第21話 魔界
21 魔界
いや――それでも自分はやると決めたのだ。
いや――やると言っても決して如何わしい事ではない。
怪我人相手にそんな事を考えるのは、そもそも失礼の極みだ。
ココだって一人では心許ないからこそ、恋矢を頼ったに違いない。
そのココの信頼を裏切る様な真似など、恋矢に出来る筈がなかった。
「と、ここ。
ここが、私の部屋」
三階まで登って、西に数十歩移動した所に、篠塚ココの部屋はあった。
そこには団地特有の忙しなさはなく、極めて静かだ。
昼間の団地はこんな感じなのかと思いつつ、恋矢はココに家へと招かれる。
「お、お邪魔します」
開かれたドアを通過した時、恋矢はついお辞儀をしてしまう。
短い廊下を通って〝部屋と言える場所〟に向かう。
その間、恋矢が抱いたのは、意味不明な悪寒だ。
何かがオカシイと感じながらも、恋矢は決して歩みを止めない。
ここで引き返したら、絶対に後悔する。
何故かそんな思いに駆られた恋矢は、水を掻きわける様な思いでココの部屋に着く。
だが――そこにあるのは只の虚無だ。
まず、生活感がまるでない。
壁紙が無いその部屋は、コンクリートが丸出しだ。
ヌイグルミや花といった、部屋を華やかにする物も、一切飾られていなかった。
あるのは姿見と、ベッドだけ。
刑務所だって、ここまで簡素なつくりではないだろう。
そう感じた途端、天井恋矢は、もう一度ゾっとする。
「……こ、ここが、ココの部屋?」
「……え?
今の、ダジャレ?」
ここがココの部屋。
確かにダジャレに聞こえるが、今の恋矢にツッコミを入れる余裕はない。
何故なら恋矢は、ここがココの部屋だとどうしても思えないから。
あの明るく笑顔を絶やさないココが、こんな刑務所の様な場所で暮らしている。
そのギャップが恋矢の意識を、僅かに混乱させた。
何だ、これは?
意味が、分からない。
何でこんな部屋で過ごしている人間が、学校ではああも明るい笑顔を浮かべられる?
何で学校でも常に笑顔なココが、こんな部屋に住んでいるのか?
この不可解な二律背反が、恋矢の理解力に弊害を及ぼす。
これでは、ある種のホラーだ。
恋矢はこの時〝何かのドッキリなのでは?〟とさえ思った。
「……んん?
もしかして、私の部屋って変?
実は私、友達の家に行った事がないから、そういうのよく分からないの。
逆に他人を家に招いたのも、これが初めて」
「………」
恋矢が不審に思っている事を、ココは普通に受け止めている。
いや、ココにとっては、この部屋こそが〝常識〟なのだ。
だから、彼女自身でさえ、自分の部屋の異常さが理解できない。
彼女はきっと、恋矢は当然の様にこの部屋を受け入れると確信していた。
だってそれが――彼女にとっての〝普通〟だから。
だったら、恋矢は、その期待に応えるしかない。
「……い、いや、別に変じゃないさ。
ただ女の子にしては、質素な部屋だなと思っただけ」
「………」
と、ココは意味不明といった表情で、首を傾げてしまう。
そう言えば、ココは結構な頻度で首を傾げる傾向にあった。
それは〝彼女の常識〟と〝世間の常識〟がズレている証拠ではないか――?
恋矢はそう感じた途端、小さく首を横に振る。
彼は本当の意味で、覚悟を決める事にした。
「それよりココは、ベッドで休んでいてくれ。
ちょっと早いけど、俺が夕飯を作るから」
「んん?
恋矢って、お料理が出来るの?
凄いね。
私なんて、大抵レトルト食品で済ませているのに」
「………」
それも、ココの意外な一面だ。
正直、恋矢はココの事を、もっと家庭的な女の子だと思っていた。
「……怪我人に、豪勢な料理をふるまう訳にはいかないよな。
スパゲッティとかでいいか?」
ココの家に向かう前、スーパーで買い物を済ませてきた恋矢が問う。
ココは、二つ返事でオーケーした。
「スパゲッティを食べるなんて、ひさしぶりだよー。
……あの子が生きていた時以来かな?」
「え?
今、何て?」
恋矢には、ココの最後の呟きは、聴こえなかった。
お蔭で彼は呆けるが、ココはただ微笑む。
「いえ。
大した事じゃないから、気にしないで。
それより、私は当然、恋矢の手料理に期待して良いんだよね?」
「………」
また、ハードルを上げてきやがるな、此奴は。
恋矢はそう感じながらも、鼻で笑う。
「ま、舌が肥えていない、小市民であるココぐらいは満足させてやるさ。
それより何度も言う様だけど、怪我人はちゃんと休んでいる様に」
「んん?
恋矢は大分、緊張が解けた様ね?
一体、何で?
どういう心境の変化?」
「………」
それは、この部屋に順応する覚悟を決めたから。
恋矢も、これが常識だと思い込もうとしている。
だがココにそんな事を言える筈もなく、天井恋矢は不敵に笑うしかない。
「別に。
単にココは、俺を見くびっていただけだ。
俺だってやる時は、やる男なのさ」
いや、この部屋が気になって、恋矢はもう緊張するどころの騒ぎではない。
それでも自然にココと接しようとしている天井恋矢は、健気とさえ言えた。
そんな事さえ知る由もない篠塚ココは、恋矢の言いつけどおりベッドで横になる。
彼女達二人に届くのは、僅かな雨音だけ。
天井恋矢はもう一度だけ身を震わせてから――自分の仕事に移る事にした。
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