第30話 その嫌悪が向かう先は?
30 その嫌悪が向かう先は?
「は……っ?」
翌朝――恋矢は自分の部屋で目を覚ました。
〝とにかく今夜はゆっくり休め〟と濱田研吾に強く言われた為だ。
いや、彼に言われるまでもなく、恋矢はもう限界だった。
体の方はともかく、脳の方が過熱しそうだったから。
長時間のサヴァン化は、恋矢にそこまでの負担を強いていた。
それでも彼が午前五時に起きたのは、ココとの約束を守る為だ。
彼はこの時間に起きて、ココの昼食用の弁当を作らなければならない。
今も磯部八介が死ぬ瞬間を夢で見たというのに、彼のココに対する執着は変わらない。
心が折れて、ココを蔑にするなんて事だけは決してない。
天井恋矢とは、そういう少年だった。
現に彼は一時間半かけて弁当を作り、大いなる満足感を得る。
今も傷心である彼は、それでもココの事を考えるだけで救われた。
と、恋矢は新聞に目を通すべく、台所の席につく。
新聞を広げて、隅々まで新聞を読んだ所で、彼は眉を顰めた。
「な、に?」
昨夜の事件が、新聞に載っていなかった為だ。
確かに、時間的に朝刊には間に合わないタイミングだったかもしれない。
磯部八介の殺害が行われたのは、午前零時以後なので、朝刊にその記事が無いのも頷ける。
ただ恋矢は直感的に、厭な予感がした。
その時、彼のスマホが振動する。
電話に出てみれば、相手は濱田研吾だ。
彼はその事実を、余す事なく恋矢に伝える。
『ああ。
結論から言うと――磯部八介の殺害は事件化されていない』
「……何ですって?」
意味が分からないと言った体の恋矢に、研吾は噛み砕いて説明した。
『今朝、磯部組の構成員から連絡があった。
磯部邸に来た警察は、実況見分こそしたが、事件性はないと判断したらしい。
もちろん組員達は、抗議した。
だが〝誰か、磯部八介が殺された瞬間を目撃したか?〟と問われたら黙るしかなかったそうだ。
組員達は事情聴取さえされず、この件は事故死で処理された。
これは、明らかにおかしい。
かなり強い力が、働いている』
「かなり、強い力?」
『うん。
こいつは、どこかの権力者がらみの話だと思う。
警察に圧力をかけられる程、強い力だ。
明らかな殺人事件を、事故死で処理する程の権力。
ぶっちゃけ、そんな輩にはもう関わりたくないと言うのが俺の本音さ。
と言う訳で、所長として命じる。
もう――埋葬月人には関わるな』
「………」
確かにそれは、研吾の本心なのだろう。
自分の様な小さな会社では、その権力者になど到底敵わない。
会社を守りたいなら、これ以上この件には立ち入らない方がいい。
一組織の長としては、当然の判断だ。
『……だが、まあ、そういって聞く奴じゃねえよな、恋矢は。
だから俺は警告だけする。
後はテメエの一存で決めろ。
埋葬月人の件に関しては、俺達は今後一切バックアップはしねえ』
要するに恋矢一人で動く分なら、勝手にしろという事だ。
何かあった場合は、その時点で恋矢を切り捨てる。
そう警告する研吾に対し、恋矢はそれでいいと思った。
「分かりました。
お気づかい、感謝します。
埋葬月人は何としても俺がとっ捕まえるので、楽しみにしていて下さい」
『ああ。
今の台詞も、一切聞かなかった事にする。
ま、程々に頑張れ』
それだけ言い残して、電話は切れた。
今も体は痛むが、恋矢は平然と立ち上がる。
準備を整えた彼は――取り敢えず学校に向かう事にした。
◇
正直な感想を――述べよう。
ぶっちゃけ、天井恋矢は埋葬月人が憎くて堪らない。
人殺しを嫌う彼でさえ、埋葬月人なら殺しても構わないと思っている程だ。
それだけの圧倒的な敗北感を――埋葬月人は天井恋矢に与えた。
徹底的に打ちのめされ、マルタイを殺害されて、逃亡さえ許した。
どう考えても恋矢の敗北は確かで、反論のしようがない。
だが、恋矢としては、ボディガードの矜持などどうでもいいのだ。
彼が許せない点は、一つだけ。
「……ああ。埋葬月人は――俺の前で人を殺した」
誰かが、誰かを殺す。
人が、他人の命を奪う。
恋矢は幼い頃から、それがどれだけ理不尽な事か、本能的に分かっていた。
例え悪人でも生きる権利位はあるだろうと、恋矢は心底から信じていたのだ。
或いは、誰かを護る仕事に就いたのも、その為かもしれない。
天井恋矢は、無意識の内に誰かを護ってみたかった。
それこそが恋矢の〝殺人〟という行為に対する、反発心だ。
生きる権利を、理不尽に奪う。
それ以上にオゾマシイ行為が、一体どこにある?
それこそ究極の略奪行為で、取り返しがつかない事だ。
投獄するだけならまだ挽回の余地はあるが、殺してしまえばもうやり直す事さえ出来ない。
恋矢としては〝人を生き返らせる事も出来ないやつが、人を殺すな〟と言いたかった。
自分と埋葬月人は、そこまで相容れない。
恋矢は、埋葬月人と自分は、生涯理解し合えないと確信したのだ。
「それとも、俺はやつを説得でもするべきだった?」
殺人を生業にしている人間を、説得する。
暴力に頼らず、話し合いで決着をつける。
いや、そんな事は、不可能だ。
埋葬月人とて、誰かに依頼されて殺人を犯している筈。
その依頼人を裏切ってまで、今更殺人行為を放棄する事はないだろう。
埋葬月人が権力によって守られている点が、この推理を裏付けていた。
「とにかく、あいつは何としても、俺がブチのめす」
恋矢はココの他に、また生きる理由が出来てしまった。
だが恋矢にとっては、ココと埋葬月人を同列に扱う事が、何より不快だ。
同じ様に生きる理由には違いないが、この両者では余りも在り方が違い過ぎる。
誰かを癒す事が出来る篠塚ココと、誰かを殺すだけの埋葬月人。
これほど両極端な二人も居ないと、恋矢は思う。
ココはひたすら愛おしいが、埋葬月人はただただ憎い。
恋矢はこの歳になって初めて誰かを心底から愛し――誰かを心から嫌悪した。
そんな事を考えている間に、恋矢は学校に着いて、自分の席に座る。
今も心が乱れているなと自覚しながらも、彼は平静を装った。
と、窓の外を眺めていた彼は、不意に、頭にチョップを受ける。
「――コラ!
怪我をした恋人に、電話もしないとは何事か!」
「………」
彼女――篠塚ココはご立腹な様子で、恋矢を見ている。
彼は、素直に謝った。
「あー、そうだな。
本当に、それは悪かった。
ただ、俺の勤務時間って夕方から夜中でさ。
そういう暇さえなかったんだ」
「………」
すると、ココは黙然としながら、改めて天井恋矢を観察した。
〝今日も見惚れるほど篠塚ココは美しい〟と恋矢が感じていると、彼女は思わぬ事を言う。
「恋矢、怒っている?
それも、激怒するぐらい」
「……は?」
完璧に平静を装ったつもりである恋矢としては、驚くしかない。
彼は改めて、己の未熟さを知った。
「……いや、全くそんな事はないけど、ココは何故そう思う?」
「いえ。
何時もは挨拶がわりに私のスカートをめくってくる恋矢が、そんな気配さえ見せないから」
「――アホか!
いや、間違いなくアホの発想だ!
ココはどこまで俺と言う人間像を、捻じ曲げたら気が済むっ?」
「いえ、私は世界の真理を、説いているだけなのだけど」
「顔を洗って、出直してこい!
お前、絶対、まだ寝ぼけているぞ!」
何時ものやり取りを交わす、恋矢とココ。
いや、恋矢は即座に思い直す。
「……いや、本当に怪我は平気なの?
今日ぐらい休んでも、良かったんじゃない……?」
恋矢は本気で、ココの身を案じる。
しかし、ココは相変わらずだ。
「まさか。
今日から恋矢は、私の為にお弁当を作ってくれるのよ。
だったら、両足を骨折しても、登校するわ。
……それともよもや、仕事にかまけてお弁当を作り忘れた?」
「………」
何時になく感情がない声で、ココは訊いてくる。
恋矢には、冗談を言う余裕さえない。
「ま、まさか。
弁当なら、ちゃんと作ってきたさ。
夕飯も作ってやるから、安心しろ」
さすがに早朝、女性の部屋におしかけるのは躊躇われたので、朝食を作るのは辞退した。
だが恋矢は、ココの昼食と夕食を作る気だけは満々だ。
次の仕事が入る前に、できるだけココとの時間を大切にしたい。
そんな乙女じみた事を考えつつ、恋矢は心底からの笑顔をココに向ける。
と、ココはその笑顔を手で遮った。
「……うわ!
何て素敵な笑顔!
私の様に闇で生きる者には、余りにも眩しすぎる!」
「………」
それがココの本音である事に、恋矢は当然気付かない。
恋矢はただ、呆れるだけだ。
「……ま、いいけどさ。
ココって今日は、何時も以上にハイテンションだよな?」
「あ、うん。
実はライバルが出現して、気が昂ぶっているの」
「ライバル?
そう言えば、ココって何時も何をしているの?」
病院は暇だと言っていた、ココ。
だがあのココの部屋でも、何一つやる事などあるまい。
何しろベッドと、姿見しかないのだから。
料理もしないとなると、ココは何をして暇をつぶしている?
恋矢が深刻そうな顔で尋ねると、ココは肩を竦めた。
「いえ、普通に――ぷよぷ○だけど」
「へ?」
「うん。
休日は朝から晩まで、スマホでぷよぷ○をしている。
ネット対戦だから、結構盛り上がるの。
ライバルというのは、そのぷよぷ○の話」
「………」
そうか。
ぷよぷ○か。
それは実に、健全で宜しい。
恋矢はこの時――心底からココの言い分を信じていた。
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