたしをクラクラさせるんだ。


「ねえ、アッキちゃん。アイドル、辞めるの……? 辞めたら、あたしはもうアッキちゃんに会えない……?」


「どうしようかな、毒虫ちゃん、ストーカー能力は低そうだからなあ」

 

「ストーカーなんてしないよ! あたしは汚い毒吐き蛆虫だけど、アイドルとしてのアッキちゃんを応援しているのは本当なの。それに、すごい勝手なこと言うけど、ステージに立つアッキちゃんをまだ見てない。試験が終わったら、やっと現場勢になれると思ってたの」

 

「ふうん……」


 あごにストローの先をあてて考えたアッキちゃんが、急に空の紙パックを放り投げてきた。

 あわててそれをキャッチするあたしに向けて、アッキちゃんが微笑みを向ける。


「じゃあ、 。毒虫ちゃん」


 自販機の発する光が後光みたいに差して、アッキちゃんの真っ白な髪をきらきらと透けさせた。


 

 


 空になったお茶の紙パックを手にしたまま、帰宅した。どうやって電車に乗ったのかは記憶にない。

 玄関ドアを開けた瞬間からお母さんにさんざん言われたけど、全部右から左に抜けた。

 とにかくアッキちゃんは『休養』だって約束してくれたし、それなら絶対に復帰ライブには参戦しなくてはいけない。頭の中はそれでいっぱいだ。

 

 現場に参戦するときには、何があってもアッキちゃんを守れるように、位置取りに気を付けよう。頭の中でライブの参戦計画が組み立てられていく。

 ライブに行くためには親を納得させるだけの成績は収めたい。そう思えば試験勉強だって頑張れる。苦手だけど、人に頼ることだって出来る。


 ということで浜野と五井に声を掛けてみたら、あっさり勉強グループに入れてくれて、かえって拍子抜けした。


「加々見ちゃん推し活に忙しいから誘っていいか分からなかったんだよね」


「ていうかちょっと避けられてたとこない? って思ってた」


 浜野も五井もそう言ってあたしの腕を掴んで図書室に連れて行ってくれたし、あたしの数学の惨状を知った五井は「もっと早く頼れ」と怒ってくれまでした。


 あたしの認知は自分で思ってるよりも歪んでいるらしい。

 

 そんな感じで迎えた期末試験最終日。最後の科目の数学が終わって、浜野と五井のところに駆け寄った。

 

「まあ、いけたんじゃないでしょうか!」


 開放感からガラにもない大声が出た。

 

「頑張ってたもんね」


「もえ、マジで最初は問題文の意味すら分かってなかったもんね」


「その節は大変お世話になりました」


 手を合わせて言ってみると、ふたりが歯を見せて笑う。

 

 流れで、お疲れさま会になった。

 チェーンのカフェでラテなんか頼んでみる。店員さんと、浜野と五井のおすすめのままに、内心「高い」と思いながら注文したラテはキラキラ系の画像投稿SNSでよく見るアレという感じだった。

 

 こんな陽キャっぽいものを、あたしが飲んでいいのか……!

 

 うっかり一口飲んだあとで、三人分いっしょに写真撮ろうよ、と五井に言われて、慣れてなさがバレバレだったけど、まあご愛嬌だ。

 

 どれだけ浮かれてもいいんだ、って気持ちになったあたしは三人で撮ったラテ画像をいちご大福のアカウントに上げた。


 

  いちご大福(一生アッキ推し) @icchhii5d_akki

  試験終わった~(*´ω`*) これで現場参戦出来る! 勉強がんばったので友だちとおつかれ会したよ!

  店員さんと友だちに教えてもらったやつにした~

  アッキちゃんがよくやってるカスタムは覚えてなくて出来なかった…(´・ω・`)

  ライブ復帰楽しみだなー♡


 

 見てみろ! この陽キャぶりを! そんな感じが投稿にあふれていたと思う。

 

 カフェを出て浜野と五井と別れた後、一人で歩く足取りも軽い。

 甘いラテと店内の空調でひえひえになった体で、初夏の日差しのなかを泳ぐようにして進んでいくのが気持ちいい。

 

 そんなときに通知があった。

 毒虫アカウントの方にDMが来ているらしい。


「誰から?」

 

 って画面を操作して、目に飛び込んできたアイコンにあたしは驚いた。

 アッキちゃんからだった。

 

「え? ほんとに? アッキちゃんから? 直で? まじで?」


 ひとしきり道端で不審者っぽくひとりごとを言ってから、あたしは震える指でメッセージを開いた。

 そこにはただ地図アプリのリンクだけが貼られていた。地図にささったピンが示すのは新宿の……どこ?

 

 アッキちゃんがどういうつもりなのかは謎だけど、来いと言われているのは分かった。それも多分、すぐに来いって言われている。

 新宿に一人で行ったことなんてないから怖いけど、アッキちゃんに会えるなら行かない理由はない!

 

 

 


「――ってここ、下りていいとこ?」


 あたしは地下につながる階段のまえでさっきからずっとうろうろしている。

 古めかしいアーチの看板があって、スナックや居酒屋の名前がずらりと並んでいる。

 

 制服姿のまま繁華街を歩くだけでもかなり緊張したのに、ピンが示した店はこの地下飲食店街のなかにあるらしい。

 と、視界の端に、青少年ナントカ、って書かれた腕章をつけたおじさんが通った。

 

「あ、あ~、期末試験終わったから早く帰れて助かるな~! お腹すいたから牛丼でも食べちゃおうかな~!」


 焦って大きめのひとりごとを呟いて、真面目な学生アピールをする。

 このセリフ、駅を出てからもう三回目である。こんなことまでして、行った先にアッキちゃんが居なかったらアホみたいじゃない? ……っていうのもここにつくまでに二十回は考えた。

 

 そのたびに思い出して自分を励ましたのは、あの夜にアッキちゃんが行ってくれた言葉だ。


『休養明けに待ってるよ』


 って。


 ――そうだ、アッキちゃんを信じよう! 休養明けに、って確かに言ってくれたんだからんだ。

 

 てっきりライブで顔を見せてくれるという話だと思っていたけれど、それよりももっとトクベツだったらしい。アッキちゃんのトクベツ待遇に応えなオタクがいるだろうか。気合を入れろ、あたし。

 意を決し、階段をおりてアッキちゃんに指定されたお店のドアを開けた。

 お店の前の看板には『喫茶&バー リリィ』とあった。

 古めかしいドアは、開けると鈴がチリンと鳴った。

 

 カウンターの中から「いらっしゃい」と枯れた声がした。男の人の声か女の人の声か分からないけど、お年寄りだってことだけは分かった。

 入ってすぐのカウンターには、古式ゆかしいレジがある。お金を出し入れするだけのレジ。チーンとか鳴りそうなやつ。

 

 その隣にはダルマがあって、それからピンク色の公衆電話。テレビの昭和特集でしか見たことが無いやつ。

 色あせたビロード張りのソファ席。真ん中に置かれたやたら大きい葉がわさわさ顔を出している花瓶。

 

 それから……とお客さんのいない店内を見渡すと、入り口から死角になるカウンター席につやつやと光る黒髪の頭があった。


 アッキちゃんだ。

 あたしを見て、いつものアイドル姿のアッキちゃんが立ち上がって、近づいてくる。

 その顔を見て、頬の傷、ちゃんとメイクでカバー出来て良かったなと思った。


「毒虫ちゃん、ひさしぶり。ねえ、付き合わない?」


「うん、ひさし……、えっ? なに? 付き合っ……なに??」

 

 動揺して叫ぶあたしを見て、アッキちゃんは肩にかかった髪を大げさにはらった。シャンプーのCMみたいに、ウィッグの髪がきれいに広がった。

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