アディルの愛は不器用に彷徨う。


 メルガリス国、執務室。


 真昼の強い日差しに目を細めながら、窓を開けると少し強めの風が入ってきて、机の上に無造作に積み上げられていた書類がバラバラと舞い上がり部屋中に散乱する。


 その中の一枚の便箋が足元に舞い落ちてきた。拾いあげると、ほんのり薔薇の香りが漂う。


「マホロと晴人が再会したユラの事件から八年。分かっていたとはいえ、やっぱりツラいものだねー」


 薔薇の透かしが美しい便箋は、マホロからのもので晴人との結婚が決まった知らせる手紙だった。


 ヒラヒラと指先で便箋を弄びながら、思わず溜め息が出てしまった。


 コンコンコンコン!


「アディルさま、いらっしゃいますか?」

「いるよ」


 アキハナが買い物から帰ってきたようだ。「失礼します」と言って、執務室のドアを開けて入ってくる。


「もー! こんなに散らかして」

「ごめん、ごめん、風で飛んじゃったんだよよ」


 ブツブツつぶやきながら床に散らばった書類を拾って、アキハナは執務机の上に丁寧に角を揃えて書類を置いてくれた。風で再び飛ばないように、机の隅に積み上げられた本を一冊、手に取ると書類の上に乗せる。


「ありがとう。それで欲しいものは買えたのかい?」

「はい。この本です。雑貨店の店主が北の国から取り寄せてくれたんです」


 肩からさげていた鞄から、本を取り出してオレに手渡してくれた。受け取ってパラパラめくると、とある冒険者の手記で、ナリディーアの秘境について詳しく書いてあって挿絵まで描かれた美しい本だった。


「かなり興味深いね。行ったことのない地域の話は面白そうだ」

「そうですよね! 出来ることならば、いつか行ってみたいです」


 本を返すと、アキハナは本を抱きしめて目を輝かせる。可愛いなと思う。素直で賢いアキハナは向上心もあって、今ではオレの王としての仕事もサポートしてくれるようになったいた。


「一番、最初にアキハナに出会うことができていたら良かったな……」

「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、何かあったのですか?」


 心配そうにオレの様子を伺うアキハナに、手に持ったままだった手紙を渡す。


「ボクが読んでしまってもいいのですか?」

「かまわないよ。アキハナにも関係がないわけじゃないからね」

「では読ませていただきますね」


 アキハナの瞳が文字を追って動く。そしてマホロからの手紙だと分かって、嬉しそうな表情をする。少し時間をかけて読み終わるとオレを見て、今度は戸惑うような困ったような表情になった。


「龍王様とマホロ様、ご結婚されるのですね」

「そうみたいだね」

「さみしいですね」

「そうだね……」


 オレが晴人に思いをよせていることを、勘の鋭いアキハナは知っている。


 晴人のマンションで初めて会った時、使える駒くらいの考えでアキハナを連れて帰ることにした。そしてメルガリスの城に戻った初日に、アキハナから「一目惚れしたんです」と告白された。けどオレは「付き合うことはできない」と断った。まだ晴人のことを諦めきれていなかったから。


 とはいえ、いつでもアキハナと一緒にいるから周りの者たちには、オレとアキハナは付き合っているのでは? と思われているようだけどね。


「ボクならアディルさまと、ずっと一緒に……」

「ごめん」


 オレから拒絶の言葉を聞いたアキハナの表情は一気にゆがんで、アメジストを思わせる紫色の瞳からは雫がホロホロ落ちていく。


 手に持った手紙もヒラヒラ落ちていく。


 抱え持っていた本も、バサッと音を立てて床に落ちていく。


「……ボクの、方こそ……すみません、でした」


 袖口で涙を拭ってからアキハナは、もの凄い勢いで執務室を飛び出して行ってしまった。


 実は本気の愛をオレにぶつけてくるアキハナが怖かった。


 分かっていたんだ。オレにとって愛することは喜びが優って楽しくて怖いことなんてない。けれど愛されるのは不安が大きくて逃げたしたくなるということを。


 だからアキハナの気持ちを断り続けた。これまでは何も思わなかった。そしてこれからも同じはずで、たとえアキハナの涙を見ても気持ちは揺れないと思っていた。


「またアキハナを傷つけてしまったなぁ」


 けれど今はなにかが違う。


 心臓の奥深くが痛くて、心がざわついて耐えられそうもない。


「探しに行こう」


 執務室を出てしっかり施錠して、ゆっくり考えをめぐらせながら歩きだした。


 晴人を”想っていた時”とは、まったく違う初めての心の揺らぎ。


「……そうか、オレの中で、いつの間にか答えが出てたんだね」


 自分でも気がつかないうちに、晴人への思いは想い出になって過去になりつつあったんだ。


「アイツが行きそうな場所は……」


 しだいに早足になり、城を出る頃には走りだしていた。



 走って、たどり着いたのはメルガリスの街全体を囲む高い壁の前。


 その分厚い壁の内部は兵士たちの寄宿舎も兼ねているのだけど、屋上には一定間隔に塔が建っていて、街の外も中も見渡すことが可能なのだ。毎日そこを兵士たちが六時間交代で巡回してる。だからもしもの有事の際には街への大門を閉じて鐘を鳴らし、壁に埋め込まれた砲台が火を噴くのだ。


「まぁ、そんな大事件は、そうそう起きないんだけどね。それよりも今は……」


 たぶんアキハナは壁の屋上にいるはずだ。塀の上からの景色が好きだと言っていたから。


 寄宿舎の長すぎる廊下を早足で歩く。くつろぎ空間に突然現れたオレの姿に、兵士たちは雑談をやめ九十度のお辞儀をする。


「ごめん。屋上に用があるだけなんだ。普段通りにしていて欲しい」

「はい!」


 まぁ、この国の王がいきなり来たのだ。くつろげって言われても無理な話だろう。ということで気を遣わせるのも悪いので、走ってアキハナの元へ急ぐ。


 廊下の突き当たりに着くと、螺旋階段が上に向かってトグロを巻いている。煉瓦造りの階段をコツコツ靴音を響かせ上っていく。


 踊り場にある屋上へのドアには案の定、鍵はかかっていない。古くなって建て付けの悪いドアをガタガタ言わせて開ける。


「やっぱりここにいたね」

「いつもなら放っておく貴方が、なぜ来たのですか? 落ち着いたら戻りますから、今回も放っておいてください」


 柵に身を乗りだし、風をうけるアキハナの青みがかった髪の毛がふわふわ揺れる。振り返りもしないのは拒絶。そして声には少し怒りがこもって聞こえた。傷つけたのだから当然だなと思う。


「アキハナ聞いてくれ」

「……」


 無言だ。けど立ち去る気配はない。聞いてくれるということなんだろう。


「オレはたしかに晴人が好きだった。今思えばアレが、一目惚れというヤツだったんだと思う。初めて晴人に会ったのは、龍輝国の宿屋龍音の馬小屋だった。オレは遠乗りから帰ってきたところで、晴人は父上と喧嘩をして飛び出してきたと言ってた。初めて出会ったとは思えないほど話も弾んで気も合ったんだ。その後も龍輝国に行く度に、馬小屋で待ち合わせをして晴人と共に幼少期を過ごした。お互いの両親もオレたちを通じて良好な関係になっていった。だが龍輝国が襲撃され晴人の両親が殺された時、晴人に前世の記憶が蘇ったんだ。その話を聞いた瞬間にオレの失恋は確定していたんだよ」

「……なんとなく、そんな感じなのだろうと思っていました」

「やっぱり気がついていたんだね」

「はい。最初はボクを利用するだけのつもりでメルガリスに連れ帰ったことも分かっていました。だからアディル様に何度、拒絶されても気にしないようにしていたんです。ボクはアディル様のお側にいられるだけで幸せでしたから……」

「すべて分かってて、それでもオレの側にいてくれてたんだね」

「はい。たとえアディル様の心が変わらないとしても、これからもお仕えはします。だから今は一人にしておいてください」


 再び走り去ろうとしたアキハナの腕を咄嗟につかむ。


「待ってくれ。話を最後まで聞いてほしい」

「……分かりました。話は聞きます。ですが結婚が決まったから、ボクを選ぶというならメルガリスから出ていきます。そしてもう二度とアディル様の元には戻りません」

「あぁ、それでいい。聞いてくれ。晴人のことは、もう過去なんだよ。とっくの昔に、晴人が記憶を取り戻した、あの時に! そのことに気がつきたく無くて、まだチャンスはあると思いこんだ。あげくにアキハナお前を何度も傷つけたんだ。本当にすまなかった」


 ずっとオレから目を背けていたアキハナが、ゆっくり振り返ってオレを見て小さく溜め息を吐く。やっぱり恋や愛は怖い。心臓がどうにかなってしまったかのようにバクンバクン暴れ回る。


「貴方が不器用な人だというのは分かっていましたが、ここまでだとは思いませんでした」

「ハハハ……。オレは不器用だったのか」

「はい。けどそんなところもボクは好きになったんです」

「好き……か……。もしかしたらこれからも振りまわしてしまうかもしれない」

「分かってます。今さら性格は変わらないと思いますから覚悟はしてます。だから泣かないでください。アディル様は王様なんですから、誰かに見られたら困りますよ」


 アキハナがポケットからハンカチを取り出し少し背伸びをして、オレの目元と頬を優しく拭いてくれる。


「ありがとうアキハナ。これからもずっとオレの傍にいて欲しい」

「はい。もちろんです」


 日の光の元、アキハナが微笑む。間違いなく今までで一番、可愛くて美しい笑顔だ。



 マホロと晴人の結婚の儀は、国をあげての盛大で素晴らしいものだった。


 儀式の後の宴会で、晴人が微笑んでも、親しげに肩を組んできても、もうオレの心は揺れることはなかった。


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