第4話 ハロー、毒虫
壁を越えた先に居たのは、泣き、笑い、怒り、全部の感情を顔に乗せたあたしだ。
そのあたしのお腹から、気持ち悪い虫が這い出てくるみたいな感じ。
いちご大福でもない。鏡餅でもない。あたしの、加々見もえのぽっちゃりしたどんくさい体から出てきたのは『毒虫』だ。
醜くて、触れただけで肌がただれるみたいな、毛のいっぱい生えた芋虫だ。
そうしてあたしは愚痴アカウント、毒虫@dokuhakiuzimushi をその場で開設した。
かかとから染み込んだ雨水は、つま先までじわりと染みていて、感覚がなくなるくらい冷え切っていた。どうでもいい。足の感覚なんて関係ない。指だってかじかんでろくに動かないけど、タッチパネルの操作は出来る。
毒虫@dokuhakiuzimushi
傲慢担当さん、自分は繊細構ってちゃんじゃん
アカウントに鍵はかけない。だって毒虫は、毒虫として
タトゥーにどんな物語があるのか知らないけど、あたしの画像投稿はアッキちゃんに傷をつけたらしい。
これからは毒虫の毒が、彼女をじわじわ侵していく。
怒りを自覚し、攻撃性を
歓喜の震えだった。
五時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
これ以上、部活棟の裏にとどまっていることは難しそうだ。
六時間目とホームルームに現れなかったら、先生が探すだろう。保健室からとうに出ていることは、探ればすぐに分かる。騒ぎになっても困るし、怒られるのも嫌だ。
となると、バレずに放課後にリュックだけ取りに行くのは無理だろうな。
それに、体が凍えて限界だった。
朝から太陽の熱が射していない一日は、時間が進んで午後になるにつれて芯から冷え込んでくる。
濡れた制服や靴下が
ため息をひとつつくと、あたしは教室へと向かった。
休み時間の喧騒にまぎれて、気配を消して自分の席に向かう。
入り口近くの席の男子Tが、目ざとくわたしを見つけた。
「鏡餅だいじょぶ?」
無視。したいけど陽キャで強者のTを露骨にスルーするのは、クラスで生き残るうえで賢いふるまいではない。
「あ、うん、へいき」
「夜遅くまでSNSしてるもんな。アイドル? の応援してるんだな。自撮りいけてんじゃん、加工やべーけど。ていうかこの『いちご大福』ってさあ、鏡餅からいちご大福にクラチェンしたの?」
カアッと、顔が熱くなるのが分かった。
なんでこいつ、あたしのアカウント知ってるの?
別に、推し活用アカウントだから、余計なことは書いてない。それにあたしの推してるSin-sもアッキちゃんも、クールなアイドルだから恥ずかしくない。
……はずなんだけど、陰キャとしては陽キャにネットの顔を知られただけで大ダメージだ。
「推し活がんばってね~! あと体調もお大事に!」
まだ笑ってるTに、「へへ、ありがと」と曖昧な笑顔を返してやっと席に戻れた。
次の授業は古文か、と教科書を用意しているところで、浜野と五井がすすっと寄ってきた。
もうチャイムが鳴ろうっていうのに、なんの用だろう。なんとなく、分かってるけど……。
「ねえねえ、推し活アカウントまであるの?」
「ガチじゃん。ていうか自撮り見せてよ~! ふだん全然写真撮らせてくれないよね」
「ブスに写ったのが友だちのスマホに残るのきついんだもん。自撮りは何回も撮り直してや
っとだし……って、別に推し活アカなんか興味ないでしょ……」
「Sin-sには興味ないけどいちご大福にはある~」
「それそれ、加々見ちゃん謎多い。ていうか高田ウザいね、ほんとガキっぽい」
「絶対好きだろあれ。好きな子からかうとか今どき流行らんって」
「そんなんじゃないと思うけど……とにかく推し活アカは教えられないよ……」
「え~」
「いいじゃん~」
Sin-sにもアッキちゃんにも興味ないくせにイジるためだけに来るなよ。って思う。
けどそんなこと言ったら場が冷めるのもわかるし、地味子グループのなかでもハブられたらぼっち飯になってしまう。
あたしは、引きつった笑いを返すしかなかった。
泣きたい。
実際、チャイムが鳴って二人が解散してくれなかったら、二人の前で泣いちゃってたかもしれない。
当然だけど、授業は頭に入らなかった。
お腹のなかでハムスターがぐるぐる車を回して終わりのない運動をしている。行き場のないエネルギーが、カッカと燃えてる。
ノートに押し付けたシャーペンの芯がぼきぼき折れた。
ぐるぐる、ぐるぐる……、ハムスターの回す車は火花を散らし始めて、小さな炎が立ち上がる。
炎から逃げるためにさらに車を回すハムスターを、炎が覆っていく。燃える燃える、ネズミの
全部燃やせ。
ぼきぼきになったシャーペンで、ノートに書きつけた。
全部燃やせ。
毒虫@dokuhakiuzimushi
Sin-sもっと貪欲にいけよ
推してて良かったって思わせてよ
毒虫@dokuhakiuzimushi
ファンに価値をあたえるのがアイドルじゃないの?
毒虫@dokuhakiuzimushi
クラスのやつは何もわかってない
学校燃やしたい
毒虫@dokuhakiuzimushi
ギブアンドテイクだろ
ファンに価値を返せよ
放課後の帰り道。バス停でも、バスのなかでも、家への道でも、あたしは毒虫アカウントで連投する。
ここにしか吐き出す場所がなかった。
加々見もえとしては言えない、本音を書き込むたびに鏡餅がヤスリで削られて、表面がざらざらと毛羽立っていく。
醜い、ダサい、ショボい、どうしようもない。
へこむんだけど、同時に、自傷の気持ちよさがある。
そしてこれはアッキちゃんへの攻撃でもある。
受け止めて欲しい、あたしの本音を。体がまたぶるっと震える。癖になりそうな感覚だ。
「ただいまー」
誰もいない家に帰る。部屋に直行して、リュックを床に放り出して、ベッドに寝転がる。
毒虫@dokuhakiuzimushi
自分がガキすぎて嫌になる
毒虫@dokuhakiuzimushi
マジのタトゥー入れたい
でもそれでも認められないんだろうなあ
毒虫@dokuhakiuzimushi
なんで自分が自分なんだろ
なんであたしはアッキちゃんじゃないんだろ
推し活もまとも出来ないクズ
「はあー、最悪」
突っ伏して、スマホを放ったところで寒気が襲ってきた。
体が冷え切っていたことを思い出して、紫色の毛布を被ったら急に眠気がおそってきた。
「どうでもいい、どうでも」
呟いたら涙がまた、つーっと流れた。頬を伝って、耳に入る。
気持ち悪いなあと思いながら、寝た。
起きたら、スマホの通知が光っていた。ポップアップで、投稿にいいねがついたという通知が出ている。
毒虫アカウントの方だった。
燃えろ燃えろと思ってたけど、ほんとに炎上? それだったらもっと通知が止まらないはずだから違うかあ。
そう思いながらSNSを開く。
AKKI @prideprejudice_kk の文字が目に入る。心臓が縮みあがった。
毒虫の全部のコメントにいいねがある。それに……、
「フォロバされてる!?」
見間違いかと思って何度も見返したけど、やっぱりアッキちゃんからフォローが返されていた。
あれだけ熱心に応援していたいちご大福の方じゃなくて、クソみたいな毒虫の方に? なんで?
頭のなかにハテナがいくつも浮かんだ。
推しにフォローされる愚痴アカって何?
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