第10話、懐かしくて優しい時間。
存在するだけで賑やかなアディルがいなくなると、とたんに静かな空気が流れる。ぷすぅぷすぅとアムリの可愛らしい寝息だけが聞こえる。晴人がリビングの隣にあるキッチンから、甘い香りを漂わせ戻ってきて、ゆったりとした動作で私の隣に座った。持っていた二つのカップの片方を渡される。
「ココアだ。温まるから飲め」
「ありがと。って、ココアなんてあるの?」
「ひととおりのものは揃ってる」
両手でカップを包み込むと、じんわりと熱が伝わって暖かい。吹き冷ましながら口に含むと、甘みが広がって気持ちが落ち着いてくる。
「ひととおり?」
「このマンション内だけだが、前世……元の世界のモノを呼び出すことができる。どういった原理なのかは不明だが電気まで通っている。しかし限界はあるようで車だとかの大物は無理だがな」
「晴人のスキル?」
「そうなるな。十五年前に使えるようになったんだ」
両親を殺され国を追われ、そのさなか前世の記憶とスキルを手に入れたって感じなのかもしれない。
「使いようによっては凄く便利そうね」
「あぁ。かなり助かってるな」
「空き部屋はどうしてるの?」
「俺と共に国を追われた者達を住まわせてる。だからなのか分からんが、周りの者たちには城だと思われてるようだな」
「そうなんだ。じゃあやっぱり城は別にあるんだね」
「まぁ、ここはただのマンションだからな。城は龍輝国の中央にあるんだが、なかなかの大きさの見応えある建物だ」
「そっか。いつか見てみたいなぁ」
視線を窓に向けると、空が黒から群青に変わりはじめ朝の気配が漂う。少しずつ白んでいくのを見ながら、結局ほとんど寝られなかったなどと、ぼんやり思っていると。
「再びマホロに会えて良かった」
抱き寄せられ、額に羽根のように軽いキスをされる。鼻の奥まで届く匂いも、姿も声も違うけど、この人は晴人だと思えた。私も晴人に向かって両腕を広げ抱きしめる。
「私も晴人にまた会えて嬉しい」
ふかふかのソファに、晴人に抱きしめられたまま横になると安心感で眠気が襲ってきた。
「明日は忙しい。このまま寝てしまえ」
「うん。ありがと……」
晴人が髪の毛を優しい手つきで、すいてくれるのを感じながら目を閉じた。
◇
目元をザリザリしたものが、何度も何度も触れてくる。その感触で目が覚めて、ゆっくり起き上がる。風に揺れるカーテンの隙間からは、夕日が差しこんで部屋を赤く染めていた。いつの間にか寝室のベッドで寝ていた。晴人が運んでくれたに違いない。
「丸一日、寝て終わっちゃったのね」
夜の気配が近づくのを感じて、なんだか損した気分になる。でも安心できる場所で眠れる幸せは、何ものにも変えがたいとも思う。
「にゃーん!」
アムリが三本の尻尾をユラユラさせながら、私の枕元にちょこんと座っている。アムリが、まぶたを舐めて、起こしてくれたみたいだ。
「アムリおはよ!」
「にゃ!」
抱っこして挨拶をすると、アムリは目を細めながら私の胸元に頭をぐりぐり擦り付けてくる。喉もゴロゴロ鳴らしてご機嫌な様子だ。
コンコンコンコン!
ノックの音と共にドアが開き、晴人が入ってきた。
「起きたか」
「うん。久しぶりにぐっすり眠れたよ」
「にゃにゃん!」
「それは良かった。今日はこれから出かける。一緒に来てくれ」
「もちろんついて行くわ。それでどこに行くの?」
「龍輝城」
「城に行くの?」
「さすがに目立つから城には入らない」
「そっか、そうよね。どこでアイツが見てるか分かんないもんね」
事情が事情だし目立つ事は出来ない。無月、フェリスが何か仕掛けてこないともかぎらないからだ。
「そのかわり城下町で人と会う約束を取りつけた。だから外から見るくらいはできるだろう」
「でもその城には……」
龍輝国は晴人の育った場所。考えるまでもなく様々な思い出が詰まっている。それはつまり……。
「ツライ記憶もたしかにあるが、久しぶりの故郷だから行って見ておきたいんだ」
「分かったわ。私も晴人の育った国は見てみたいし!」
「では出発するとしよう。この時間から移動すれば城下町に着く頃には暗闇に紛れて動けるからちょうどいい。着替えはクローゼットから適当に出してくれていい。準備が出来たらリビングに来てくれ」
「分かったわ」
「にゃん!」
晴人が寝室から出ていくのを見送ってから、私はベッドから降りてクローゼットを開けた。アムリもついてきて私の足元にすり寄る。
「これは凄いわね」
クローゼットの中には、私の体型に合う服が見つかるようにと、子供服がサイズ別にカラーボックスにたたんで入れてあった。とりあえず八歳児サイズと書かれたラベルのカラーボックスを開ける。
「ズボン、スカート、Tシャツ、ブラウス……本当に色々あるわね」
カラーボックスから手当たり次第に出してみる。どれにしようか? と言っても今日は秘密裏に動かないといけない。なので残念だけど、地味な服を選ぶしかない。
「黒で統一した方がいいよね」
黒シャツに黒のジーパンに決めた。シャツは首の部分が、ゆったりめなのにした。アムリが入りやすいからね。ずっと欲しいと思っていた靴下や下着まであるのは助かった。念の為、男装は続けた方が良さそうと思い、髪の毛は結い上げて黒の帽子で固定しておく。
着替えを済ませてリビングに向かう。アムリも後ろをピョンピョン、楽しそうに跳ねながらついてくる。
「準備出来たよ」
「今、行く」
キッチンの方から晴人の声が聞こえた。しばらくすると黒シャツに黒のジーパン、さらに髪の毛まで黒く染めた晴人がリビングに入ってきた。手には何やら大きな紙袋を持っている。
「では行こうか」
指先で鍵の付いたキーホルダーを、クルクル回しながら玄関に向かう晴人を追いかける。アムリは、もはや定位置になってる私の胸元に潜りこんで顔だけだす。
「木靴のサイズから測ってみたんだが」
そう言って玄関先で渡されたのは黒の運動靴。さっそく履いてみる。ピョンピョン飛んでみたり足踏みをして、履き心地を確かめてみた。やっぱり木靴より数百倍はいい。
「ありがと! ピッタリだよ!」
「それは良かった」
玄関をしっかり施錠してからエレベーターに乗って、オートロック式のドアとアーチ型の門扉をくぐり抜けると、一面に砂漠が広がり、風が乾いた砂の匂いを運んでくる。
「やっぱり夜は冷えるわね」
真っ暗闇の中で星が淡く瞬く空を見ながら、ブルリと身体を震わす。するとフワリと暖かさに包まれた。裾の長い黒のダッフルコートだ。
「風邪をひくといけない。着てろ」
「凄く暖かい! 晴人ありがと!」
お礼を言って振り返ると、晴人もいつの間にか暖かそうな黒のロングコートを羽織っていた。手には茶色の大きなボストンバッグと先程の紙袋、更に麻袋まで持っている。大荷物だけど旅に必要なものが入っているんだろう。間違いなく私の分まで入ってるから、かなり重みもありそうだ。
「荷物半分持つよ」
「大丈夫だ。気にするな」
荷物を受け取ろうと手を伸ばしたけど、晴人はニコリと笑んで砂の大地を歩き始めた。
「城下町までは遠いの?」
「国境を越えた所に馬車を待たせてある。順調にいけば、それほど日にちをかけるずに着くはずだ」
砂漠の砂が靴の中にまで入ってくるし足がもつれてしまうけど、ゆっくりと歩いてくれる晴人の後をついていく。しだいに風もおさまってきて静かになってきた。
「国境?」
「木々が生い茂った場所が見えてきただろう?」
暗闇に慣れてきた目で、晴人が指差す方角を見ると、木々が茂りテントが張られた場所があるのが分かった。
「焚き火も見えるし馬車も並んでるね」
「小規模だが商人達も使う国境オアシスなんだ。まずはあそこに行く」
龍輝国とメルガリスは友好関係があるからだろう。国境に兵士もいなければ壁もない。行き来は自由なようだ。
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