第5話、逃げた先で。 


 足に任せ闇雲に走ったせいで、路地裏のいわゆるスラム街のような場所に入りこんでしまっていた。今にも崩れそうな荒屋が建ち並び、ゴミが散らばる狭い道の脇には、ボロボロの服を身につけた人々が座り込んだり寝転がってたりする。


「早く表通りに戻った方が良さそうね」


 アキハナと完全にハグれてしまったので、念の為にモブスキルを発動させ息を殺しながら足速に歩く。この場に住む者たちは私が突然、空気に溶けても気にする様子はない。自分たちが日々を生きていくだけで精一杯だからだろう。それにしても蒸し暑い上に、生ゴミと糞尿のなんとも言えない匂いで、鼻がおかしくなりそうだ。


「……んにゃ……ゔぅぅぅ……」


 狭い路地を人を避けながら進んでると、左手側に伸びる細い横道の奥から、苦しそうな呻き声が聞こえてきた。妙に気になってしまったので、忍び足で路地の奥に向かって入っていく。


「……ゔぅぅぅ」


 三人の男たちが、地面にうずくまる小さな黒い毛玉のような生き物を、足で蹴ったり棒で叩いたりしてるのを見てしまった。


「私は動物が大好きなの。あと弱いモノいじめするヤツラって大嫌い。だから見てみぬフリをするって選択肢は無いの!」


 モブスキルはそのままに、道の端に落ちていた木の棒を拾って手に持ち、男たちに向かっていく。まずは飛び上がり両足で背中を蹴り倒す。


「ぐぁっ! なんだ!? いきなり?」


 男は、よろけて尻餅をつく。更に木の棒で男の頭を殴って昏倒させた。


「一体、何が起こって!? 痛ッ!!」


 続いて、道端の小石を拾って男達に思いっきり投げつける。


「魔法か?」

「分からねー!」


 相手の男たちには私が見えてないから、何に攻撃されてるのか分かってない。実はこの体になってから、身体能力が格段に上がっているのに気がついた。ナリディーアに転生した初日に、襖と玄関を蹴倒す事が出来たのも、そのおかげだ。


「さ! 逃げるよ!!」


 男たちが戸惑いながら辺りを見回してる隙に、毛玉に小さく声をかけて抱きかかえて走りだす。


「魔猫がいねーぞ!!」

「探せ!!」

「アレの毛皮は高値で売れる! 逃すなよ!!」

「家ん中も探せよ!」

「おぅ!!」


 狭い路地に、男たちのドスのきいた怒鳴り声と、周囲の家のドアをガタガタと開け閉めする音が響き渡る。


「反対方向に行ってみよう」


 腕の中で震える手のひらサイズの毛玉を着物の胸元に入れて隠し、物や人にぶつからないようにしながら走り続ける。額からは相変わらず汗がポタポタと流れ落ちていく。



 どのくらい彷徨ったか分からないけど、とにかく大通りまで出る事が出来た。けれど、すっかり日が落ち空気が冷えてきた。街灯があるにはあるが、一定間隔に淡い光を放っているだけなので薄暗い。人の気配は全く無いから街外れのようだ。とりあえず先ほどの男たちの声が聞こえなくなったので安心だ。


「ふぅ〜……。ここまで来れば大丈夫そうね」


 モブスキルを解除して、街路樹に寄りかかって座る。そして胸元に片手を突っ込み毛玉を、手のひらでソッと掬うようにして取り出す。蹴られたり突かれたりしていたせいで、血や泥で元の色が分からないくらいに汚れてしまっている。


 ビリビリビリ!!


 着物の袖を引きちぎり、毛玉を抱えたまま一旦、立ち上がって道の脇を流れる細く浅い水路に布を浸す。


「ジッとしててね」


 水路の脇に座って、毛玉を膝に乗せ濡れた布で丁寧に優しく拭いていく。


「良かった。傷は深くないみたいね」


 たまに傷口に触れてしまい、ビクッと毛玉の身体が跳ねる。けど逃げる力も残って無いのか、おとなしくされるがまま横たわっている。何度か布を濯いでは毛玉を拭くを繰り返すと、艶やかな黒が美しい猫だと分かった。ただ一つ特徴的なのは、背中にコウモリのような翼が生えてる事と尻尾が三本ある事だ。姿がはっきりすると、ゲーム内で案内役として常に主人公の傍らにいた、猫型神獣だと気がついた。


「たしか名前は……アムリだったよね? アムリ大丈夫?」

「みゃうん!」


 私の呼びかけに、可愛らしい鈴のような声で鳴くと、ヨロヨロと体を起こし、青いビー玉みたいな目で私を見つめる。


ぐぅぅぅー……。

きゅるるるぅ〜……。


 目が合った瞬間、同時にお腹の虫が鳴いてしまった。


「昨日から何も食べてなかったんだった」


 アムリもお腹を空かせてる。お金だけはあるのは確認済みだ。辺りは街灯の光で仄かに明るいけど、街外れで数件の民家しかない。その民家からは夕食の、たまらなく食欲をそそる肉の焼ける匂いと香ばしいパンの匂いが漂ってくる。


「アムリ狭いかもしれないけど、もう一度だけ入っててね」

「にゃん」


 再び着物の胸元にアムリに入ってもらった。昼間はあり得ないくらい暑かったけど、日が落ちた今かなり肌寒い。アムリと密着する胸のあたりが暖かいのが嬉しい。


「まずはご飯と今晩泊まる宿だね」

「にゃん!」


 頭の中に地図を思い浮かべる。が、昼間のスラム街といい今いる街外れといいゲームには存在しなかった場所だ。ゲームでは領主の城とその周辺しか映し出されなかったからね。


「歩いて探すしかないわね」

「にゃん」


 実は一人だと心細かった。けど今はアムリがいる。この小さなぬくもりに触れてるだけで、力が湧いてくる。少し足早に歩きはじめた。



 カァーン! カァーン! カァーン!


 夜を告げる鐘だろうか? 響き渡る音に振り返ると、小槌で鐘を叩きながら歩く黒いローブの男がいた。思わず駆け寄る。


「あの道を聞きたいんだけど、大きな道に出るにはどう行けばいいかな?」

「あっち……」


 皺くちゃな指で前方の角を指し示すと、男は去っていってしまった。


 男の言う通り門を曲がって、しばらく歩くと大通りに出ることができた。男の見た目は暗いし無愛想だったけど、悪い人ではなかったみたいだ。


「パパー! リンゴ買ってよ!」

「仕方ないな。一つだけだぞ」

「やった!」


 目の前を楽しそうに通りすぎていく父子を照らす街灯は、今までの路地よりも明るい光を放って、人々の賑やかな騒めきと雑踏、そして様々な露店が立ち並んでいる。


「わぁ! なんか凄いね」


 当然、食べ物の露店もある訳で、空腹に追い討ちをかけるように、焼き魚の食欲をそそる匂いが漂ってきた。アムリも、たまらないと言うようにジタバタしてる。


「早く宿屋に行って何でもいいから食べたい!」

「うにゃ〜!」


 一気に走り抜けたいけど、思ったより人でごった返してる。けど今の自分の体は小さいから、人々の間をスルスルすり抜けられる。


「見つけた!」


 露店が途切れ人が少なくなった道の脇に、大きな五階建てのお屋敷を見つけた。街の建物はお城以外は、だいたい三階建てばかりだから凄く目立っている。出入り口に『宿屋グラス』食事も出来ます。と書かれた木製の看板が立てかけられ、建物の窓からは明るい光が漏れて、シチューの匂いまで漂ってきた。ステータス画面を開き、お金の入った袋を取り出しておく。


 カランカラーン!!


 木製のドアを押し開けるとベルが鳴る。入った瞬間から芳醇なアルコール香りと様々な料理の匂いが漂う。明るい客達の賑やかな声に混じって、ホールの中央では音楽隊の演奏と歌手の澄んだ歌声が響く。かなり広い店内にもかかわらずテーブルもカウンターもほぼ満席だ。


「こんばんは。部屋って空いてますか?」

「いらっしゃいませ。開いてるよ!」


 店内の奥から、スキンヘッドの逞しい身体付きの店長らしき男が、のっしのっしと出て来て、にっこり愛想よく出迎えてくれた。


「しかしお客さんボロボロじゃないか! まずは湯浴みだな」

「よろしくお願いします」

「部屋に湯浴み桶と布を持って行ってやる。あとは……店内は満員だからな。簡単な食事で良けりゃ、すぐ作れるんだがどうする?」

「食べたいです! あとこの子の分もお願いします」

「分かった。他に必要なモノは……服だな。待ってな」


 私を上から下まで見てから店長は一旦、奥の部屋に向かう。そして数分後、戻ってきた。


「息子の服なんだが、もう着ないからと物置にしまってあったんだ。コレでも良いか?」

「わぁ! 嬉しいです。ありがとうございます!!」

「部屋は四階角部屋、金貨五枚だ。服はサービスだ」

「本当にありがとうございます」


 金貨を袋から出して、男の骨張った手のひらに乗せると鍵を渡された。


「まいど! 鍵は必ずかけてくれ。この街は割と治安は良いんだが、最近おかしな奴らがいるからな」

「分かりました」


 一定間隔に燭台が設置され蝋燭の灯る、仄かに明るい階段をギシギシ軋ませあがる。二階までいくと一階の賑やかな声は届かなくなった。廊下も階段も絨毯が敷かれ足音はしない。すれ違う客達は、タキシードやスーツといった正装に近い服装だ。


「もしかしてかなりの高級宿かもしれない」


 ガチャと金属音を響かせ鍵を開けて部屋に入ると、ラベンダーの香りに包まれた。そして足元は深緑の絨毯が敷かれ、お洒落な白い丸テーブルと椅子、ベッドに鼻をよせる太陽の匂いのする清潔感あふれるふわふわな布団。


「やっぱり高級宿だったみたいね。これは今日はぐっすり眠れそうね」


 胸元から顔を出していたアムリを床に下ろすと、鼻先をピクピクさせながら部屋を歩き回る。


 コンコンコンコン!


「湯浴み桶と、お食事をお持ちしました」

「はーい!」


 ドアを開けると、白い半袖シャツに茶色の短パンを着た二人の男の子がペコリと頭を下げて挨拶をしてから、湯浴み桶を持って入ってきて部屋の隅に置いてくれた。


「布はこちらをお使いください。使った桶はそのまま置いたままで大丈夫です」

「ありがと」


 湯浴み桶の男の子と入れ替わるようにして、今度は二十歳くらいのグレーのスーツ姿の男性が料理の乗ったワゴンを押して入ってきた。


「冷めても美味しい食事をご用意しました。ごゆっくりお召し上がりください。食器は置いたままでけっこうです」

「分かりました。ありがと!」


 丸テーブルに、スープとサンドイッチ、ワイン、フルーツを置いてお辞儀をして出ていった。


 ガチャン!


 言われた通り鍵をかける。念の為、ノブを回してドアが開かないか確かめる。


「よし! 大丈夫そうね」


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