第3話 この人は脳がバグっているとしか思えない

     3 この人は脳がバグっているとしか思えない


 その後――ココと恋矢は約束通り一緒に下校した。


 今も雨は止まず、二人は傘をさしながら帰路につく。

 その時、ココはまたも思わぬ事を言い始める。


「……と、これは迂闊かも。

 せっかく雨が降っているのだから、相合い傘をするべきよね」


「……は?」


 ココの表情は、実に真剣だ。

 まるで相合い傘こそが、この世の理であるかの様でもある。


 女性経験がまるでない恋矢としては、ただ焦るだけだ。


「いや、相合い傘とか、小学生じゃないんだからなしだろっ?」


「んん? そうかな? 

 私は相合い傘こそが、浪漫だと思えるのだけど? 

 それに、相合い傘ってそんなに恥しい事? 

 例えば相手が私じゃなく敦ちゃんなら、恋矢はクールに自分の傘に入れるんじゃない?」


「………」


 それは、その通りかもしれない。


〝やれやれ、傘忘れたのかよ? いいよ。入れよ。その代わりジュース奢れ〟的な軽いノリで恋矢は敦と相合い傘をするだろう。


 ココが我が物顔でそう説明すると、恋矢はボソリと呟いた。


「……いや、加賀とココは、まるで違うし」


「………」


 やはり拗ねる様に視線を逸らす、恋矢。

 ココとしては、正直な感想を述べるしかない。


「恋矢って、実はヒロイン属性だよね?」


「……は?」


「余りに可愛くて、私でさえキュンとした。

 恋矢が女子だったらきっと男子にモテると思う」


「………」


 全く嬉しくない、ご意見だ。

 いや、付き合っている女子に、女子として見られて嬉しがる男子が居るものか。


 悪いがこの天井恋矢に、加賀敦の様な趣味は無い。


「……それって、失言だぞ。

 俺はこれでも、硬派で通しているんだ。

 その俺のどこに、ヒロイン的な要素がある?」


「それじゃあ、恋矢の傘にご厄介になりますかね」


「いや、人の話を聞けよっ? 

 って、普通に俺の傘に入って来るんじゃねえ! 

 ……え? 

 マジで? 

 相合い傘って、こんなに距離が近くなるの……?」


 最後の方は囁く様に言ったので、恐らくココには聞こえていない。

 現に彼女は、不思議そうに首を傾げていた。


「んん? 

 何か不都合な事でも? 

 恋人同士なんだから、この方が自然でしょう?」


「……あー」


 いま気付いたが、どうもココは恋人らしい事に拘っている様な気がする。

 形から入るタイプなのか?


「うん。

 こうやって恋人らしい事を積み上げていけば、何時か自然に恋人らしい事が出来る。

 私としてはそう思うんだけど、恋矢は違うの?」


「………」


 と、またもココは、恋矢の顔を覗き込んできた。

 いや、恋矢はココより十五センチほど背が高いので、自然とそういう形になるのだ。


 意中の女子に顔を見上げられた男子としては、鼓動が高鳴るばかりだ。


「そう、だな。

 多分、ココの言う通りだと思う。

 形から入るのも、悪くはない」


 ぎこちなく笑いながら、首肯してみせる、恋矢。

 ココはそんな彼を見て、満足げに微笑む。


 と、篠塚ココは傘の外に手を出しながら、またもイキナリな事を言い出す。


「それにしても、雨、止まないねー。

 ねえ――雨が止んだらキスでもする?」


「……は? 

 ――はっ?」


 余りにも脈絡がなさすぎて、恋矢はまず自分の耳を疑った。

 それでもココの提案は、否応もなく恋矢の心に浸透していく。


 その破壊力は、正にデイジーカッター並みだ。

 意味不明と混乱しかけている恋矢だが、彼は自分を落ち着かせる為に敢えて言葉を紡ぐ。


「た、質の悪い冗談を言うな!

 俺以外の男子だったら、真に受けるぞ!」


「んん? 

 私――本気だけど?」


「………」


 ココの表情は〝それが何か?〟と言わんばかりの様子だ。

 しかし、恋矢の動揺は大きくなるばかりだ。


 大体自分とココは、付き合い始めてから間もない。


 だというのに……いきなりキス?


 余りに、急展開すぎるだろう――?


「そ、そうだ! 

〝雨が止んだらキス〟とか、理屈になっていない! 

 どういう理屈でそうなるのか、先ず説明しろ!」


 自分でもバカな事を言っていると自覚しながらも、恋矢はそう謳うしかない。

 けれど、篠塚ココの反撃は苛烈を極めた。


「え? 

 だって――恋って理屈じゃないでしょ?」


「………」


 諭された。

 目茶苦茶な事を言っている人に、諭された。


 少なくとも恋矢は自分の言い分より、ココの言っている事の方が、重みがある様に感じる。


 でも、いきなりキス――?

 

 自分から言い出すあたり、実はココって淫乱……いや、いや、大胆なのか? 

 そう困惑する恋矢を余所に、ココは冷静な一言を言い放つ。


「あ。

 本当に、雨、止んだ」


「………」


「それで、どうするの? 

 恋矢は私と、キスしたくないの?」


「………」


 キョトンとした顔でファイナルアンサーを求めてくる、篠塚ココ。

 神は恋矢に、悩む暇さえ与える気はない様だ。


 理性と煩悩が脳内で衝突する中、恋矢はこんな声を聴く。


「それとも、私ってそんなに魅力が――」


「――待て! 

 それ以上言わせたら、俺は男じゃなくなる!」


 遂に恋矢まで、意味不明な事を言い始めた。

 だが、確かに恋は理屈ではない。


 今初めてその事を痛感した恋矢は、大きく息を吐く。

 彼は、訊かなくてもいい事を訊いた。


「……本当に、俺でいいんだな?」


 だが、ココは答えない。

 彼女は苦笑してから、ただ瞳を閉じる。


 そんなココの姿を見て、恋矢も覚悟を決めた。


 傘を捨てた彼は優しくココの両肩に触れながら、自身も目を瞑る。


 顔を近づけたのは、恋矢の方だ。


 その様は、ココが恋矢の男としてのプライドを尊重しているかの様でもあった。

 

 その事に気付かぬまま、恋矢は己の口をココのそれに近づける。


 彼の勇気あるその行為は、しかし思わぬ結果を生んだ。


「――ココの淫乱!」


「ギャフン!」


 九時の方角から、恋矢は頭を何かで殴打される。

 吹き飛ばされた彼は、思わずこうツッコんだ。


「――待て、待て、待て! 

 ココを責めながら――俺を殴るな!」


「だって、ココを殴る訳にはいかないでしょう!」


 堂々とそう言ってのけるのは――もちろん加賀敦だ。


 いや、恋矢にとっては〝もちろん〟ではない。


「大体、なんで加賀がここに居るっ? 

 まさかオマエ、俺達をストーキングしたのかっ?」


「――何か悪いっ? 

 アンタ達が付き合い始めてからまだ一日目なんだから、尾行する位許されるでしょっ?」


「………」


 コイツ、どういう法の世界の人間だ?

 どういう状況であろうと、プライバシーは尊重するべきです。


「というより、天井の方こそどういうつもりっ? 

 何が〝清く正しく〟がモットーよ! 

 さっきのアンタのどこに、清くて正しい要素があった――っ?」


「………」


 そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。

 天井恋矢は色欲に負け、自分のモットーさえ蔑にしたのだ。


 それは事実であるが為に、恋矢には反論する術がない。


「まあ、まあ、敦ちゃん。

 今のは、私の方から誘った訳だし」


「その方が、余計傷つく! 

 ……何なの? 

 何でそうなるの? 

 この男は間違いなく未遂でも今日の事をオカズにして、自■に励むに決まっているのよっ? 

 そんな汚れた男に、ココが付き合う道理はないわ!」


「んん?

〝今日の事をオカズにして自■に励む〟ってどういう事かな?」


「――うるせえ! 

 ココも、笑顔でそういう事を訊くな! 

 もう分かったから、大人しく帰るから、加賀もどっかに行け!」


 これでは、昭和の漫画である。

 オチがこれとか、恋矢としてはあんまりだ。


 しかも敦はココと恋矢が分かれ道にさしかかるまで、しっかりついてきた。


 大きく溜息をつくしかない天井恋矢は――ただ今日と言う日を呪ったのだ。

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