第2話

 いつもなら起きてきてリビングで朝食をとっているはずの時間に、二階から中々降りてこない私を心配した両親が部屋にやって来た。きっと、その時の私をみた両親は驚愕したと思う。両耳を手で覆って部屋の中心でうずくまっている娘を見てしまったのだから。

 気が動転していた私は隠すのを忘れていた。誰にも見せずに一人で抱えていた傷を。よく覚えていないが、それを見られて両親はとても驚いた顔をしていたような気がする。母親から「もうしないで」と懇願されたことは覚えているが。

 ちなみに、この日から今日に至るまで切る自傷はしていない。爪でかきむしることはあるけれど。


 話を戻して、この事件が起きた日も普通に学校で、傷を作ってしまった部分にはサポーターをつけて登校した。幸いにも衣替え期間の前だったので友達には何も言われなかったが、親が担任に連絡したらしく、担任からは腕を優しくさすられた。が、担任の怖い一面を見てしまってから一ヶ月も経っていなかったので、本能的に恐怖を感じてしまった。


 その日もまた途中から手が震えてしまい、結果的には早退となった。そして保健室の先生から心療内科の受診を進められ、人生初の心療内科受診が決まった。心因的なものであれば手の震えの原因も分かるかもしれない、と。

 次の日、いうことを聞きたくない、学校に行きたくないと訴える体に鞭をうって、朝リビングに降りていった。朝食を食べながらどうせ今日は心療内科にいくだろうから学校は早退だな、と考えていると母から「今日は病院行けないよ。」と一言。あまりの衝撃に泣き出してしまい結局学校は休んだ。

 その当時の両親は私に普通を求めていて、他の生徒と同じように学校に。それは直接言われた訳ではなかったが、態度や雰囲気から察してしまい、両親に求められていることに応えられない自分がいやでいやで仕方なかった。


 心療内科への通院が始まるまでにも一悶着あった。両親の事ではなく、学校で、だ。そのまま学校に登校していたが、人生において一番ともいえる大事件が起こったのだ。

 その日、私はまた体が限界に達してしまい、母が仕事を早退して迎えに来てくれるのを待っていた。三十分ほど待って母が到着し、一緒に帰路に着くと、校舎の三階の空いている窓から本名をフルネームで叫ばれたのだ。

 刹那、私の脳内は恐怖で埋め尽くされた。怒りがわいてくるわけでも、驚くわけでもない。ただただ恐怖を感じることしかできず、顔こそ見えなかったがあの時の蔑むような、見下すような何とも言えない笑い声を鮮明に覚えている。

 私は母の手を引いた。一刻も早く離れたかった。母は顔を歪ませて少し早歩きで私と校舎から遠ざかった。帰り道、ここまで酷いことになっているとは思わなかったとすぐに父に連絡していた。が、私もそこまで嫌われているとは思っていなかったのでまだ混乱していた。

 その後は怒涛の日々だった。心療内科に通い始めて、学校は別室登校。テストも受けてはいたけれど順位は下から数えたほうが早いレベル。勉強に関しては私が頑張れば挽回だって出来た。けれど、あのときの自分には生きているだけで精いっぱいで他のことになんて頭がまわらなかった。


 吐く息が白くなり始めた12月。全ての学生が恐れる三者面談の日が来た。私の場合は特例で、すべての部活が活動を終えて校内にほとんど人がいなくなった後に行われた。両親と私と担任の四人で面談したが、高校について両親が聞くと真っ先に勧められたのは県内の私立学校に付属する通信制の学校だった。

 正直、私の感想としては「だろうな。」というのが第一だった。学力も無い、人が苦手、まともに通学もできない。そんな私が公立高校に通えるわけがない。両親的にはお気に召さなかったようだが、なんだかもう、どうでもよかった。


 波乱の中学二年生が終わり、無事にとは言えないが三年生に進級。三年生になってからは学年集会で言われることもテンプレ通りの受験について。将来を考えて、だの後悔のない未来を、だの“普通”の中学生に対しては激励ともとれるその言葉一つ一つも、私に対しては心に刺さる凶器だった。私にまともな未来なんてないにも等しいのに。そうずっと思っていた。


 三年生の学校行事でまともに参加したのは運動会と修学旅行だけだった。不登校なのに修学旅行は出るなんて。と言われそうだが、私が通っていた学校はクラスの垣根を越えて自主研修や某ランドでの行動する班を作っていいと言われていたため、本当に仲の良い精神的にも安心できる友達と行動することが出来る環境だったため、私も参加したのだ。班をクラスの中で編成しなさいと言われていたら間違いなく参加していなかった。

 修学旅行もそれはそれは楽しかった。ただ、クラスごとでバスや新幹線で移動する時間は全て耳栓を着用していた。事前に先生に話を通していたので何も問題はなかったが、男子からの視線が少しだけ怖かった。イヤホンをしているとでも思われたのだろう。正直耳栓を学校で着用し始めてからそういうことは時々あったので特に気に留めなかった。

 修学旅行が終われば三者面談が始まる。この年は母と私と先生の正真正銘ちゃんとした三者面談だった。三年生に進級してから私なりに学校を調べ、自分の学力でも通えそうな公立高校を見つけてその学校への進学を希望した。

 先生からも、そこであれば大丈夫だろうと太鼓判を押していただいたので、その学校への進学を目指すことになった。


 そして桜がきれいな花を咲かせる頃、私は無事に高校生になった。第一希望を出していた公立高校に合格し、親を安心させることが出来たと内心とてもほっとしていたのだが、私は忘れていた。高校という場は小学校から中学校に上がるときと違い、そこで学びたいことがある人が通う場であること。それすなわち、大量の顔も知らない人間と同じ空間に居続けないといけないことを。

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