第6話 暗殺者

     6 暗殺者


 研吾達が僅かでも焦燥したのは――無理のない事だ。


 何せこの屋敷は今、組の構成員によって守られている。

 何かあれば、携帯による報告がある筈だ。


 だが、この侵入者が現れたと言う報告は、終ぞなかった。


 それはつまり――この侵入者が屋敷に詰めている組員を全員倒したという事――?

 

 そうでもしなければこの侵入者は、大分困った事になるだろう。

 組員が皆無事なら、前方を守る研吾達と、後方から迫る組員に挟撃される。


 それはこの侵入者の、敗北を意味していた。


(だが、こいつは恐らくそんなヘマをする輩じゃねえ! 

 プロの臭いが、プンプンするぜ!)


 少なくとも、濱田研吾はそう判断する。

 背後からは部屋の扉をナニカで貫かれた事により、磯部八介の声が響き渡る。


「――何だっ? 

 何が起きた……っ?」


 まだ五秒程しか経っていないこの短い間に、まず恋矢が倒された。

 ついで疾走してきた影は迷う事なく安藤時雄を強襲する。


(体格から、安藤が一番手強いと当たりをつけた? 

 先ずは強そうなヤツから、仕留めるつもりか――?)


 いや、侵入者の恐ろしい所は、研吾がそう感じた時には安藤を倒していた点だろう。

 安藤が一動作行う間に、五動作行ってみせた侵入者は安藤を制圧する。


 耐え難い悪寒と共に我に返った江夏隆は、警棒を振り上げた。

 だがその隙をついて、侵入者は彼の腹部に蹴りを入れる。


 安藤も江夏も、決して弱くはない。

 前者はボクシングの元日本チャンピオンで、後者は剣道で全国ベスト四に入るだけの猛者だ。


 そんな彼等を、瞬殺した? 


 あれは本当に、人間か?


 研吾は喜悦しながら、そんな愚にもつかない疑問を抱く。

 彼は敵に向かって疾走し、ただ拳を突き出した。


 殺す気で放たれたソレは、しかし空を切る事になる。

 いや、奇怪だったのは既に研吾は、敵の姿を見失っていた点だろう。


 特異な移動術を以って研吾の背後に回り込んだ敵は、研吾の後頭部を狙う。

 だがそれより先に、川島が動いていた。


 川島は得意の柔道を使って、背後から敵を押さえ込もうとする。

 だが、それより先に敵は地を蹴ってバク転し、川島の背後に回り込む。


 敵の拳は見事に川島の背中に決まって、彼女は血反吐を吐いた。


(川島さえ、圧倒するっ? 

 こいつまさか――マジで埋葬月人か――っ?)


 瞬く間に、部下四人を倒された、研吾。

 この仕事を果たすには、最早自分が身を張るしかない。


 彼は尚も敵を殺すつもりで、格闘戦を挑もうとする。

 嘗て空手でオリンピックの金メダルをとった濱田研吾は、一歩踏み出そうとした。


(つ……っ?)


 だが敵はその間に爪先と踵を回転させ、それを繰り返しながら、研吾の背後に回り込む。


 この特異な移動術こそが、敵の攻撃の基点だ。


 研吾がそう見切った時には、既に決着はついていた。


「――伏せて、所長!」


 漸く意識を取り戻した天井恋矢が、飛び蹴りを入れる。

 研吾が伏せる事で敵の姿は露わになって、敵は初めて後退した。


 恋矢を不確定要素と見なしたのか、蹴りを避けた敵は恋矢から距離をとる。


「……何者だ、あんた?」


 答えが返ってくる事など、微塵も期待していない。

 ただそれは、天井恋矢の心底からの疑問だった。


 この短時間で安藤や江夏を制圧し、川島さえも昏倒させた。

 絶えず自分を磨いてきた彼等さえ、この敵には全く敵わない。


 その事実が恋矢から、一切の余裕を奪う。

 ただ恋矢には、敵を観察する間があった。


 黒のフルフェイスの仮面を被ったその敵は、正に黒尽くめだ。


 黒いコートに、黒いベスト、それにズボンやブーツさえも黒い。

 今日の様に月が出ていない日は、さぞかし闇に紛れやすいだろう。


 だが、その事を差し引いても、敵の手際は異常だ。


 正に、プロの殺し屋。

 人を殺す為に生まれてきた、人外。


 そう感じるが為に、天井恋矢は呼吸を整える。

 あれは今倒しておかなければならない敵だと判断して、彼は全力を尽くす事にした。


「――いくぜ」


「――ぬ?」


 自身に活を入れる為、恋矢は敢えて攻撃を宣言する。

 この時、敵は初めて訝しげな声を上げた。


 何の迷いもなく突撃してくる、恋矢。

 ならば、敵がする事は変わらない。


 敵は件の体術を使って、恋矢の背後に回り込む。

 この特異な動きを前にして、恋矢は舌を巻く。


 今――天井恋矢に明確な〝死〟が迫る!


「だが――あんたの動きはもう見た」


「な、に?」


 それが何を意味しているかは、敵にも分からない。

 ただ恋矢は、背後に居る敵の動きさえ察知する。


 首を傾げるだけで敵の突きを躱した彼は、そのまま頭を、後ろに突き出す。

 その頭突きは敵の仮面を掠めるが、敵は脱兎の様に後退していた。


 この時――敵は何かが不味いと感じる。


「そちらこそ――何者だ?」


 野太い男の声が、周囲に響く。

 天井恋矢は、勿論答えない。


 五メートル程間合いをとっていた両者は、今こそ激突した。


「つ……っ!」


 だが、本当に不味いと感じたのは恋矢の方だ。

 何故なら敵はドアに刺さっていたナニカを、手に取っていたから。


 日本刀と呼ばれるソレが――敵の手によって抜刀される。


(この動きは……まだ知らない!)


 そうであるが為に、恋矢は敵の動きを完全に予知できない。


 だが、彼はこの時――勝負に出た。


 今ある情報だけで敵の動きを予測し――敵の速度を僅かに凌駕したのだ。


 居合の形で繰り出された刀を、恋矢は刀身に乗る事で回避する。

 神業とも言える回避力を見せながら――天井恋矢はそのまま跳んだ。


(くっ――つっ?)


 矢の様な飛び蹴りが、敵の頭部に迫る。

 敵がそれを躱せたのは、大いなる偶然と言えた。

 

 もう一度同じ事をしろと言われても、恐らくは不可能だ。


 敵は地を蹴り、そのまま後退する。

 大きく息を吐き出し、敵は数秒ほど動きを止めた。


「無理、か」


「……何?」


 恋矢がその呟きを訝しんでいる間に、敵は更なる後退を始める。

 恋矢が〝やつは逃げに転じた〟と判断する間に、敵は屋敷の塀まで辿り着く。


 そのまま跳躍した敵は、塀を乗り越えて文字通り撤退した。


 恋矢はその前に敵を追おうとしたが、背後から待ったの声がかかる。


「――よせ、恋矢! 

 あれは、囮かもしれん! 

 オマエがこの場から離れれば、俺達の方が不利だ!」


「………」


 その可能性は、大いにある。

 恋矢も冷静にそう判断して、足を止めた。


 濱田研吾は、ここでも的確な指示を出す。


「恋矢は、周囲を警戒しろ。

 俺は、川島達の容体を診る」


「了解」


 月の無いその夜、惨劇じみた事が起きた。

 天井恋矢に出来た事は、被害を最小限にとどめた事だけだ。


 だが――もう一方の当事者はどうだろう?


 夜の闇に紛れて件の屋敷から逃れてきた敵は、今こそその仮面を外す。

 長い黒髪が背中に流れ、彼女は髪を整える為に何度か首を振った。


 首についている変声機を取りながら――彼女こと真琴港はぼやくしかない。


「……一体、何なのよ、あいつは?」


 自分の仕事を妨害した、ガスマスクの男。

 そんなふざけた身なりのやつが、この暗殺を阻止した。


 真琴港はその事に怒りを覚えながら――ただ唇を噛んだ。

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