第12話、二つの愛の形。


 カツンッと、硬質な靴音たてながら、フェリスが馬車の中に入ってきた。晴人は私たちを抱きしめていた手を離すと私の前に立つ。アムリも私の前に踊り出て、全身の毛を逆立て歯を剥きだしにして「シャァー!!」威嚇する。


「そんなに警戒しなくてもいいよ。今日は挨拶しにきただけだからね」


 ニタニタした笑みはたやさず、更に一歩カツンッと近づいてくる。


 そして……。


「おや? 晴人くんの後ろにいるのは、まさかと思うけど、僕の愛おしい姫かな?」


 昏く赤い瞳と、バッチリ目が合ってしまった。澄んだ優しい声音にも関わらず、何故だか背筋がゾクリと震えてしまう。


「無月、あんたの姫になった記憶は無いわ」

「無月……ね。その名は偽名だから、僕のことはフェリスって呼んで欲しいな。マホロ、君は僕が”呼んだ”訳じゃないのにナリディーアまで追いかけてきてくれた。可愛いマホロ、姿が変わっても愛してるよ。僕の伴侶マホロ!」


 狭い馬車内で、大げさな身振り手振りで語り出すフェリスに恐怖も忘れ、今度はゾワワァと全身に鳥肌がたった。


「……そんなわけないじゃない。私はアンタを心の底から憎んでんのよ」

「ふふふ。イイネ! 憎しみは最上級の愛じゃないか!」


 話が全く通じない。フェリスは、まさに電波男ってヤツだ。


「愛なんかじゃないわ。心の底から大嫌いだって言ってんのよ!」

「分かってないのはマホロだよ。ただの愛は薄れ消えてく。だけどね、憎しみは消えない永遠の鎖のようなモノ。つまり至上の愛なんだよ」

「あんたは間違ってるわ」


 晴人とアムリが反応するより早く、フェリスが素早く動き私の目の前に立つと、指先でクイっと顎を上げさせられた。間近で視線が交り合う。その赤い瞳はドロリとした血のようだと思った。


「ふぅん。晴人くんと同じで、マホロにも僕のスキルは効かないんだね」

「スキルって私に何をしようとしたの」

「それはマホロが僕の伴侶になったら教えてあげるよ」

「じゃ、分からないままでいいわ。興味ないし! それといつまでも私に触ってんじゃないわよ!」


 バリバリバリバリバリバリ!!!


 両手を振り上げ、フェリスの顔面に向かって思いっきり爪を振り下ろした。


「ふふふ。相変わらずお転婆で元気いっぱいだね。今度は僕の伴侶として迎えにくるよ」


 私から手を離し、顔面に走った十本筋を指先でなぞって、指についた血を舐めてウインクすると、まるで霧のようにスゥーッと消えてしまった。


 フゥっと、晴人が溜息をついてドカッと座る。私も対面側に座った。アムリも落ち着きを取り戻して私の隣で丸くなる。



 コンコンコンコン!


「晴人様、マホロ様、ご無事でございますか?」


 しばらく経ってから、開けたままになっていた馬車のドアがノックされ、クレダさんが心配そうに顔を覗かせる。


「あぁ。大丈夫だ。それよりクレダは怪我はないか? うめき声が聞こえたが……」

「このくらいどうと言うことはございません」


 そう言ってクレダさんは、力こぶを作って見せたが、ほんの少し顔をしかめている。よく見ると、肩口の袖が切り裂かれ血が滲んでいた。


「晴人、弁当箱を包んでたハンカチちょうだい」

「分かった。これで頼む」


 紙袋からハンカチと、ボストンバッグからは水筒と包帯と傷薬を出して、私に手渡してくれた。


「クレダさん、傷口を見せて!」

「自分で出来ますゆえ、気になさいますな」

「そんな訳にはいかないわ。長旅になるんだから、しっかり治さないとね」

「そういう事だ。クレダ入って座れ」

「ではよろしく頼みます」


 私と晴人の二人がかりで治療をすすめられてしまったクレダさんは、頭を下げて恐縮そうにしながらも馬車の中に入ってくれた。


「ちょっとしみるけど我慢してね」


 袖口をまくって傷口を診る。出血は止まっていたけど鋭い刃で切りつけられたものだと、素人が見ても分かった。水筒の水をハンカチにふくませソッと汚れを拭いて綺麗にしてから、傷薬を塗っていき、最後に包帯を巻いて終わりだ。


「終わったわ」

「ありがとうございました」


 クレダさんは嬉しそうに微笑みながら袖を元に戻す。


「クレダ、襲撃時の状況を話してくれ」

「はい。あの者は突然、霧をまとって現れたのでございます。そして走りつづける馬に飛び乗り手綱を握り馬の足を止め、振り向きざま御者台の爺に向かって剣を振り上げてきたので咄嗟に反撃を試みました。しかし昔のようにはいかず、このざまでございます」

「なるほどな。やはり十五年前と同じか……。その後、フェリスの根城は分かったか?」

「各地に散らばっておる我ら龍の同族たちを使って探してはいるのでございますが、全くつかめておりません」


 すまなそうにクレダさんが首を振る。そんなクレダさんに晴人は「気にするな。俺も引き続き調べる」と言って怪我をしていない方の肩をポンとたたいた。


「クレダ、負担をかけるが、引き続き馬車を頼む」

「負担などではございません。ではまずはソラの街まで急ぎましょう」

「あぁ。そこまで行けば砂漠地帯を抜けられるからな」


 クレダさんが降りて、カタンッと音を立ててドアが閉められ、ゆるやかに馬車は再び走りだした。相変わらず闇を映しだす車窓を見ながら考えるのは、無月の奇妙な薄気味悪さ。


「マホロどうした? 何か気がついた事でもあるのか?」

「うん。そう言えば、元の世界でも無月……フェリスは、突然姿を現すことが多かったなって思ったの」

「そうなのか?」

「前にも言ったけど母の葬式の日までフェリスの姿を見たことも無いし、それだけじゃなくて母の一件でフェリスの身辺を調べ回ってくれた弁護士や警察ですら、無月の住居は見つけられなかったのよ。ダメ元で父を問いつめて聞きだした住所もデタラメだったわ」

「そうだったな。俺も調べてはいたんだが、何も情報がつかめないどころか拉致されて、今この状況だ」

「巻き込んじゃってごめんね。晴人」

「いや、気にするな。俺は俺の意志で動いただけだからな」


 晴人は微笑みながら大きな頼り甲斐のある手で私の頭をクシャリと撫でる。いつだって晴人は優しく強い心で、私を守ってくれていた。この世界ナリディーアに来てからも変わらないし、腕っ節まで強い男へと成長してる。


「晴人は本当に優しいね」

「マホロにだけだがな」


 そんな事はないことくらい分かってる。フェリスに追われて来た者たちをマンションに住まわせたり、さっきだってクレダさんを気にかけてた。このままナリディーアに晴人がいたなら、きっと良い王様になる気がする。


 私は”今”は、帰りたいと思ってる。


 でも晴人はどうだろう? ナリディーアはもう一つの晴人の故郷なのだ。


 いつか私は選ばなくてはならない時がくるのかもしれない。

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