第4話 夕暮れ時の再会
夕暮れ時、たまたま屋外に出て、前庭の薔薇の花壇にメイドといたヴィクトリアは、正門に着いた馬車を何かしらと見ていた。馬車のあとには護衛らしき騎馬も続いていて、大げさな気配を感じた。
馬車は、ヴィクトリアの横を通り過ぎて車寄せに向かうように見えたが、手前で止まった。
扉が開き、軽やかな足取りで下りてきたのは、ヒースクリフ。
夕陽を浴びた金の髪が、動きに沿って風になびく。目元は涼しく、鼻梁は高く通っていて、頬は滑らかで唇はきつく引き結ばれている。身に着けていたのは、礼装ほど華美ではないものの、動きやすそうな純白の騎士服だった。
目当ては他にないとばかりに、透き通るようなアイスブルーの瞳が、花切狭を手にしたヴィクトリアへと向けられる。
彼の振る舞いのひとつひとつが、身震いするほど、美しく胸に迫る光景だった。
ヴィクトリアは、またもや懐かしさで胸が熱くなり、涙まで出そうになった。
「ヴィクトリア・ブレナン嬢。手紙を受け取りました。どうもありがとうございます」
懐かしい声を耳にして、返事をしなければと思いつつ、喉に熱いものが込み上げてきてヴィクトリアは押し黙る。
鋏を手にしているのを気にしていたメイドが、そっと受け取って、下がっていった。
ヴィクトリアは、じっと立ち尽くしたまま。
(少しでも動いたら、思いっきり泣きそう……。ヒースクリフ、本当に、会いたかった)
どうしても、目を逸らせなかった。
時を遡り、ラルフからヴィクトリアへ生まれ変わったとはっきり自覚した昨日、確信したのだ。
自分が「何か大切なことを忘れている」と子どもの頃からしきりと気にしていた相手は、ヒースクリフなのだと。
その彼がいま、目の前にいる奇跡。
一瞬だって、見逃したくない。
ヒースクリフもまた、少しの間沈黙を保っていた。眉をひそめ、息を殺すようにして、ヴィクトリアを見つめていた。
やがてひそやかに息を吐き出して、目を瞬いた。
「エドガー殿下から、返事をお持ちしました。急ぎ、お渡ししたく、突然押しかけてしまい、申し訳ありません。私もあなたに返事を書こうとしたのですが、どうしても、なんと書いて良いかわからず……。あなたに直接お目にかかれば、適切な言葉が浮かぶかと思ったのですが、そういうわけでもないようです」
言葉を選びながら、自分の戸惑いを告げてくる。その思いを、ヴィクトリアは当然のものとして受け止めた。
(ヒースクリフの真面目なところは、変わりませんね。私が昨日変なことを口走ってしまったから、どう応じるべきか悩んでしまったのでしょう。生まれ変わった私には「前世の記憶」があると言っても、ここはラルフが存在しない世界。この世界のヒースクリフが出会ってもいない相手のことを、言っても仕方がないのです)
自分が口走ったことは忘れて欲しいと思いながら、ヴィクトリアはヒースクリフを見つめて微笑んだ。
「昨日は、危ういところを救って頂きまして、どうもありがとうございます。あなたと殿下のおかげで、私は本当に助かりました。かなうことなら、もう一度お目にかかりたいと願っていました。今日ここで、あなたに会えて良かったです」
前世からの思い入れを、可能な限り表に出さぬよう気を付けて、ヴィクトリアなりに差し障りがない範囲で気持ちを伝えたつもりであった。
だが、ヒースクリフは恐ろしく無表情になってしまった。
アイスブルーの瞳は、睨むような挑むような強さで、ヴィクトリアの姿を捉えている。
(どうしましょう。少し怒っていますか? 馴れ馴れしすぎたでしょうか。ヒースクリフに会えた嬉しさを、完全に抑え込むことは、私にはできなくて)
とはいえ、前世の話をそのまま打ち明けることはできない。
悩むヴィクトリアに向かって、ヒースクリフは押し殺した声で告げてきた。
「あなたには、初めて会ったのに、そんな気がしないのです」
「え?」
ヒースクリフは、ほんの少し前のめりになった。
それから、すぐに姿勢を正す。まるで強固な意志の力で、その場から動かないようにと己の足に命じているようだった。
ヴィクトリアは、不意に前夜、自分から彼に抱きついてしまったことを思い出した。
(あのときは、嬉しすぎて、体が勝手に……)
もう「ラルフ」ではないのだから、気安くあんなことをしてはいけないのに。
もしかすると、ヒースクリフが自分と距離を置いているのは、警戒しているからではないか? と、ヴィクトリアなりに理由に思い至る。
(ヒースクリフは、前の世界で「殿下より先に結婚するわけにはいきません」と言い張って、婚約もしていなかったはず。女性関係はすごく潔癖で、誰に対してもそっけなかったイメージです。こちらには「ラルフ」はいなませんが、今度はエドガー王子に気を遣っていたりするかも……?)
いきなり自分に抱きついてきたヴィクトリアのことを、遠巻きにしていても仕方ない。
彼が嫌がることを、してはいけない。節度ある距離感を心がけよう。ヴィクトリアは、改めて強く決意した。
「お会いするのは、本当に初めてです。会っていたら、忘れません。昨日は……親戚のヒースクリフと勘違いしまして、はい、人違いです」
「親戚?」
おそろしく、ひやっとする口調で、ヒースクリフが聞き返してきた。
ラルフとして付き合いの長いヴィクトリアは、それだけで彼が静かに怒っていることをひしひしと感じた。
(嘘に、気づきましたね。ヒースクリフは、鋭いから。なぜ自分が嘘をつかれるのか、納得いかないのでしょう)
やっぱり嘘はいけないと、ヴィクトリアがドキドキと焦りだしたところで、ヒースクリフは確認するように尋ねてきた。
「あなたには、出会い頭に抱きつくほど親しい親戚の男性がいるのですか。俺と同じ名前の」
俺、という言葉遣いに、静かに怒気が増しているのを感じる。
(これはもう、可能な限り正直に言ったほうが良いように思います。でも「前世」に関しては、言われても納得できるものではないですよね?)
覚悟して、ヴィクトリアはヒースクリフを見上げて、口を開く。
「ごまかして、すみません。以前、あなたをお見かけしたことがありまして、名前を覚えていました。頼る気持ちもあり、昨日は取り乱してすがってしまい、大変失礼いたしました」
真剣な顔で聞いていたヒースクリフは、一歩踏み出してきた。ヴィクトリアの目を見つめながら、訴えかけてきた。
「俺はここ数年隣国で暮らしていたので、以前というのが国内のどこかでということかなら、かなり前になるはずです。それでも『俺』のことがわかりましたか?」
わかりましたよー! と、叫べるものなら叫びたい。
しかし、ヴィクトリアは堪えて、微笑みながら頷くにとどめた。
ヒースクリフは、ゆっくりとまぶたを伏せる。それは、ヴィクトリアの口を割らせるのを諦めたようにも見えた。
(言えなくて、すみません。これ以上馴れ馴れしくなるわけには……)
心の声など聞こえるはずもないのに、ヒースクリフは再び顔を上げて、ヴィクトリアの目を見つめてきた。
「昨日、あなたにお会いしてから、ずっと俺の胸はざわついています。まるで、前世に生き別れた恋人に出会ったかのように、胸が苦しい。あなたとは……俺も、初めて会ったような気がしないのです。もし何かご存知なら、ごまかさないで話して頂きたいと願っています」
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