第3話 最悪の認知

 ああ、なんで手の甲のアッキちゃん風タトゥー落書きをアップする、なんてことをしてしまったんだろう。


 一晩寝て冷静になればよかったのに、あたしは愚かにも計画通り、手の甲のタトゥー落書き画像をアッキちゃんへのコメント欄に投稿してしまった。



 その結果どうなったか? 認知された? それはそう。

 でも悪い方向で、だ。


 アッキちゃんのおはよう投稿に返事を送ってから、あたしはずっと落ち着かなかった。いつ反応を返してくれるかな、って、午前中の授業はいつも以上に上の空だ。


 通知は、来なかった。


 おかしいな、とお昼休みにじっくり確認してみて、気づいてしまった。あたしの投稿画像が意図的に無視されていることに。

 もともとアッキちゃんはまめに返事をしないけど、既読を示す「いいね」のチェックはつけてくれる。

 それなのに、いいねが返ってこなかった。確認してみたら、ほかのファンからのコメントにはいいねがついていた。


 あたしだけが無視されたのだった。

 朝から雨が降り続く、息苦しい梅雨の日。あたしの胸にも除湿剤のプラスチックケースみたいに、水が溜まった。

 タトゥー落書きは、学校の手洗い場の石鹸ではきれいに落としきれなかった。

 こんなに洗っても、あたしの手は苦労しらずで平和にふくふくしているのが憎たらしかった。

 五時間目がはじまる前に、あたしは、お腹が痛いと言って保健室に逃げ込んだ。教室にいたら、きっと泣いてしまうから。

 保健室のベッドに横になって、こっそりSNSを見る。

 タイムラインを更新すると、アッキちゃんがコメントをしていた。


  AKKI @prideprejudice_kk

  このタトゥーは呪いだし覚悟だから、表面だけ真似すんのはやめてほしい

  こんなの無いほうがよかったってずっと思ってる

  知らなくていいし分かるはずないけど

  かっこつけでやってるわけじゃないんだよ


 心臓がばくばく脈打って、こめかみが痛くなった。

 指先が冷えて力が入らなかった。

 保健室のベッドの白いシーツが、そっけない肌触りのままあたしの体を拒否していた。悲しみのままシーツに沈みたかったのに、許されなかった。


 いつもの書き込みよりも抑えられた口調の投稿が、逆に彼女の怒りの大きさを表しているように見える。

 見えるというか、そうなんだろう。体の内側も外側もちくちく細かい棘で刺されたみたいに、痛かった。

 いち茶の間ファンであるいちご大福への認知は、こうして最悪の形で始まったのだった。


 お昼休みが終わっても、あたしは保健室のベッドから出られなかった。

 あたしは、アッキちゃんを怒らせてしまった。

 アッキちゃんは傲慢だしファンにも塩対応だけど、等しく石ころ扱いだった。それなのに、今回はあたしだけが無視されてる。

 それだけひどいことをしたのだ。

 そのことが、辛い。どうしていいのか分からなくて、震えが止まらない。

 どうしてか涙は出なくて、ひとはショックすぎると泣けないのかもしれないとぼんやりと考えた。うっすら残った手の甲の落書きのあとを眺めながら。

 カーテンがカーテンレールを走る、しゅうっ、という音がする。

 カーテンで仕切られた保健室の空間は、校内における聖域アジールだ。隙間から顔を突き出した保健医が、あたしをここから出せるかどうかを確認しようとしている。

 アジールから、学校という社会への追放。


「どう? 鎮痛剤効いた? カイロ持ってこようか?」


「あ、生理じゃないんですけど……」


 問診票に書いたはずのことを繰り返すと、保健医は、分かってるというようにうなづいた。

 唇が乾いていて、喋るとひきつって痛かった。

 すごく寒いし、きっと顔色も良くないはず。


「ちょっとまだ、無理そうかな?」


「そう……ですね。頭も痛いし、寒いんで」


「水もってくるね、脱水もあるかもしれないから。あとこれ、体温計。一応もう一度はかってみてね」


 そう言ってカーテンを開けたまま保健医の先生が引っ込んだところで、フリーズしていたあたしの涙腺が急に働き出した。



 やさしさってこういうふうにやって来るんだなあ。

 おそろいのタトゥー落書きをアピりたいなんていうのは、ほんとうにエゴでしかないんだなあ。


 自分の浅はかさを思い知って、あたしはこぼれるままに涙を落とした。

 喉が詰まる。ヒッとか、ぐう、とか抑えきれない嗚咽がもれて、どうしようもない。


「加々見さん?」


 保健医の先生のサンダルの音が早足に近づいてきて、あたしは飛び起きてベッドから降りる。

 かかとを踏んで上履きをつっかけて、うつむいて髪で顔を隠したまま、保健室から逃げ出した。


 保健室のベッドで泣いている女子高生、なんてあたしの自意識が許さない。そういうのはもっとかわいい子が、恋愛とか家庭の悩みでするものなんだ。

 推しのアイドルに無視されて泣く陰キャなんて、真剣に心配されればされるほど、いたたまれない。


 教室に戻る途中にトイレで顔をチェックすると、鼻は赤くなり、目は腫れていた。いかにも悲しいことがありましたって顔だった。こんな顔で教室に戻ったら、今度は『友だちならこうするよね』って、コンピューターのプログラムコードにそったみたいな、うわべの心配を向けられる。


「みじめだ……」


 口に出してみたら、ますます惨めさがつのってきた。


 教室に戻りたくなくて、部室棟の裏に行くことにした。ヒビの入ったコンクリートの犬走りに、軒から落ちた雨水が落ちて、小さな水溜りをところどころに作っている。

 そのうちのひとつを知らずに踏んでしまったみたいで、靴下のかかとが濡れて気持ちが悪かった。


 落ち続ける雨水を眺めながら、部活棟の外壁沿いに座り込む。

 怖いから二度と開きたくないけれど、あたしの画像は消さないとだめだ。震える手でジャケットのポケットからスマホを取り出して、SNSのアイコンをタップする。


 それだけで息が乱れる。すう、はあ、と深呼吸を三回して、自分のアカウントのホーム画面を見た。


 画像つきの投稿は消した。それから、アカウント削除のボタンをタップしようか迷う。



 いちご大福は最悪の形で認知されたし、きっとファン界隈でも笑いものだろう。全部消してしまいたい。

 でもいいね欄に溜まった数々のアッキちゃんからのいいねも、アカウントを消したら消えてしまう。


 小さな繋がりだけど、あたしとアッキちゃんにはまだこれしかないから。まだしがみつきたい気持ちがあって、消す勇気が湧かなかった。

 アッキちゃんからしたら不快なアカウントになってしまったかもしれないのに、あたしはつくづく、勝手なんだろうなと思う。


 勝手、勝手かあ……。

 でも勝手って言ったらアッキちゃんだってわかりにくいよ。

 なんでタトゥーが地雷なんだろう。だってアッキちゃんは、あれだけタトゥーを強調するような画像出してるじゃん。


「……それでいきなりキレてあたしだけ無視するとか、ちょっと陰険っぽくない?」


 声に出して言ってみたら、悲しみとへこみが裏返って、怒りがむくむくと頭をもたげてきた。


「かっこつけじゃなくて、呪いで、覚悟のタトゥー? でも入れたのは自分でしょ? ちゃんと説明したらいいのに、なんか回りくどい書き方するし。察してちゃんとかダサい。アッキちゃんのくせに、ダサい」


 いくらでも文句が出てきて止まらなくなってきた。

 また涙があふれてきて、目と頬が痒くなる。自分の体から出たものが、自分の皮膚を攻撃して荒らす。それって変な現象だと思う。


 今度の涙は、変な言い方だけど、気持ちよかった。

 頭がぎゅんぎゅん回転する。さっきまでの消えたい気持ちが霧散して、また脳内麻薬があたしの脳を浸しはじめているのを感じる。


 この感情は、怒りだ。

 自己嫌悪の袋小路におちいっていたあたしが、ひょいと壁を越えたきっかけは怒りの自覚だった。

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