第8話、二つの世界。、


「……なんで私の名前、知ってんのよ!?」


 思わず後ろに飛び上がるようにして、男から距離をとる。


「それは俺が”鈴山晴人”だからだ」

「信じられないわ。だって声も姿も全く違うじゃない」

「それはマホロもだろう?」

「そっ! それはそうだけど、でもさ……」


 今の彼の姿は、金髪金眼に、ほどよくついた筋肉はなかなかで美男子そのもの。現実世界の彼とはまるで逆だ。会社内での晴人は仕事は出来るけど、いつも茶系のスーツを着て、短く刈られた黒髪に黒縁眼鏡の地味で目立たない存在だったのだ。戸惑うなって方が無理というものだ。ちなみに晴人は営業マンで私は商品開発部で、部署も違う。接点がまるで無かった。そんな私たちが出会ったのは……。


「マホロと初めて会って話したのは俺の兄が経営してる猫カフェ『アムリ』だった」

「!?」

「毎週、金曜日二十一時、アムリ」

「えぇ。たしかに毎週、通うようになったわね。でもそれだけじゃ、まだ信じられないわ」


 “アムリ”は自分が呼ばれたのかと思って、胸元から顔を出して首をコテンッと傾け不思議そうに私を見上げる。


「クックックッ! 疑り深いのは相変わらずだな」

「当たり前よ。自分の身は自分で守るべきだもの。そして当然、心も守るわ」


 群れたりして足元をすくわれるのも、信じすぎて裏切られるのもゴメンだからだ。私の母は信じていた父によって、身も心もボロボロになって、そして……。


「そうだなぁ。じゃあ、無月が、この世界ナリディーアにいると言っても信じないか?」

「は!? アイツがいるの?」

「あぁ。フェリスって名前で、厄介な事にナリディーアの神王を名乗ってる」

「何考えてんのよあの男! まぁ……無月なんて名前も本名じゃない気がするんだけどね」

「そうだな」


 無月は父の親友だと聞いていた。けど私は姿すら見たことは無かった。そんな男が母の葬式の日に突然現れたかと思うと、母が経営していた三代続いた会社も、生まれ育った家も財産も何もかも奪っていった。茫然自失な父を見て、父自身も親友だと思っていた無月に騙されていたのだろうと分かった。その後、晴人に相談して、取られたものを取り返そうと様々な手を尽くした。そのさなかに晴人は行方不明になってしまったのだ。


「分かった。信じるわ。無月の事を知ってるのは晴人だけだからね」

「では、とりあえず入ってくれ。そっちのも一緒に来い」

「行くわよアキハナ」

「はい!」


 入ってすぐに晴人の家だと分かってしまった。白色で統一された家具、カーテンも絨毯もシンプルな水色、ほんのり香る爽やかな花の匂い。物の配置まで一緒だったりするから、現実世界と錯覚してしまうほどだ。


「趣味は変わってないのね」

「姿が変わっても魂は俺だからな。マホロもそうだろう? 動物が好きなのは変わらない」


 私の胸元に手を伸ばし、アムリの頭を優しい手つきで撫でる。アムリも晴人に敵意が無いと分かってるようで、目を細め気持ちよさそうにされるがままだ。


「そうね。変わらないわ」


 勝手知ったる晴人の家、というわけでリビングに行きソファに座る。体が沈みこむフカフカなソファも現実世界と同じだ。アムリも胸元から、ピョンと飛びだして伸びをしてからソファにチョコンと座った。晴人は木製のテーブルを挟んだ、向かい側に座る。


「アキハナも座って」


 戸惑い気味のアキハナは、リビングを見回しながらも立ちっぱなしだったので声をかけると、ハッ! とした顔で私と晴人を交互に見る。そして、


「あ、あの! 龍王様とマホロさんはお知り合いなのでしょうか?」

「あぁ」

「この世界では初めまして、だけどね」

「この世界とはどういう事ですか? 他にも世界があるのですか?」

「ん〜……なんて言ったらいいのかなぁ?」


 説明は難しい。なにせ今いる世界ナリディーアにあるゲームといえば、卓上でやるゲームくらいしか無いからだ。だからゲームの中に吸い込まれた、なんて言っても理解できないだろう。腕を組んで悩んでいると、晴人がアキハナをソファに座らせ、この世界に来た経緯を話始めた。


「この世界ナリディーアに俺が”生まれた”のは二十八年前だ。だから俺の場合だけでいうなら、赤子の状態で転生していた。だから最初は何も不思議には思わなかったんだ。子供の頃はもう一つの世界の記憶はなかったからな。だが十五年前、神王フェリスが、ナリディーアでの俺の両親を殺害した。その時にマホロと過ごした、ナリディーアとは別の世界の記憶が蘇ったんだ」

「もう一つの世界があると言うのは初めて聞いたので信じられませんが、話はなんとなくですが理解はできました。マホロさんとは、そのもう一つの世界での知り合いだったのですね」

「そうだ」

「けど神王なんて僕は知りませんし、龍王様のご両親が殺されたなどという話は聞いたことがありません」

「それはたぶん無月……神王フェリスは小細工が得意だから秘密裏に動いていたんだろうな。何故そうしなければならなかったのか? は分からんが、まぁ、フェリスは俺も殺す気だったかもしれんがな」


 二人の会話で晴人の今までの状況はだいたい分かった。けど気になるのは年数だ。


「ちょっと聞きたいんだけどいい?」

「なんだ?」

「晴人は二十八年前に生まれたのよね?」

「あぁ。記憶が戻ったのは十五年前だがな」

「それじゃあ計算が合わないのよ。現実世界……つまり元いた世界で、晴人が行方不明になったのは半年前なの。これって、どういうこと?」


 晴人は、目を閉じ顎を撫でながら少し考えこんでから。


「……それに関しては、ナリディーアと元の世界は、時間の流れが違う可能性がある。と言う事だろうな」

「そっか、それはありそうね。あともう一つ気になるのは私は赤子じゃなくて八才の姿で転生したんだけど……」


 と、最初のトイレの便器に吸い込まれたところから、今までの状況の全てを話して聞かせた。晴人は驚きを隠せない様子で固まっていたけど、アキハナは興味深そうに耳を傾けていた。アムリは三本の尻尾をユラユラ揺らし耳をピクピクさせている。


「俺とはまったく違うな。目が覚めた時には赤子だったからな。元の世界での俺の最後の記憶は何者かに拉致されたってことくらいしか分からない」

「晴人……拉致されたってどういうこと! 一体、何があったの?」


 驚きのあまり思わずソファから立ち上がって、晴人の両肩をつかむ。


「十五年前に記憶が蘇った時に、この世界ナリディーアに来たきっかけを思い出したんだ。だが誰に拉致されたのか分からんから、今まで忘れてたんだ」


 つかんだままの私の手を晴人の両手が包み込み、落ち着かせるように撫でてくる。温かく優しい手つきは懐かしい晴人のもの。つかんでいた手を離して、深呼吸をする。


「ごめん。もう大丈夫、落ち着いたわ」

「気性が激しいのも相変わらずで安心した」

「魂は私だからね!」


 晴人の言葉をマネると、大きな手のひらで頭をくしゃりと撫でられた。


「俺からも聞いていいか?」

「私に分かることならいいわよ」

「俺がこのナリディーアに転生した後、元の世界のマホロの家族はどうなった?」

「あまり進展は無かったわ。母と無月の間に何があったのかは、父が最後まで口を閉ざし続けたからけっきょく分からないままだったの。そんな父の近くには居づらくなって、私は家出したって感じかなぁ」

「アパートを出たのか?」

「だって父さんってば一日中、部屋の片隅で幽霊みたいにどんよりしてんのよ。こっちまで憂鬱になるわよ。それに一緒にいると母と無月の事を追求して喧嘩になっちゃうし……」

「悪化してるじゃないか……」


 私の傍らに晴人がいた時は、喧嘩になりそうな雰囲気になると、晴人がやんわりと仲裁してくれたから何とかなっていただけだ。


「父さんと喧嘩するよりいいわ。もう父さんと喧嘩したくないからね」

「お互いのためなら仕方ないのか?」


 晴人が、ため息をついて壁にもたれかかる。



 コンコンコンコン!


 開けっぱなしになっていたリビングのドアがノックされ、同時に。


「ちょっといいかなぁ?」


 軽い感じのする明るい男の声がして振り返る。

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