第4話 埋葬月人

     4 埋葬月人


 やがて――日は完全に暮れた。


 いや、雨から曇りに変わった天候は、月が出る事さえ許さない。

 今や完全な闇となった世界の中、彼は全ての準備を整える。


「さて……今日も頑張りますかね」


 それが――彼こと天井恋矢のもう一つの顔だ。


 学業を終えた恋矢は、今度は〝仕事〟の時間を迎える。

 彼が乗るワンボックスカーには、恋矢の他に運転手を含め四人の人物が同席していた。


 やがて車は、ある屋敷の前に停まる。

 日本建築の、豪邸と称せるだけの建物だ。


 車から降りた恋矢達は、予定通り屋敷を訪ねて中に通される。

 やがて〝お客〟が居る部屋までやってきた恋矢達は、ソファーを勧められた。


 彼等が席につくと〝お客〟は目を細めながら眉を顰める。


「五人だけ、か。

 本当にそれで、大丈夫なんだろうな?」


 それは和服を着た、頬に傷跡がある七十歳程の老人だった。

 恋矢達の〝雇主〟である彼は、訝しげな様子で、ある人物に目を向ける。

 

 その人物もまた五十代で、初老と言える年齢だ。

 濱田研吾と言う名の彼は、ただ一笑した。


「――問題ない。

 これでもこの連中は――ウチの精鋭だ。

 俺としては、そっちこそ問題があるんじゃないかと思うがね。

 本当にあんた――命を狙われている?」


「………」


 研吾が尋ねると、老人は渋い顔をしてみせる。

 老人――磯部八介は愛想笑いさえしなかった。


「さて、どうだろうな。

 だが、俺の部下にもエキスパートが居る。

 そいつの話だと、明らかに不審と思える人間がこの屋敷の周りをうろついていたらしい。

 部下に尾行させたが、見事にまかれたそうだ。

 その時点で、身の危険を感じるには、十分すぎるだろう?」


 身の危険を、感じる。

 確かに八介の立場としては、そう考えてもおかしくない。


 何せ八介の職業は――俗に言う暴力団の組長だ。


 ついこの前も警察に検挙されたが、何とか不起訴になったばかりである。

 今までそれだけの事をやってきたと、彼自身も自覚していた。


「かと言って、警察に頼るのも面子がたたねえ。

 だったら、民間のSPを雇ってみるのも手かと思っただけの事。

 腕はいいと聴いているが、敢えてもう一度訊いておく。

 本当に――大丈夫か?」


 と、八介はある特定の人物に目をやった。

 それはガスマスクを被った、正体不明の人物だ。


 ヤクザより不審な彼は、八介の目から見ても滑稽である。


「問題ない。

 何せ、コイツはウチのジョーカーだからな。

 ま、前に毒ガスを吸いそうになってから護身用にガスマスクを身につける様になっちまった。

 変わったヤツだが、大目にみてくれると助かる」


 それは、完全な大嘘だ。


 ガスマスクの人物とは――紛れもなくあの天井恋矢である。


 研吾が恋矢にガスマスクを被らせている理由は、一つしかない。

 それは恋矢の年齢を、誤魔化す為だ。


 未成年がSPの仕事をしていると周囲に知られると、厄介な事になる。

 これはそれを避ける為の、処置だった。


 だがある理由から一人暮らしをしている恋矢には、金が要る。

 彼は半日ほど考えた末、SPの仕事を選んだ。


 実入りのいい仕事とは、つまり危険と隣り合わせである。

 そのレベルが高い程、報酬もまたいい。


 この法則に則って――天井恋矢もまた暴力の世界に足を踏み入れたのだ。


「で? 

 誰かに狙われている、アテでもあるのかい?」


 研吾が尋ねると、八介はやはり渋い顔になる。


「――埋葬月人」


「は?」


「――埋葬月人って名を、聞いた事はねえかい?」


「………」


 と、研吾は一間空けてから、こう答えた。


「あの、都市伝説か? 

 法の裁きから逃れた、悪人の命を絶つとか言われている、殺し屋の事だろ? 

 すこぶる腕が立つって話だが、俺達はまだ出くわした事はねえな。

 その経験から言わせてもらえば、やっぱり只の都市伝説としか思えねえ」


「………」


 埋葬月人。


 恋矢もまた、その名は聞いた事があった。

 しかし、ただ聞いた事があるだけだ。


 何故なら、埋葬月人が事件を起こしたという報道は、一度も流れていないから。

 そんな殺人事件が起きたと言う記録はなく、埋葬月人が事件を起こしたという証拠もない。


 噂だけが一人歩きをしていて、正に都市伝説と称すには相応しい与太話と言えた。


「だろうな。

 埋葬月人とやり合った何て輩は、俺でさえ知らねえ。

 ただ俺は、埋葬月人の標的の条件が揃っている。

 極悪人で、法の裁きから逃れた。

 不審人物に嗅ぎ回られ、今も生きた心地がしねえ。

 最悪の事態を考慮した結果、埋葬月人の名前が出てきたというだけの話さ。

 俺だって、本気な訳じゃねえ」


 鼻で笑う、八介。

 彼は、自虐的な話も付け加えた。


「ま、俺はこの通り爺だからな。

 屋敷に引きこもっているのが、お似合いな訳さ。

 運動の為とか、愛人に会いに行くとか言って外に出る気さえねえ。

 唯一の救いはそこで、屋敷で籠城していても俺に不満はない訳だ」


「丁寧なご説明、どうも。

 まあ、俺達としても、その方がやりやすい。

 あんたが屋敷に引きこもっているなら、それだけで有利だ。

 まずこの屋敷に潜入する事からして困難だからな。

 精々俺等も、楽をさせてもらおう」


 研吾が不敵な笑みを見せると、八介は深く背もたれに体を預ける。


「屋敷の外と庭は、組の者に守らせる。

 あんた達は、俺の周囲をガードしてくれればいい。

 俺が居る部屋の前を、そのまま守ってくれ。

 契約期間は、一月。

 それだけ待って、何も起きなければこの件は俺の見込み違いだって事だ」


「へえ? 

 一月、か。

 さすがこのご時世でも、シノギが絶えない大親分だ。

 気前がいい」


「いや、これは俺にとっても手痛い出費だ。

 ただ四十年以上ヤクザの組長をやっていると、分かる事もあるのさ。

 只の勘に過ぎないが、この件は不味そうだって」


「……只の勘」


 それは、紛れもない事実だ。

 今の所、磯部八介に具体的な脅威は迫っていない。


 つまり彼が狙われていると言う根拠は、皆無に等しい。

 だが八介当人の意見は違っていた。


 彼は今までの人生で蓄積してきた〝勘〟という物を重視したのだ。

 現に、八介は己の勘に何度か救われた事がある。


 その直感が働かなければ、彼は既に刑務所か、あの世に居る。

 それだけの実績があるが故に、彼はこうまで慎重なのだ。


「と、オマエ達も話は分かったな? 

 では、早速仕事に入ろう。

 この部屋の前を固めるから、そのつもりでいる様に」


 研吾が指示を出すと、他の四人も頷く。


 彼等は退室して――件の部屋の前に並んだ。

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