第29話 激戦を越えて

     29 激戦を越えて


 今度こそ――本当に勝敗は決した。


 天井恋矢は磯部八介を殺され、その犯人である埋葬月人を逃した。

 全ては埋葬月人のシナリオ通り進み、恋矢達はそれを阻む事が出来なかった。


 天井恋矢はあらゆる面で――埋葬月人に敗北したのだ。


 彼が立派だったのは、それでも意識を失わなかった点だろう。

 脳に負担をかけ過ぎた彼は、それでも何とか立ち上がって、磯部邸に戻る。


 満身創痍な恋矢が磯部邸に帰って来た時には、既に日本刀の埋葬月人は居なかった。

 彼は白濁とした意識のまま、濱田研吾を起こそうとする。


「……所長? 所長?」


「つ、あ?」


 研吾の体を揺さぶる、恋矢。

 それで研吾は漸く目を覚まし、飛び起きた。


「――って、今はどういう状況だっ? 

 何がどうなっている――っ?」


 研吾は途中から気を失ったので、状況が全く分かっていない。

 今も項垂れている恋矢は、ありのままを語る。


「……完全に、あの野郎にやられました。

 俺は、何も、出来なかった」


 恋矢は、磯部八介が倒れている方向に、指をやる。

 ピクリともしない八介の姿を見て、研吾は全てを悟った。


「……人身売買に、臓器ブローカー。

 売春の斡旋に、麻薬の売買。

 俺が噂で聞く限りでは、やつはそれ位の事はしている。

 磯部八介も、何時かこんな日が来ると覚悟はしていただろうさ」


「……だから、気にするな、と?」


「さて、な。

 ただオマエの目の前で死んだのは、誰もが慕う成人君主ではないって事さ。

 寧ろやつを恨んでいる人間の方が、遥かに多いだろう」


「………」


 それだけ聞くと、恋矢は黙然としてしまう。

 研吾は彼を気遣いながらも、速やかにこう決断した。


「ここまで来た以上、俺達が出来る事は何も無い。

 警察沙汰になる前にさっさとズラかろう。

 いや、匿名で警察に、この状況をタレこんでおくか」


 磯部組に任せると、警察の介入を嫌って、彼等は組長の死を隠蔽しかねない。

 それでは、埋葬月人に対する警察の捜査も行われまい。


 研吾は埋葬月人に一矢報いる為にも、警察をあてにする。


「行くぞ、恋矢。

 長居は無用だ。

 警察が来る前に、会社に戻る」


「……分かりまし、た」


 恋矢に肩を貸そうとした研吾だったが、恋矢は首を横に振る。

 自分の足でこの場を去ろうとしている天井恋矢は、最後にこう呟いた。


「……所長。

 俺は例えどんな人間でも、護りたかったんです。

 俺の目の前で誰かが死ぬのは、二度と御免だった」


「そう、か」


 それだけ呟いて、研吾は自社のワンボックスカーに向かう。

 恋矢もその後を追って、彼はただ何かを堪える様に歯を食いしばった。


 脳裏に残るのは、磯部八介が殺される瞬間だけ。


 命を砕く音をその耳に残しながら――天井恋矢はこの場を後にした。


     ◇


「と、五分二十秒、か。

 予測より、四分二十秒も手こずった」


 今も走行する車の上に乗っている、かの人。

 かの人は当然の様に、自分がこうまで苦戦するとは、思わなかった。


 一分以内で全てを済まし、逃走する。

 それだけの自信が、かの人にはあったのだ。

 

 事実、あのガスマスクの男が居なければ、かの人は楽に仕事を済ませていただろう。

 日本刀の埋葬月人でさえ、二十秒以内に倒す自信がかの人にはあった。


 その計画を破綻させたあの彼に、かの人は確かな興味を抱く。

 今後も〝仕事場〟で彼と鉢合わせる事もあるかと、かの人は期待した。


「さて、その時はどうする――ガスマスク君?」


 今こそ、仮面を脱ぐ、かの人。

 かの人は頭を何度か振って、長い髪を整え様とする。


 黄金色の長髪と、整った容姿。

 金の瞳のかの人は、確かに女性だ。


 いや、彼女はまだ少女と言える年齢だろう。


 それは紛れもなく、天井恋矢が知っているあの少女だ。


 彼女――篠塚ココはただ一笑する。


 或いは――〝裏の顔の自分〟にも好敵手が現れたと予感して。

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