第2話 雨ににじんで格子柄

 アッキちゃんのタトゥーに似た色の、紫色のインクのボールペンを買った。

 紫色のペンは一度ノートをとるのに使ってみたけど、シャーペンの黒と似ていてあんまり意味がなかった。

 でもいいんだ。アッキちゃんのメンバーカラーが紫だと知ってからは、ペンを持ち歩くだけで嬉しくなった。


 やがてあたしは、寝るときにだって、枕元にペンを置くようになった。

 日課のアッキちゃんへのおやすみコメントをして、ペンを見つめて、クロロンちゃん(これもアッキちゃんのメンバーカラーに合わせて買ってもらった紫色だ)の毛布にくるまって眠る。クロロンちゃんはファンシー雑貨メーカーの人気キャラクターなんだけど、とくに地雷系と呼ばれる界隈で人気がある。地雷系に憧れのある地味系(イコールあたし)としては、外で使う勇気がない。だから毛布くらいしか使えないんだよね。


 アッキちゃんみたいになりたくて、ダイエットもはじめた。

 癖のつよい髪を、毎朝ストレートアイロンで伸ばすようになった。めんどくさいけど。

 そして、左手の甲にアッキちゃんとお揃いの格子柄こうしがらを描いた。紫色のペンで。

 少しずつ変われている気がしていた。


 ――でも何も変われていないって知ったのは、梅雨に入ってからのバスケの授業で、体育館への移動中のことだった。


 渡り廊下から体育館の入り口にいたるところで、屋根がとぎれる所がある。

 コンクリートが濃く色を変えていて、ほこりっぽい雨のにおいがただよっていた。そこをあたしたち地味子グループは、頭に手をやってきゃあきゃあ言いながら、地味なジャージ姿で走る。

 渡りきって、体育館の入り口に突き出した軒の下で肩のしずくをはらっていたら、地味子Aこと浜野が言った。


「最近ダイエットしてるよね。お弁当ちっちゃくなってるし」


 地味子Bこと五井もそれに続く。


「髪もさらさらにしてるよね~。好きな子できた?」


 となるとあたしが地味子Cか……。

 こいつら、あたしのことになんか何も興味ないだろうに、なんでそんなこと聞くんだろう。と思いながら黙っていると、浜野が五井に耳打ちをして、二人の会話が始まってしまった。


「加々見ちゃんアイドルオタクなのに、好きな男子とかありえなくない?」


「アイドル?」


「ほら……手の落書きのさあ」


 浜野があたしの左手を見て言った。……バレてる。

 ていうか、Sin-sを知ってる浜野にバレないはずなかった。

 どこかで認められたい気持ちが無かったか? と自分に問えば、口ごもってしまう感じ。少なくとも、こんな風にひそひそと話題に出されるのは望んでいなかった。



「あれそうなんだ。え~、でも現場に男いるんだし、ありえなくはなくない?」


「でも加々見ちゃんが推してるのって、色モノアイドルだよ」


「人気ないアイドルの現場ほど顔見知りばっからしいじゃん。付き合っちゃうとかあるでしょ」


「マジか~」


 マジなわけないだろ。って言えたら良いのに。それに残念ながらあたしはまだ、ライブ現場に行けていない、いわゆる茶の間勢だ。ということすら言い返せない。

 同類の地味子A・Bだと思っていたのに、その相手にすらあたしは言い返せないんだから情けない。


『特別になりたいやつ、くすぶってるやつ、インスタントに違う自分になりたいやつ、あたしを推さない理由なくない?』


 アッキちゃんの投稿を思い出す。

 それを目にして、確かにあたしはビビっときたはずなのだ。その傲慢ごうまんぶり込みで惚れて、憧れて、アッキちゃんになりたいと思ってる。それなのに外側だけ少し近づけて、満足しようとしている。

 こんなファンを見て、アッキちゃんはダサいと思うだろう。


 せめて、Sin-sとアッキちゃんについては馬鹿にすんな! って言えないと、ファンとして駄目じゃない? って思う。思うけれど……。

 でもこいつらは、みんなセンスのない奴らなんだ。

 センスない奴に、分かってもらおうなんて無駄な努力じゃない? って思うあたしもいる。


 そんな風に悶々としている間に、体育のバスケは終わった。

 地味子ラベルをがしてみれば、浜野はいいパスを一度していたし、五井はあたしより足が遅いけど必死で走ってた。あたしだけ、個別具体性がない。

 地味子A・Bがと浜野と五井って名前を得てしまった途端とたんに怖くなって、あたしはもうこの二人も無理な気分になってしまった。




 学校でのモヤモヤがあったからなのか、帰宅して自分の部屋のベッドにつっぷしたときにはいつも以上に疲れていた。

 横になったあたしの鼻先で、スマートフォンが音と光で通知を告げる。アッキちゃんがSNSに投稿したら、すぐに通知が来るように設定しているのだ。

 また戴天たいてんとの百合営業コメントかな。この時間だとだいたいそうだ、とあたしは察する。


 戴天は【怠惰】担当の、本当にやる気のないメンバーだ。無気力系にシンパシーを感じる人も少しはいるみたいで、その少ないファンを『ベーシックインカム』と呼んでとくにファンサもしないで飼っている。

 好きでも嫌いでもない、と言いたいところだけど、実は嫌いだ。なぜなら戴天は、アッキちゃんとなかよしのニコイチだから。

 見た目がアッキちゃんに全然似合わない、ゆるふわ小動物系なところもムカつく。茶髪ボブにピンクのほっぺに、大きな黒目。細いのに柔らかそうなスタイル。アッキちゃんにすり寄ってないで自撮りでもしててよって感じ。


 名前が戴天なのも意味わかんない。由来は知りたくないから調べてないけど、どうせ頭空っぽの理由に決まってるし。

 不倶戴天って言葉を思い出すけど、あれって確か怖い意味だったような……。戴天は四字熟語なんて知らなさそうだから、関係ないか。

 ……って、つまりあたしは名前にまで文句つけたくなるくらい戴天に嫉妬している。メンバーとの百合営業を、素直に「かわいい~」って言ってあげられない自分の心の狭さも嫌になる。


 気だるくスマホを手にとって、仰向けになる。アプリを立ち上げたあたしは、思わず声をあげた。


「え!? ウソ! 夢? え!? すご……ぐぅ!」


 スマホ、重い。直撃、痛い。頬骨、やばい。


 片言を脳内で繰り返して悶絶もんぜつしつつ考えるに、どうやら興奮のあまり手を滑らせて、顔面にスマホを落としたらしい。

 ほっぺをおさえて涙を流しながらも、なんとかスマホをもう一度手に取る。夢じゃないことを確かめるために、震える指で画面をスワイプする。

 アッキちゃんが、あたしが送ったお菓子を食べながらの自撮りを上げてくれている!

 カラフルなキューブラスクをかじるアッキちゃんは、それを買ったときにあたしが想像した百倍は似合っていた。可愛いお菓子が似合うアッキちゃん、世界一可愛い。



『砂糖のカタマリうめ~!』



 なんて書いてくれていた。

 ああ本当に食べてくれたんだ、しかも美味しいって言ってくれているんだ、と思うとじわじわと幸福の実感がいてきて、今度はあたしは頬骨の痛みからじゃない涙を流した。

 浮かれないわけがなかったのだ。つくづくファンってチョロいでしょって、我ながら思う。



  いちご大福(一生アッキ推し) @icchhii5d_akki

  わ~アッキちゃんがあたしのプレの写真あげてくれてる!かわいいお菓子とかわいいアッキちゃんでかわいいの洪水だ~♡♡♡

  しょぼいプレでごめんね(´;ω;`) ちゃんと受け取ってくれてるの感謝しかない…!



 同担へのマウントコメント。この前にはもちろん、アッキちゃんに直接コメントもしている。

 鍵アカウントからの引用コメントがついて、どこかの同担がヒガミ感情にもだえているのを想像する。

 指がフリック入力に忙しい。脳がめちゃくちゃ気持ち良い。

 ドラッグだよこんなの。やったことないけど。

 完全にキマった状態だった。


『このまえ食中毒さわぎがあったばかりなのに軽率では?』

 なんてコメントがついてるのを見つけたけど、ヒガミ気持ちいいわ、くらいの感情。

 って、このアッキちゃんに絡んでるひと、マキ論推しのヤツじゃん。なにアッキちゃんに絡んできてんの?

 お前の推しのメシマズぶり、もしくはメシマズキャラづくりが滑ってるところをなんとかしろよ。バーカ。

 とは書かないけど、思うのは自由だよね。

 マキ論なんか、麦茶に塩を入れると熱中症対策になるなんて言って、吐き出すくらい塩辛い麦茶作ってくるヤバい奴なんだから。

 二度と食べ物で遊ばないでくださーい! って感じ。



「んー……、ぷはあ!」


 まぬけな息を吐きながら伸びをして天井を見上げる。頭の血が下がって、くわぁんとする。くわぁんくわぁんという揺れを楽しみながら、ぼやけた視界のまま体を起こしてベッドの上に正座する。

 制服のまま寝転んでいたから、スカートのプリーツはくしゃくしゃになっていた。



 スカートに合わせていた焦点を、膝の上で握ったこぶしに移す。左の手の甲には、格子柄のタトゥー風の落書きがある。

 帰り道に雨に降られたからだろうか、落書きが薄くなっているのに気づいて、わたしは紫色のインクのボールペンを手に取った。

 丁寧に、線の一本一本をなぞって格子柄をはっきりと描き直す。うん、いい感じだ。

 そのとき、いいことを思いついたような気がした。


 アッキちゃんとおそろいの格子柄タトゥー落書きをした手を写して、推し活アカウントのいちご大福へ投稿するのだ。

 明日の朝の、アッキちゃんのおはよう投稿に返信する形でもいいかもしれない。そうだ、そうしよう。

 あたしの手は白くてふくふくしていて、いかにもガキっぽくてかっこよくない。それを精一杯、細くみえるように手をくねらせた無理のあるポーズにしつつ、格子柄はばっちり写るようにして撮る。

 加工も忘れない。

 これで、アッキちゃんのコメント欄で目立てるかな、なんて思いながら、わたしはやっと制服を脱いだ。


 スカートを吊るして、シワとりスプレーをかけておく。

 親や先生に文句を言われないように。友だちにおかしいと思われないように。制服を、普通の状態にする。

 香料の安っぽい匂いが部屋に満ちる。

 アッキちゃんは、自分に憧れるファンがいるって喜んでくれるかな。

 明日の朝のことを考えると、ちょっとわくわくした。


「アッキちゃん、一生推すよ」


 あたしは手のひらを天井に向けて、逆光下で色の沈んだタトゥー落書きを眺めながら、呟いた。

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