第20話、潜入。
ゆるりと馬車が止まった。
コンコンコンコン!
「晴人様、ユラの街に到着いたしましたが、これはいったい……」
ノックの音と共に、クレダさんの戸惑いを含んだ声が聞こえてきた。
馬車を降りると、街の中へ続く門は開きっぱなしだし、人や生き物の気配も一切感じない。そして一番、奇妙なのは街全体を半透明な赤紫のドームが覆いかぶさっていることかもしれない。
「なによ。これ? 前に来た時はこんなんじゃなかったわよね?」
「オレたちが見に来た時も、ここまで酷くはなかったよ。多少おかしな点はあったけどね」
「はい。この一週間ほどで、これほどまでに異様な雰囲気になるのはおかしいと思います」
「にゃうぅぅぅ〜!」
「一刻の猶予も無い異常事態と言うことなんだろう」
ぬるりと粘っこい風が、生臭い匂いを運んできて、そのなんとも言えない腐臭に思わず鼻を両手でふさぐ。アムリは目を見開き全身の毛を逆立て警戒しまくってる。
「とにかく、まずは城の様子を見てくるわ」
ズボンのポケットに入れておいた、地図の書かれた木束を取り出す。
「一人で行かせるのは心配だ。俺も行く」
「分かったわ。絶対に手を離さないでね」
「あぁ。もう二度と離さない」
私が晴人に向かって手を差し出す。晴人がしっかり私の手を握る。
「うん。一緒に行こう」
まるで元の世界で離した手を、今度こそ離さないとでも言っているように聞こえた。
「にゃ!」
「うん。アムリも一緒にね」
肩に乗っていたアムリは自分も忘れるなと存在を主張する。神獣なので実は強いのも知ってるから心強い。
「じゃ、オレからはコレ渡しとくよ」
「これって凄く貴重なものなんじゃない?」
「城の宝物庫で見つけたんだけど、今までは使う用途が無かったんだ。だから何かあったら気にしないでオレたちを呼んで」
「うん。ありがとアディル」
受け取った手のひらサイズの青く輝く魔石は、一度だけ使える転移装置だ。任意の人間を三人まで呼ぶ事が出来る。ズボンのポケットに大切にしまう。
「猶予はなさそうよね。早く行こう」
スキルを発動させ走りだす。私に触れてる晴人とアムリも同じように消える。
「本当に消えるんだ!?」
「凄くですね!」
アディルとアキハナが驚きの声をあげたのが、背後から聞こえたけど走るのはやめないし振り返らない。
「門をくぐって左、塀つたいに進んで、突き当たりの井戸……わっ!」
木束を広げて走っていたら、フワリと体が浮いた。
「この方が早い。そのかわり後ろの安全確認を頼む」
「うん。分かった」
抱っこって後ろがよく見えるから、たしかに背後の安全確認に丁度いい。それに私の走るスピードに合わせるより、ずっと早い。鼻が曲がりそうなほどの悪臭は、どんどん濃くなっていく。
「この井戸だな」
「そうだと思う」
「しっかりつかまって歯を食いしばってろ」
「うん」
音を立てないようにしながら、ゆっくりとした動作で晴人が井戸の木製蓋を取る。
フワッと落ちる感覚が襲ってきて、タンッ! と、靴音がして井戸の底に着地した。
ピチャン……ピチャン……ピチャン……
水音だけが暗い地下道に反響する。真っ暗な中、手探りで進む。あまり水が、たまっていないのが救いかもしれない。敵の正体が分からない以上、水音で気づかれて襲われるなんてことにはなりたくない。
「前方に分かれ道があるが、どっちだ?」
「右手の方に行くと階段が見えてくるみたいよ」
内緒話をするように耳元で囁く。地下道にもかかわらず蒸し暑いし、生臭さは酷くなるばかり。晴人とアムリがいなかったら、へこたれていたかもしれない。ただしアムリはあまりの悪臭に、私の胸元に潜りこんで出てこなくなってしまったけどね。アムリは嗅覚が優れてるから我慢できないんだと思う。
「この階段だな」
「うん。上ると木製扉があって、その先は使用人が使う倉庫に出るみたいよ」
階段をリズムよく上がり、晴人が扉を開ける。
瞬間、むせかえるような血生臭い匂いが鼻の奥まで届く。
「なによ。これ?」
「分からん。だがとにかく進むしかないだろう」
晴人に降ろしてもらって自分で歩きだす。無人の使用人倉庫のドアを開けて城内に入る。
「もしかして街中の人がいるんじゃない?」
「あり得るな」
廊下に出ると、通路を埋め尽くすくらいの人々いた。しかも街中の人どころか、奇妙な噂にそそのかされてユラの街に来た人も混ざってる気がする。
「なんかみんな目がうつろだよね」
ぼんやりと空を見て、口元はだらしなく半開きになっているせいでヨダレが垂れてるし、体はゆらゆら左右前後に揺れて今にも転びそうだ。顔色も悪いから、まるでゾンビの集団みたいに見えてしまう。
「だが向かう方角は決まっているようだな」
「地図で見た感じ、領主の部屋に向かっているのかも」
ゆっくりゆらゆら歩く集団に紛れて、同じ方へ歩いていく。晴人の手は離れたりしないように、指を絡めてしっかりと握ったままだ。
「止まったね」
「どうやら匂いの元も、この場所だな」
予想通り、二階の領主の部屋の前でドアが開くのを待つようだ。
「ドア開かないね」
「見ろ」
指差す方を見ると、ドアの前にいた人間が、だいたい十人ずつ空気に溶けるみたいにスゥーッと消えていく。
「晴人、行ってみよ」
「その為に来たからな」
「うん。なにも確認しないまま戻れないよね」
「領主が無事だといいが……」
その先を言葉にはできない気持ちは分かる。どう考えても楽観できる状況じゃないからだ。
「消されるのは、ごめんだわ」
次々とドアの前で人々が消えていく。並んで消されるのを待つ人々を、かき分けながら少し強引に進みドアの前にたどり着く。
「開けるよ」
「あぁ」
私がドアノブに手を伸ばす。晴人は腰に差した剣の柄を握る。
ガチャ……。
意外にも鍵はかかっておらず、ドアはスムーズに開いた。
室内は禍々しい魔力で赤紫色に染まり、床全体に複雑な魔法陣がびっしりと描かていた。鉄臭い赤黒い魔法陣は、間違いなく人の血が使われたのだろう。
「……」
「酷いな……」
言葉を失うとは、まさにこのことだ。十人ずつ魔法陣の上に人間が現れたかと思うと次の瞬間、声もなく赤い霧を散らしながら消えてく。
ドアの前で消えた人々は、この魔法陣に吸い寄せられ肉片すら残さず命の灯が一瞬で失われる。
「晴人、剣を貸して」
「分かった」
スラっと晴人が剣を鞘から抜き、私に渡してくれた。
片手で柄を握りしめ魔法陣が描かれた床に、ガッ! と大きな音を立て突き刺す。
ガリガリガリガリガリガリ!!
そのまま床を抉る。晴人も私の手の上から、柄を握りしめ加勢してくれた。
ガリガリガリガリガリガリ!!
「これでどうかな?」
「……大丈夫そうだな」
傷だらけの魔法陣の上に、新しく人間が現れなくなったのを確認すると、ホゥと息を吐く。
「廊下の人たちは?」
部屋の外の様子を伺うと、みんな倒れていたり蹲っていたりしていた。晴人が首筋に手で触れる。
「息はある。そのうち目を覚ますだろう」
「良かった〜」
と、その時カツンカツンと硬質な靴音が、階段を上って近づいてくるのに気がついた。
『フェリス!?』
思わず声を出しそうになったけど、晴人が私の口を塞いでくれた。
フェリスは私たちに気づくことなく、目の前を通りすぎて領主の部屋に入ってくると、金切り声で喚きはじめた。
「おかしいと思ったら、なんなんだよコレ! 一体、誰が壊したんだよ!! どれだけの時間を費やしたと思ってんだよ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます