第16話 目撃者

     16 目撃者


 件の――路地裏にさしかかる。


 恋矢達は路地裏の奥まで進むと、そこで思いがけない事に遭遇した。

 一人のホームレスが、インスタントラーメンを食べながら溜息をついていたのだ。


「――あの、すみません」


 ココは何の躊躇もなく、そのホームレスに話しかける。

 

 彼は、年の頃は七十過ぎ。

 もう髪が白い彼は、ココを見るなり驚いた。


「……はわわわ! 

 何てめんこい、お嬢ちゃんだ! 

 まるで若い頃の、婆さんみたいじゃねえか! 

 まさか、いよいよ婆さんが俺をお迎えに来た……っ?」


 彼のその様子を見て、ココは苦笑する。

 それでも彼女は、話を進めた。


「いいえ、お爺ちゃんはきっと長生きするわ。

 それは私が、保証します」


「………」


 と、彼が落ち着いた所で、ココは笑顔を浮かべる。


「大変失礼ですが、私達は昨夜の事をお伺いしたいんです。

 昨夜、誰かがこの道を使いませんでしたか? 

 怪しい人影とか、見かけなかった?」


 両膝を折ってちょこんと座り、老人と同じ目線になって、ココは問い掛ける。

 老人は眉を顰めた後、正直に答えた。


「……ああ。

 昨夜なら、誰かがこの一本道を通って行った。

 大分急いでいた様だから、俺には気付かなかったと思う」


「………」


 すると、今度はココが黙ってしまう。

 それでも彼女は、更に質問を重ねる。


「もしかして、お爺ちゃんがここを寝床にし始めたのは、昨夜から? 

 それ以前は、別の場所に居た?」


「……あ、ああ。

 確かにそうだが、よく分かったな?」


 またも驚く彼に、ココはやはり笑顔を向けた。


「その人は、どんな容姿だったか覚えていますか?」


「あー、一瞬の事だったんで顔は覚えていないが、長い黒髪の若い娘だったと思う。

 うん。

 制服姿だったんで、それは間違いない筈だ」


「……長い黒髪の、若い娘」


 恋矢が、囁く様に呟く。

 ココは彼のそんな様子に気付く事なく、老人を気遣う。


「あの、その人はもしかしたら、とても危険な人かもしれないんです。

 ここに住んでいると、その人があなたを害しに来るかもしれない。

 今なら遅くない筈だから、一刻も早くここから離れてください。

 どうか――お願いします」


 その老人の為に、ココは頭まで下げる。


 何時までも顔を上げないココを見て、老人はあっさり折れた。


「……わ、分かった。

 俺にはオマエさんが嘘を言っている様には、思えねえ。

 さっさとずらかるから、安心してくれ」


 言うが早いか、老人は用意を整え、速やかにこの場から去って行く。

 彼を見送ったココは、初めて恋矢に視線をやる。


「これは、有力な目撃者だね。

 あの人の言う通りだとすれば、やっぱり私達の推理は正しい事になる。

 ……そう。

 敵のミスは、あの人がここに住みつく昨日まで、この路地裏に人気は無いと思っていた点。

 不運にもあの人が偶然昨日からこの路地裏に住みついたが為に、敵は姿を目撃された。

 そう考えると――これは逆に私達にとっては僥倖と言えるわ」


 仮にその少女が襲撃犯なら、ココ達の捜査は確実に一歩前進した。

 ただ、ココの表情は余り変わらない。


 喜んでもいないし、緊張感を覚えている様子もない。

 淡々と犯人を追いつめていくココは、エサを食い殺そうとする無機質な昆虫じみていた。


 けれど今の恋矢には、そんなココの様子に気付く余裕さえ無い。


 彼の焦燥は本物で、恋矢は〝……コレは本当に不味いかも〟と思い始める。


「とにかく路地裏を抜けて、表通りに出ましょう。

 そこからまた、行ったり来たりを繰り返す事になるけど、恋矢は大丈夫?」


「………」


 今初めて、ココは恋矢が神妙な顔をしている事に気付く。

 彼は勿論、誤魔化した。


「……いや。本当に埋葬月人のアジトに近づいていると思ったら、ドキドキしてきた。

 ココって実は、名探偵?」


「名探偵かは分からないけど、推理小説を読むのは割と好きよ。

 ただ犯人の心理を理解するのは苦手かな。

 だってほら、私って悪人とは程遠い善良な一般市民だから」


「………」


 確かにそうなのだが、ココの場合〝そうだ〟と素直に肯定するのは躊躇われた。

 恋矢のココに対する心証は、ある意味それぐらい悪い。


「と、表通りに出た。

 じゃあ、ここからは運任せね。

 西に向かって、そこに避け様がない監視カメラがあったら、今度は東に向かう。

 その繰り返しを行っていけば、きっと敵のアジトを見つけられる。

 これは本当にお手柄かもしれないよ、恋矢」

 

 と、ココは漸く微笑んでみせる。

 その一方で、恋矢は気が気でない。


 それでも今何らかの異議を唱えるのは、恋矢としても本意ではない。

 彼も、事実を知りたいと言う思いはあるのだ。


 だがそれは、決して〝ココと一緒に〟という事ではない。

 寧ろココに〝その事実〟を知られるのは、大いなるマイナスだ。


 よって恋矢は、今も乗り気なココを止める必要があった。

 でも、犯人のアジトまで迫っている探偵の調査を、どう言えば阻止できる?


 それも怪しまれる事なく、自然な形で説得する。

 恋矢の立場ではそうするしかないのだが、彼は中々妙案が思いつかない。


 男子である為、元々歩幅がココより大きい恋矢は、何時の間にかココを追い越していた。

 恋矢の後ろを歩いているココは、今も地図と睨めっこをしている。


 その時、恋矢の脳裏には、やっと策が浮かぶ。


〝俺の体調が悪くなったから――今日は一旦帰ろう〟


 恋矢がそう言い出せば、ココもさすがに調査を中止せざるを得ない筈。

 我ながら上出来な案だと思って、恋矢はココがいる背後に振り返ろうとする。


 その時、彼は思いがけない光景を目にした。


「……コ――っ!」


「え?」


 自分達の背後から迫ってくる、巨躯な誰か。


 その誰かは何の躊躇いもなく――篠塚ココの頭を後ろから蹴り飛ばした。

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