第24話 これが彼の宿命なのか?

     24 これが彼の宿命なのか?


 電話の相手は濱田研吾で――彼は恋矢にこう指摘する。


『おう、恋矢か? 

 一体どうした? 

 もう四時だぞ。

 そろそろ、警護を交代する時間だ』


「……は、い。

 そうですね。

 完全に、仕事の事を忘れていました。

 ……はい。

 はい。

 お叱りはご尤もです。

 ただ、できれば、もう少し出勤の時間を遅らせたいのですが――」


 と、恋矢がそこまで言いかけた時、ココは暴挙に出た。

 ココは迷う事なく、恋矢のスマホを取り上げたのだ。

 

 彼女はそのまま普通に、濱田研吾と会話をする。


「失礼します。

 お電話、代わりました。

 わたくし――恋矢の妻です」


「……は? 

 ――はっ? 

 何を言っているの、ココさんっ?」


「ええ。

 恋矢はちゃんと仕事に行かせるので、ご安心ください。

 はい、はい。

 では、失礼しました」


 と、勝手に通話を切る、ココ。

 恋矢にスマホを返した彼女は、ここでも素っ気ない。


「もう。

 お仕事があるなら言ってよ、恋矢。

 私の事はいいから、とにかく急いで。

 傘なら私のやつを、使って良いから」


「………」


 多分、これはココなりの気遣いだ。

 逆を言えば、自分の看病が原因で恋矢が仕事を休めば、ココは引け目を感じてしまう。


 その為だろう。

 自分はもう大丈夫だと言わんばかりの態度を示し、ココは恋矢を見送ろうとしている。


 その姿を見て、恋矢は思わず嘆息した。


「……この不思議ちゃんめ。

 誰が俺の妻だって? 

 本当にココは、俺を振り回してばかりだ」


「その割に、恋矢は嬉しそうね? 

 やっぱり恋矢って、ドMだわ」


「………」


 やはり素っ気ないココを前にして、恋矢はもう一度溜息をつく。

 ついで苦笑した彼は、立ち上がろうとした。


「分かった。

 それだけの減らず口を叩けるなら、もう大丈夫だな。

 俺はバイトに行くけど、ココはちゃんと寝ていろよ?」


「ええ。

 私は、平気。

 でも、そうね。

 何か、雨は止んだみたい。

 雨が止んだら――」


「――へっ?」


 ココが顔を上げて、目を瞑る。

 その姿を見て、恋矢は完全に硬直した。


 雨が止んだら――何をする? 


 その先は、恋矢達にとっては暗黙の了解だ。


 しかも今の恋矢に、思い悩んでいる暇は、ない。

 恋矢は今度こそその意味を実現する為に、ココの顔に自分のそれを近づけた。


 そんなつもりはなかったのに、自分は結局やましい事をしてしまうのか――?

 

 恋矢は煩悶しながらも、ココの唇に自分のそれを重ねようとする。

 異変が起きたのはその時で、ココの部屋の扉は何の前触れもなく開く。


「――ココ、大丈夫っ?」


「え?」


 扉を開けたのは、紛れもなくあの加賀敦だ。

 制服姿の彼女は、ただ唖然とした。


「コ――」


 いや、〝その光景〟を眺めた敦はワナワナ震えながら、一気に跳躍する。


「――ココの淫乱!」


「ギャフン!」


 加賀敦の拳は、見事に天井恋矢を吹き飛ばす。

 状況が全く掴めない天井恋矢は、こうツッコムしかない。


「……だからココを責めながら、俺を殴るな!」


「ココを毒牙にかけようとしていた、卑劣漢が何を言う! 

 聞けばココは、怪我をしたそうじゃない! 

 そんなココに猥褻な真似をしようとしていた分際で、偉そうな事を言うな!」


「――確かにそれは正論だけど、どんな正論も暴力が伴えば暴論になるんだ! 

 それぐらい気付け!」


 いや、恋矢に、こんな言い争いをしている時間はない。

 我に返った彼は、これを好都合だと捉えた。


「……分かった。

 オマエの言い分は、ある程度認める。

 だから――ココの看病は頼んだ」


「やっぱり、ココは怪我をしているのねっ? 

 偶然担任が電話でそう話していたから、私、担任の口を割らせたのよ! 

 勿論、ココの住所も一緒に!」


「………」


 成る程。

 恐らく病院が、恋矢達の高校に連絡を入れたのだ。


 敦自身が言う通り、偶然、彼女はココが怪我をした事を知った。

 敦はココの身を案じて、この場に現れたという事か。


「……え? 

 というか……ここがココの部屋なの? 

 まるで――」


〝――処刑場じゃん〟と敦が皆まで言う前に、恋矢は彼女の口を塞いだ。


「アホ! 

 そんな本当の事は言うな! 

 ココにだって、事情があるかもしれないんだぞ! 

 そんなココを、加賀は傷付ける気か――っ?」


 小声で声を荒げる恋矢に、敦は珍しく同意する。


「……た、確かにそうね。

 分かった。

 私もこの件は……スルーする。

 天井が私にココの看病を任せると言うなら、それもオーケーよ。

 つーか、天井は一体どうするつもり?」


「……俺はこれから、仕事に行かなければならない。

 そう言う訳だから、後は任せた。

 ……そうだな。

 悔しいが、俺は今日ほど、加賀を頼もしく思った日はない」


 恋矢はそう言ってから、ココの部屋から去ろうとする。

 恋矢としては、気恥ずかしさから、ココの顔を見る余裕さえ無い。


 恋矢とココは、二度も敦にキスを邪魔された。


 密かにその事を恨みつつ――天井恋矢は三度目の溜息をついたのだ。


     ◇


 仕事着が入った鞄を持って、ココの部屋から出ていこうとする、恋矢。

 

 だが、ココには恋矢の顔を直視するだけの余裕があった。

 彼女は微笑みながら、恋矢をこう見送る。


「――よく分からないけど、お仕事頑張って、恋矢」


「………」


 これでは昼間に抱いた妄想と、殆ど変らない。

 家族の様に一つの部屋に居るココと恋矢は、まるで夫婦の様だ。


 現にココは、笑顔で恋矢を見送ろうとしている。

 その幸福を噛み締めながら、恋矢は拗ねた様に視線を逸らした。


「あの、さ。

 明日から俺が、ココの弁当と夕飯を作ってもいいか?」


「……は、い? 

 それは恋矢が私の為に、毎日料理をしてくれるって事? 

 うわ! 

 本当に良いのっ?」


 思いの外ココは喜ぶ。

 恋矢にしてみれば踏み込んだ提案だが、どうやら功を奏したらしい。


 ただ、加賀敦は別の所で呆れた。


「あの、天井、それ完全にヒロインの台詞なんだけど? 

 態度もツンデレその物だし、アンタ実はヒロイン力高めなキャラなのね――?」


「――うるせえ! 

 加賀まで俺を、ヒロイン扱いするな! 

 とにかくそういう訳だから、ココは覚悟しておくように!」


 最後に訳の分からない事を言って、恋矢は踵を返す。

 ココは手を振って恋矢を見送り、大きく息を吐く。


 やはり最後まで気が気でなかった天井恋矢は――それでも確かな満足感を得たのだ。

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