第18話、過去のカケラ。
『龍音』と木製の看板に書かれた、二階建ての立派な日本風旅館が建っていた。引き戸をガラガラガラガラッと開け暖簾をくぐる。燭台が一定間隔に灯されているからか、かなり明るい雰囲気だ。私たちが入って来たと分かると、待ってましたとばかりに、従業員たちが五人ほど並んで笑顔では出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「旦那、久しぶりだな」
「おやおや。晴人坊ちゃん、本当にお久しぶりですね。それに大きく立派になられて!」
「旦那も相変わらず声が大きくて元気そうだな」
「ハッハッハッ! ワシは元気だけが取り柄ですからね。今日は二人でお泊まりですか?」
「あぁ。それから夕食も頼む」
「よろしくお願いします!」
「にゃにゃん!」
私とアムリも一緒に挨拶する。
「分かりました。ではいつものお部屋にご案内いたしますね」
ここの主なんだろう旦那さんの、見た目は宿名の入った紺の上掛けを羽織った普通の白髪のお爺ちゃんだ。歩く姿勢もよく背筋をピシッと伸ばし、私たちの前をスタスタと歩いていく。クレダさんやフウガさんと同じで、年を感じさせない元気さだ。
靴を脱いで土間を上がり、畳敷きの廊下を歩いていく。突き当たりまで行くと、ギシギシ軋む階段を登って二階へ。東の角部屋、間違いなく一番良い部屋に着いた。
「こちらでございます。のちほど夕食をおもちします。それまでごゆっくりお過ごしください」
和風で個々の玄関もしっかりしていて、旦那さんが鍵で木製の引き戸を開けてくれた。ペコリとお辞儀をして早足で戻って行ってしまった。夕方から夜は忙しいんだろう。
室内に入ると、燭台の揺らめく炎で明るい。
「わぁ! やっぱり畳って落ち着くね」
畳の青い草の匂いにテンションが上がる。
「マホロに喜んでもらえるのは嬉しいものだな」
晴人が優しく、ほわりと微笑む。姿が変わってしまっても、やっぱり晴人の事がどうしようもなく好きだ。
「ありがと晴人!」
「あぁ。俺の方こそ、ありがとう」
そして宿でのお楽しみは室内探検だよね。と言う事でグルリと見てまわる。まず目についたのは和風の高級そうな大きな茶色いアンティークテーブル。
「木目まで分かるのね」
触ると木目がボコボコしていて良い感じ。座布団もフカフカで、アムリが早速ちょこんと座って尻尾を揺らす。
次は襖を開けてみた。布団がぴったりくっついて二組並んでるけど、私の今の年齢的に良いムードにはならなさそうなのが残念な気がする。晴人を犯罪者には出来ない。
最後に、障子を開けた。
元の世界のイルミネーションには遠く及ばないけど、民家の明かりや街のいたるところに焚かれた篝火が瞬いて幻想的で美しい景色が広がっていた。
「凄く綺麗ね」
「そうだろ。俺もここからの景色を気に入ってる。マホロと見られて良かった」
「晴人のとっておきだったのね」
「あぁ」
コンコンコンコン!
ガチャッとドアが開いて、ペコリと頭を下げると三人の若い男が、おぼんを持って入ってきた。
「お食事をお持ちいたしました」
テーブルにおぼんを置くと、すぐに「食べ終わった食器類は廊下に出して置いてくださいませ。それではごゆっくりお楽しみください」と言って出ていってしまった。素早すぎてお礼も言えなかった。
テーブルに並んだ料理は、どれも懐かしくて慣れ親しんだ家庭料理ばかりだ。座布団に座って手を合わせる。対面側に晴人も座る。アムリは、ちょっと行儀悪いけどテーブルの上に座った。
「ではいただこう」
「良い匂い。いただきます」
「にゃん」
まずは肉じゃがをパクリ。よく煮込まれて柔らかい肉は舌の上でとろけ、じゃがいもはほろほろで肉と出汁の甘みが染みこんでたまらない。
「ん〜。口の中で溶けちゃう」
「特にじゃがいもが美味いな」
アムリにも拭き冷ましてあげると夢中でガツガツ食べはじめた。
次は魚の干物、塩加減がちょうどいい。かなり大きいので、アムリと半分こにする。アムリには魚をほぐして雑穀米と混ぜてみた。
「身が柔らかいし、肉厚で美味しすぎる!」
「うにゃにゃん!」
「港町から直接、仕入れてるらしいが、本当に美味いな」
雑穀米と魚を交互に食べる。雑穀米は少し歯ごたえがあって好みの固さだ。濃いめの豆腐の味噌汁は身体を芯から温めてくれる。サラダも新鮮シャキシャキで贅沢気分になってしまう。
「デザートまであるのね」
「牛乳寒天だそうだ」
「にゃ!?」
プルンプルンした食感が面白いし、濃厚なミルク風味がほんのり甘くて、アッと言う間に食べ終わった。アムリは初めての食感に最初は戸惑っていたけど、恐る恐る一口食べたあとは、ミルク感たっぷりなのが気に入ったようでカツカツと完食してしまった。
「ハァ〜……。お腹いっぱい。ごちそうさま」
パンパンに膨れたお腹をさする。
「やっぱりこの宿の料理は最高だな」
「うん!」
「にゃん!」
開けっぱなしの障子の窓の外から涼しい風にのって賑やかな音楽と歌が聞こえだす。
「龍輝国って本当に良い国ね」
「フウガと部下たちのおかげだがな」
「でもそれは晴人がいてこそだと思うよ」
「そうか?」
「そうだよ。きっとフウガさんも晴人がいるからだって思ってるよ」
「だと良いな」
風が入ってくるたび燭台の炎が揺れて、部屋の中の影が揺らめく。風情があるとはこのことかもしれない。
「あのさ。聞いてもいい?」
「なんだ?」
「もしかして、ここは晴人の思い出が詰まった大切な場所なんじゃない?」
「あぁ。ここにはよく来たな。家族と来た事もあるが、こっそり城を抜けだして遊びに来た事もある。あとアディルと出会ったのも、ここなんだ」
「そうだったんだ。だから旦那さん懐かしそうに晴人のことを見てたのね」
「あぁ。ある意味もう一人の親みたいな感じだな。気のいい旦那は、城を抜けだしてきた俺を追い払うことはなく、いつもオヤツをくれたり遊び相手になってくれた。だが怒ると怖いんだ。アディルとイタズラして叱られたりした時なんかは、まるで雷オヤジだなんてアディルは言っていたな」
昔を懐かしそうに語る晴人は少し涙ぐんでいる。もう二度と会えない両親の事も思い出してるのだろう。
「晴人の過去が聞けて嬉しいよ」
「マホロにだけは、すべてを知ってもらいたい。だから聞いてくれて俺も嬉しい」
立ち上がって晴人の隣に座りなおして、晴人の手を握る。
晴人は私の手を両手で包みこみ、ふわりふわりと撫でる。
「温和そうな旦那さんを怒らせるなんて何をしたの?」
「気になるか?」
「うん。あとアディルとの出会いも聞きたいわ」
「出会いか……。父上と大げんかした時に城を飛びだして、この宿の馬小屋に閉じこもったことがあったのだが、その時に馬を預けに来ていたアディルと出会った。初対面だというの妙に気が合ってアディルが龍輝国に来るたびに宿の馬小屋で待ち合わせするようになった。それでよく二人でつるんでイタズラしたわけだ。馬小屋の馬、全頭の尻尾を三つ編みにしてみたり、旦那の靴を隠したり、一つ一つはたいしたことは無いが厄介なイタズラばかりしていたな」
「あはは! なんだか悪友って感じなのね。でも凄く楽しそう。馬の尻尾はそのあと、どうなったの?」
「旦那の怒鳴り声で俺たちは逃げたからな。たぶん旦那がなおしたんじゃないかな」
「大変そうね」
「あぁ。あの時は馬小屋に十二頭はいたから、地味に面倒くさかったはずだ。悪いことをしたと今は思ってる」
その後も、晴人の話を聞いたり、逆に私の過去を聞かれたりして、笑ったり、ちょっぴり涙ぐんだりなんかして楽しいひとときを過ごした。アムリはすっかり飽きてしまい、座布団の上に丸くなって先に眠ってしまっていた。
「さて明日は早い。そろそろ寝ようか」
「うん」
隣の寝室に行って布団に横になる。
もっと近くにいたい。
と、思っていたら、ゴソゴソ動く音がして晴人が私の布団の中に入ってきた。
そして後ろから抱きしめられた。
晴人と密着する。
晴人の爽やかな体臭が、私を包みこむ。
晴人の温もりが、私の身体全体にじわじわと染みこんで、身体だけじゃなくて心まで熱くなっていく。
安心感が広がって、
ゆっくり優しい眠りが訪れる。
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