第25話 うち合わせ

     25 うち合わせ


 恋矢が磯部邸に辿り着いたのは――それから四十分後の事だ。


 自社のワンボックスカーの中で仕事着に着替えた、恋矢。


 彼はガスマスクを被り、濱田セキュリティ会社の社員証を、門を守る組員に見せる。

 屋敷に通された恋矢は研吾と合流して、とにかく謝った。


「すみません、所長! 

 実は今朝から夕方にかけて、思わぬ事が起きて!」


「………」


 と、素直に頭を下げる恋矢を見て、研吾は首を傾げる。


「恋矢、オマエ、付き合ってから二日程でもう結婚したのか? 

 俺はオマエに、おめでとうと言うべきか?」


「――あんなの、ココの冗談に決まっているでしょう! 

 大体俺はまだ十六ですよ! 

 結婚できる様な年齢じゃない!」


「あー、それもそうか。

 つーか、そもそも遅刻の原因は何だ? 

 まさか彼女とデートしていたから、とかじゃないよな?」


「………」


 研吾が浮かべている笑みは、酷薄だ。

 ココの笑顔とは似ても似つかない笑みを見せられ、恋矢は目を泳がせるしかない。


 研吾の指摘には、正しい部分も大いに含まれていたから。


「……あ、いえ、でもただのデートじゃなかったんです。

 実は、俺とココは埋葬月人の足取りを追っていて」


「埋葬月人の足取りを、追った?」


 己の耳を疑う様に、研吾は身を乗り出す。

 それは研吾の発想にも、なかった行為だから。


 彼は眉を顰めながら、恋矢にその続きを促す。


「それは、どういう事だ? 

 まさか恋矢は守秘義務にあたる磯部邸の警護の事まで、その子に話した?」


「いえ、そういう訳ではないんです。

 ただ俺が散歩中に埋葬月人と遭遇したと嘘をついたら、そういう流れになったと言うか。

 俺にとって誤算だったのは、ココの勘が妙に良かった点ですね。

 街に逃げた埋葬月人は、防犯カメラに映らないルートを通ったのではとココは推理した。

 恐らく、その推理は当っていたのでしょう。

 現にそのルートを辿っている時、俺達は昨日と同じ格好をした変質者に襲撃されたんです」


 恋矢が目撃者の事を話さなかったのは、彼にとってそれは都合が悪い事だから。

 恋矢は今でも埋葬月人の正体が明らかにされる事を、恐れている。


「――な、に? 

 マジか、それは? 

 本当に昨夜のやつと、同じやつ?」


 にわかには信じがたい事を言い始めた恋矢に対し、研吾は目の色を変えた。

 恋矢は、ここでは事実だけを語る。


「いえ、服装は同じですが、体格は完全に別人でした。

 例えるなら――ヒグマ?」


「………」


〝どういうレベルの化物に遭遇したんだよ、コイツ等は?〟と研吾は思うしかない。

 彼は、結論から述べた。


「要するに昨夜のやつには、やはり仲間がいたと言う事か。

 そいつは非常に厄介だ。

 いや、オマエ、そいつはどうしたんだ? 

 オマエがここにいると言う事は、そいつはぶちのめした?」


「ええ。

 あの野郎、ココに蹴りを入れやがったんで、右腕をへし折ってやりました」


「………」


 恋矢は、普通に説明する。

 まるで、それが当然の報いであるかの様に。


 世の中には過剰防衛と言う概念もある事を、この少年は知らないらしい。


「……ん? 

 つまり、そいつには逃げられた? 

 仮に捕まえていたらさすがに警察から俺の方に連絡がいく筈だし、そう考えた方が妥当?」

 

 というより、その答えは目の前の少年が知っている。

 研吾はそう我に返って、改めて恋矢に視線をやった。


「ええ。

 ココが負傷したので、彼女の救護を優先しました。

 その間に、あいつは逃げてしまった。

 でも戦闘には、参加できないと思います。

 その程度の深手は、負わせた筈なので」


「………」


 どうやらこの天井恋矢も、昨今の若者の様に、キレると危険らしい。

 取り敢えず、恋矢の彼女であるココと言う娘は、丁重に扱った方がよさそうだ。


「と言う事は、恋矢はまだ警察に通報していない?」


 研吾の持論通り、研吾に連絡が来ていないという事は、そういう事になる。

 恋矢は、その辺りは自分の都合がいい様に説明した。


「はい。

 俺がセキュリティ会社の人間だと警察が知れば、所長は処罰されるかもしれない。

 そう言う事態を考慮したので、まだ警察には通報していません。

 ……やはり、不味かったでしょうか?」


「………」


 研吾は一考する素振りを見せた後、こう結論する。


「いや、敵を逃したならその必要はないだろう。

 警察が介入する事になっても、警察には頼りたくない磯部の旦那と無駄にもめるだけだ。

 建設的な事なんて、一つもない。

 警察の出番があるとすれば、俺達が襲撃者を捕まえた後だろうな」


「成る程」


 普段の冷静さを取り戻した恋矢は、静かに頷く。

 と、研吾は別の問題を口にした。


「それより、そのココって子は平気なのか? 

 昨夜のやつの仲間に狙われたという事は、今も危ないのでは?」


「………」


 その事は、恋矢も考えていた。

 今もココを含め恋矢も、あの連中の標的なのでは、と。


「正直、絶対に平気だとは断定はできません。

 ただあいつって、一人で襲撃してきたんです。

 俺達を確実に殺したいなら、もっと仲間を集めると思うんですよ。

 つまり――」


「――今回の件はあくまで、警告という事か? 

 今後も自分達に関わる様なら、今度こそ命はないという牽制?」


「はい」


 仮にそうなら、もう二度と埋葬月人を追いさえしなければココは安全だ。

 恋矢の希望的観測に過ぎないが、それは僅かでも信憑性がある考え方だった。


「……ま、その辺りは様子を見るしかないな。

 第一、オマエに彼女のボディガードをさせる訳にはいかん。

 ぶっちゃけ今恋矢に職場放棄されたら、磯部の旦那は間違いなく死ぬ。

 それが昨夜の襲撃者と戦った、俺の感想だ」


「………」


 恋矢としても、研吾と同じ思いだ。

 研吾には悪いが、あの敵と研吾一人が戦ってもよくて相討ちだろう。


 仮にあの敵にまだ仲間が居るなら、その時点で磯部八介は詰みとなる。

 容易にそう想像できるが為に、恋矢は、今はこの仕事に集中するしかない。


(……ああ。

 尾行は最大限、警戒した。

 やつ等が、ココの家までつけてきた形跡はない。

 恐らくココの安全は、確保されている。

 だったら俺はココの応援に応える為にも、この仕事をやり遂げるだけだ)


 改めて決意を固める、恋矢。彼は研吾に、こう促す。


「と言う訳で、所長はそろそろ仮眠をとって下さい。

 後は俺が責任をもって警護しますから」


「………」


 すると、研吾は急に恋矢に対してガンをつけてきた。

 研吾の人相は、何時になく悪い。


「てか、オマエ、昼間休まなかっただろう? 

 この商売は、体力が資本だ。

 休める時に休んでおかないと、マジで早死にするぞ」


「……ええ、それは、そうですね」


「いや、まあ、思春期のガキが女にデートを引き合いにだされたら睡眠よりデートをとるか。

 脳が下半身にある様な時期だもんな。

 デートのお誘いがあった時点で、眠気なんて宇宙の彼方に吹き飛ぶだろうさ。

 ――で、キスの一つでもしたのか?」


「そういうセクハラには、お答えしかねます。

 いいから、所長ももう休んで。

 所長だって、昨日から一睡もしていないんでしょう?」


「そうだな。

 俺は、さっさと寝る」


 言うが早いか、濱田研吾は屋敷の奥へと歩を進めた。

 一人残された恋矢としては、八介の部屋の前で彼を警護するだけだ。


 やがて時は流れ、午前零時を迎える。

 雨は止んだが、まだ雲は晴れない。


 息苦しい程の闇が、空を覆っている。

 磯部邸だけが蛍光灯に照らされていて、消灯している周囲の住宅街と比べても浮いていた。


 闇の中にある、ただ一つの灯。


 その灯に照らされながら、恋矢はとにかく意識を集中させた。

 

 恋矢は既に、二十四時間以上眠らずに活動している。

 昨夜仕事に入る前に、二時間ほど寝ておいたのが、不幸中の幸いだ。


 お蔭で恋矢にはまだまだ余力があって、寝不足で後れをとる事はない。

 いや、恋矢としては昨夜の敵に、的を絞りたかった。

 

 自分があの敵さえ倒せば、敵の戦力は激減する。

 あの敵に比べれば、昼間の敵さえも見劣りするだろう。


 その敵と同レベルの使い手が現れても、きっと研吾達が何とかしてくれる筈。

 そう信頼するが故に、恋矢の意識は昨夜の敵にのみ向けられていた。


(さて、どうする? 

 昨日の様な暗殺術じゃ、芸がないぜ?)


 その手はもう通じないと確信して、恋矢は不敵に笑う。


 次の一手はどうくると思案を重ねていた時――天井恋矢は遂にその時を迎えたのだ。

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