第4話 "神様は敬うもの"
ケイロンの樹海。この国を制するアスクレピオスが住まう神殿を囲う森の中。誰一人近寄らせないほどの薄気味悪さで定評がある。そんな僕は、森というものが嫌いだった。薄気味悪いのが嫌というのもあるが、一番は……。
「いやぁぁぁ毛虫ぃぃぃ!!! 蜘蛛ぉぉぉ!?」
男という身分で、自分でもみっともないくらい虫が嫌い。しかし、それを軽く上回るような悲鳴が響き渡る。
「ぎゃっ!! 今服になんか入った!! いやぁああ取ってぇぇ!!!!」
泣き叫ぶアイビーの背後から、服の隙間に手を突っ込むハイド。整理されていないおもちゃ箱のように腕を回して引き上げる。ハイドのその手にあったものは、茶色の広葉だった。
「落ち葉が入っただけです、お嬢様。そんな鼻水と涎を同時に垂らしながら泣き喚かないでください」
「どっちも垂らしてないし!! なんでもいい(良くない)から早く取って!!」
「もうすでにとってます」
「一枚あったらゾワーっていんのよ!!」
「いません。ゴキ●リじゃあるまいし」
「ほら、なんか背中に畝ってるって!! 早く!!」
アイビーも泣き目になりながら取り乱す姿に、少しだけ安堵した。ハイドはため息をつきながらもう一度アイビーの服の隙間に手を入れる。すると出てきたのは、芋虫だった。ハイドは無慈悲に、それを草むらに投げ捨てる。
「ほら、取れました」
「もうやだぁ……神様に会うだけなのにぃ……」
アイビーは泣き目で頭を蹲る。この事実、墓まで持っていくことにしよう。
「神の宿る場所は茨の道であることが相場です。近道も楽な道も必ずあるとは限りません」
「だとしても、こんな虫だらけの茨道にすることないでしょ、もう……」
「……ならば、放火しましょう」
「ダメ!! 火事はダメ!!」
怯える光景を見ている僕も足が震えていた。
「ミント、大丈夫?」
「う、ん……。大丈夫じゃない……」
「ほんと?」
痩せ我慢する余裕もなくなるほど、虫という存在が苦手であることに情けなく感じてしまう。欠点を隠せないのも僕の欠点である。
ーーあ、また馬鹿にされる。どうしよう。多分そうなったら酷い言葉で言い返してしまう。
「怖いよね。こんなだと不安になるもん」
マリーにまた頭を撫でられた。でも、それが意外でもあった。
「え、怖がってたら変じゃない……?」
「なんで? 誰でも怖いものは怖いよ。男らしさを求める人もいるけど、そんなの無視した方がいいよ」
「そ、そうなんだ……」
「怖いことが変なんて、誰がそんなこと言ったのよ?」
唐突にアイビーに尋ねられる。
「誰って……それは……、えっと……」
僕の口が思うように動かない。言い出しづらいんじゃない、本当に誰が言ってたのか思い出せない。声ではない声が、頭の中で僕を怒鳴る誰かが、そう責めている。
そもそも、なんで怖がっちゃいけないんだっけ? 怖がったら不利になることってなんだっけ?
誰が
そんな
ふざけた ことを
決めつけ
た
???????????????????
「ッ!?」
その顔を思い出そうとすると、踏み入れてはいけないと言い聞かせるかのように、頭に強い電流が走る。今の声は、僕のようにも聞こえた。
「ミント、大丈夫!?」
頭を抱えて俯く僕を、慌てた表情のアイビーに覗き込まれる。
「え、あっ……うん、ごめん」
「びっくりしたぁ……。急に塞ぎ込むから」
「大丈夫だよ……。うん、大丈夫なはず……」
「無理ならあなた様だけでも引き返してください。生存率が低下する恐れがありますので」
ハイドが丁寧にそう言うが、なぜかその言葉に別の含みを感じて、胸の奥がモヤついた。
「います」
ハイドのいつもと変わらぬ、且つ緊張の走る声と、その指差す先に、ぐるぐると巻かれた張り裂けそうな皮膚をした生命体がいる。こちらに気づいたのか、その巻かれた尾の間から瞳孔の大きな目が覗く。
「ひっ!?」
僕は驚いて情けない声が上がる。その形状はまさに"壺"のようだった。
「あれが、壺の魔ぼ……、魔物……?」
「"ベーススワロー"よね! 完全に理解!」
「……私の予想が正しければ、一体だけではないはずです」
そのハイドの言葉の通り、左右から草の掠れる音が聞こえるとすぐそこに、同じ姿をしたベーススワローが僕たちを囲っていた。
「え、うそ、キモい……」
「虫ではないだけマシではありませんか?」
「それとこれとは別!!」
「勇者ミント、構えるのだ!」
ベーススワローは、間髪入れずに尾の先端をこちらに勢いよく伸ばしてくる。ハイドは手元の猟銃で一発撃ち込んでそれを弾く。
「身の安全はお任せを。強化バリア、装填」
ハイドの号令と共に、僕たちそれぞれ目の前に光が現れ、それらが全身を包んだ。
「そーれ!」
マリーが前に飛び出て、弾かれて怯んでいるベーススワローの尾を切り落とした。しかし、すぐにその尾は形状を取り戻す。
「コイツも復活するの!?」
「スライムと同系統ってことかな……」
「私に任せて! 全て凍らせてあげる!」
アイビーは扇子を両手に広げ、自身を舞うように回転させ仰ぐと、一面に氷柱がベーススワローたちを氷漬けにした。
「私にかかればこの程ーー」
「油断してはなりません」
氷漬けにされたベーススワローの氷が徐々にひび割れが進んでいた。
「ミント! 魔法!」
「そ、そっか……!」
呆然と突っ立っていた僕の背中を押すように、マリーに呼ばれて、万年筆でベーススワローに円を囲う。そこに黒い帯が現れて、氷から解放されようとするベーススワローを縛りつけた。しかし、そのほかの魔物は氷から脱して、再び攻撃を仕掛けられる。僕は伸ばされた尾に向かってペン先を振り弾くが、そのベーススワローがもう一本尾を伸ばしてきて、僕を縛り上げた。
「ミント!」
僕をそいつ自身の真上まで上げられ、そこには鋭い牙歯が無数に並ぶ"口"が大きく広げられていた。
「大変よ! ミントがベーススワローに触手ものの薄い本みたいなことされてる!!!」
「いやまだされてないから!!」
その光景諸々色んな意味であまりにも不快で、振り解こうにも強く締め付けられていた。
「"まだ"ってことは、セルフ同人誌描く予定あるんだね!!」
「ないです」
マリーが飛んできて、目に止まらぬ速さで僕を縛る尾を切り裂いた。解放された僕は、無事地面に叩き落とされた。
「ふ、しぶとい奴だ……、命拾いしたなっ!」
「そのセリフ絶対君の台本じゃないよね……?」
僕は「ありがとう」と呟きながら、マリーの伸ばす手を握り立ち上がる。強く地面に打ったせいで腰の痛みが神経の髄まで響く。
「埒があきません。敵の動きを止めて先へ進みましょう」
「分かった!」
再びアイビーがさっきの魔法で、ベーススワロー全体を凍結させると、その隙をついて、その場を後に目的地へと急いだ。
かなり距離を離したと思ったが、ベーススワローは自分の尾を二つで足代わりにして、自身を持ち上げながら大股で追いかけてくる。その"口"から紫色の液体を撒き散らしている。
「いやキモいキモいキモいキモい!」
「ここは真の神の使いに任セロリ!」
「セロリ嫌い!!」
「好き嫌いは大きくなれませんよ、お嬢様」
マリーは急ブレーキで足を止めると、両手の刃を大きく振り回す。するとどこからか煙が舞い込んできて、ベーススワローをその煙で包んだ。
「今なのじゃ!!」
マリーの指示のもと、ベーススワローを包む煙を背にして急いで離れた。
◆
逃げてからかなり経って、追っ手を撒いたことを確認すると、僕たちは足を止め、息を整える。
「はぁ……はぁ……もう、追って、来ないよね……」
「マリー、ありがとう」
「お安い御用なのだ! はぁ、SP切れそう」
「早く、神殿に急がないと……」
カタっという音が聞こえたと思ったらそれは、ハイドがメガネを掛け直しているものだと分かった。
「いえ、もう着いているようです」
「あっ……」
枯れた草木に覆われた褐色に染まった柱が視界に入る。見上げると形状も立派な神殿とも言える大きな建物が佇んでいた。
「これがアスクレピオスの神殿……」
僕たちは正面の重圧のある扉を押し開け、その中へと足を踏み入れる。中はどんな空間なのか把握できない程の暗闇に包まれていた。
「暗くて見えない……」
「ミント、大丈夫?」
「……無理」
さっき虫を見たせいか、その暗闇に虫の死骸があったらとか想像して、自身を萎縮させてしまう。
「大丈夫だよ、私たちがついてるから」
「もうやだ!!!! 誰か灯り付けてくれ!!」
思わずそう叫ぶとそれに応えるかのように、火が並んでテンポよく点っていく。照らされていく中はこちらが押しつぶされそうなほど広く、豪華な装飾で覆われている。しかし、神殿とは似合わないガーゴイルの銅像が松明と交互に並んでいる。
僕の故郷で電球を使うことはあるが、自動点灯はかなりの技術が必要だ。別に考えなくとも魔法であることに変わりはない。
「あれは……?」
奥の方の神の台座とも呼べるような場所に、黒いものがモヤのように何かを隠している。
「……! 皆、伏せて!!」
マリーの叫び声で、僕は思わず床に体を伏せると、その黒いものが真上を横切り、それはガーゴイルの銅像を真っ二つに落とした。その切り口に、透明な塊が張り付いている。若干ひんやりした空気がしたので、それが氷だと分かる。その黒いものがあった方へ目をやると、ガタイの良い男が厳つい相形でこちらを睨みつけている。
「あれが、アスクレピオス……!!」
「でも、なんか雰囲気が違う……?」
人違いをしていないと言う確信はあった。神の存在を初めて目にしたが、そんな僕でも様子がおかしいことに気がつける。神は神々しく、清潔感のあるものだと思っていたが、声にできない程の不気味さがあった。それが人間とは違う、異質特有そのものだ。アスクレピオスの体が、ところどころ角ばった黒い何かで空間ごとざらついて見える。すると、アスクレピオスはゆっくりと口を動かす。
「だレノ許可を得テ、こコへ踏み込ンダ?」
その声すらもざらついている。たまに言葉一つ聞き取れなくなる。
「アスクレピオス様、許可もないままこの神聖なる場に足を踏み入れたことをお許しください。私は町の騒動を止めていただきたく、ここへ参上致しました。あなた様の助力が必要なのです」
まるで用意して並べたような言葉で、丁寧ではあるが、何故か敬意を感じ取れない。
「誰デあろウと、許しはセヌ。貴様ラには、罰ヲ与えヨう」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 確かに不法侵入したことは謝るけど、緊急事態なの! 町を助けてよ!!」
「黙レ迷えル罪人共……。こノ俺様二無礼ヲ働いておきながラ強請るとは甚だシい……!」
アスクレピオスは全身の血管を盛り上げ、それが怒りを伝えさせられる。更なる威圧感に押されるほどに。それでも僕は、勇気を振り絞って言い放つ。
「あ、あなたは、ここの神様でしょ! てことは、ここの人間の管理者! だから、町が襲われてるのを止めるのが当然の義務じゃないのか!」
「そ〜だそ〜だ!」
「フン、貴様ノよウな塵に等しイ童ガ、図に乗るなァ死に損ナイ!!」
「ッ!」
アスクレピオスの怒鳴り声ひとつに、僕の心臓は脈を打つのを止められない。
「……あんた、神様のくせによく人に死ねって言えるよね」
「……お嬢様?」
アイビーから暗い声が声が聞こえたと思ったら、その表情は大きく歪んでいた。
「生きたくても生けない人間だっているんだよ! それも町の人が今そうなってるようにね! あんたは何!? ただ人を侮辱して死ぬところを知らぬふりしてるだけじゃない!!」
「あ、アイ、ビー? どう、したの……!?」
「実の父親ニ閉じ込メラれ、自由モ知ラぬ青二才ニ、モノを言わレル筋合ィはナイ!!」
「よ、よくも……!!」
その二人の口論を横で見てた僕は呼吸を整えるのに精一杯だったが、それをマリーは意図も容易く取っ払う。
「あんたの管理能力が脆すぎて、カスタマーサービス絶対向いてないよ!」
「貴様、だレに向かっテーー」
「分かりきったことじゃない。あ、もしかして頭堅いどころか頭がないのかな? 能無しってことよね?」
普段ならマリーの"口からマシンガン"を止めに入ってたところだが、今はこれが僕にとって一種の"救い"のようにも思えた。
「神に向かっテこレ以上ノ侮辱……!! 貴様ドうなルk」
「あれは神じゃなくて、ペーパーなのじゃ! お尻のチョコを拭きとるタイプの! 生とハードなやつ!!」
「ぉえ……」
瞬時に想像してしまい、胃液が混み上がりそうになった。
「直ちにその話題を用と共にお流しくださいませ。お嬢様」
「……私何も話してないのに流れ弾くらったんだけど!?」
チョコレートを普段通りに食べられそうにないくらい気持ち悪くて吐きそう。というか金輪際、チョコレート自体純粋な目で見れないかもしれない。マリーに肩を触れられた瞬間、急に吐き気が収まった。マリーに治されるたびにどれだけ僕自身が脆いのか痛感してしまう。あ、待ってチョコレートのせいで、この神の存在忘れかけてた。ヤバい、さっきより顔の血管増えてる、怖い。マジで怒ってるじゃん。プンスカプンですはい。
「貴様ラ……俺ノセリフ奪っテおイテ、生きテ帰れルと思ゥナ!!」
神の怒りが周囲の空気を張り詰める。表風が漂い、まるで恐怖で震えるときを彷彿とさせる。ただ、一人。その空気を無視して、怒りを手に震えるものがいた。
「絶対許さない……あんたこそ、人の死を侮辱して……、その顔を便器に突っ込んでから神様になりなさいよ!!」
「お嬢様、それは一方的な暴力に値します」
「うっさい! それとこれとは別!! やるよ、皆!」
アイビーの号令で全員自前の武器の矛先を、神に向けた。神聖な小さな世界の戦いの鐘が鳴り響いた。
◇
とあるレコード
かなり古ぼけているが、スイッチの動力は動くようだ。再生ボタンを押してみると、ジーっというレコードを引きずる音と共に、胡散臭い男の声が聞こえてきた……。かなり長い独り言だった。
「個性も無個性も、大した差はないんですよ。なぜなら人は無意識にペアルックだの、信仰だのを軽視するでしょう。じゃあ、例えとして一つの教室で、少数派を他と違うってだけでよってたかって、あらゆる手で攻撃するという光景は、側から見たら頭のおかしい集団ですよね。その子以外個性がないって言う理由で、今度はその教室が世間から攻撃されるターゲットになる。ただ関わりたくなくて離れていたという人間さえも、その攻撃する集団と一緒くたに巻き込まれる遺憾の極み。決まって巻き込むのは、無関係な被害者面の第三者なんですよ。だから、個性もクソもないんです。伝統(笑)を守る村等も無縁ではなく。その個性という呪いは皆持たなくして生きていられない生き物、それが人間。それはもう正に、同調圧力のマトリョーシカなのですよ。たった少数の"大人"に巻き込まれてね。きっと、私もいずれ攻撃される運命……。個性なんて、ただのハリボテでしかない。あくまでこれは私個人の意見です、はい。せいぜい、私の背中を見て、私を批判してごらんなさい」
ここでレコードは止まった。
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