第3話 哀を騙る詐欺師(おとな)たち

 善意とは、必ずしも功を奏するとは限らない。例え善意でも、人には生きた環境から形どる、受け取り方というものが存在するのだ。それが少しでも違うだけでも亀裂が入り、或いは仲違いが生じる。人というものは生まれた場所は決められ、こんなにも脆い。今の僕たちのように。


「嘘だ……、なんで、こんなことに……」


 門番たちに石造りの空間の牢屋に投げ込まれ、一夜が過ぎた。牢に入れ込まれるのは人生で初めてだ。しかも、相手側の理不尽な理由で。度々、門番から罰が悪そうな顔で食事を持ってくるが、もしかして主人のことを不満に思って同情してくれているのだろうか。だとしても、金で雇われてる身としては、反抗ができないということか。考えれば考えるほど、ショックが大きくて怒りさえ湧き上がらない。


「……なにをしてるの?」


 こちらが肩を落としてる時に、マリーは床や天井を眺めている。


「抜け穴探してるだけだよ? 何もしないの?」


「こんなとこ閉じ込められて、何かできるわけない……どうしてあんなこと言ったの? じっとしてれば何もされなかったのにさ」


「……なたもそうだったから」


「え?」


 ボソリと言われたが何も聞こえなかった。しかし、その声に別の感情が込めていたようにも感じた。


「別に私があんなこと言わなくても、こうなってたから大丈夫だよ!」


「そうなのかな……」


「早くこの場所から抜け出さないとねー。あの石頭はトンカチで叩けば済むし!」


「いや人死ぬからね……?」


「神のお告げだと、もうこの町ヤバいゾイ!」


 急にいつものテンションに戻り、僕は焦りと困惑に満ちる。


「あの、マリーの……、それってなんなの……?」


 こんな緊迫した状況だというのに、恐ろしいくらいにいつものテンションに戻っている。気が抜けていくからなのか、少しだけ不安が和らいだ。これがマリーなりに励ましてくれていたのだろう。


「結局ミントは、脱出方法探さないの? 口出す割には何もしないから」


「えっ? いや、でも……。外に出るのは、ちょっと……憚られると言うか」


「保守的は損だぞ、殻を破れ勇者よ!」


「後で怒られるの嫌だなぁ……」


「そんなのあの親ごと●れば一件落着! ほら、中指立てて。マザーフ●ッカー!!」


「それをいうならファザーフ●ッカーだよ、あと●したら本当に捕まるよ……?」


「知らないの? マザーフ●ッカーはクソ野郎という固有言語だよ?」


「知らない……」


 気分が沈んでるせいで、豆知識を披露されても素直に受け止められない。隙ありゃ物騒なことを言い出すマリーに慣れない僕は、唐突に胸の奥と胃袋全体が締め付けられる感覚に襲われる。それは、あの日魔物に襲われた恐怖とは別物として、それ以上の息苦しさがあった。


「……分かった、待ってて。私だけでも探し当てるから!」


「え、急にどうした?」


「明らかに、キツそうだよ?」


「え」


 いつの間にか、僕は萎縮するように足を窄めて蹲っていたことに気がつく。誰かと一緒の時、自分を丸めるまでなったことはない。


「あれ……、なに、これ……?」


 口ではそういうものの、これがなんなのか分かっている。僕は怯えているのだ。大人は言っていた、強くなければ立派な人間にはなれないと。唐突にその言葉を思い出した。思い出して、そんな経験を積んだことがないことに、僕はどうすればいいのか。


「っ……ぅ……」


 お腹が痛い。キリキリして、そこに冷たい風が吹くようで、それが何度も何度も繰り返される。火をつけても直ぐに消える極寒の……静かな嵐のよう。


「……大丈夫、何も怖いものはいないよ」


「ぁ……、ぇは……?」


 見栄を張ろうにも、大丈夫とは素直に思えない。自分の体調と気分が安定しているのかすら。あるのは、体内で渦巻く不快感。頭が重くなり、俯いてしまう。

 突然、僕の体は程よい温度に触れられる。顔を上げると、マリーの顔がすぐそこにあり、抱きしめられていた。


「不安にならない方がおかしい、あなたは正常だよ。こんなことしなければよかったなんて思うだろうし」


「つ、う……」


「"辛い"なら口に出したほうがいいよ。たとえ無責任でも、嘘つきまくる人間でいるよりよほど健全だよ。ここには、あなたを責める人はいない」


 僕は思わず、駄々をこねる子供のように首を横に振る。マリーは少し俯いた。


「辛い顔してる人が大丈夫なんて言ったらダメだよ。たとえ辛い顔じゃなくてもね。嘘でも辛いって言えたら、それは本当に辛いってことだからさ。ソレルに辛い顔しながら大丈夫なんて、言えないよね。それって自他に嘘をついたことになる。それを、ミントに外に出て欲しいと願ったソレルが望んでると思う?」


 マリーの言葉のおかげなのか、不快感が臍から抜けていく感覚。蹲る体は、緩くなっていた。


「……どう?」


「……少し楽になった、かも。ありがとう」


「いいってことよ」


 身体が空気のように軽くなるのを感じる。ふと、こんなあっさりと不安が解けるのに驚きを覚えた僕はマリーに問う。


「もしかして、魔法使った?」


「状態異常解除なのじゃよ」


「そうなの? マリーってなんでもできるんだね」


「器用貧乏ってやつっすわ」


 キヨービンボーなんて初めて聞いた言葉だから意味合ってるのか分からないけど、とりあえず「へぇ」と返してみた。突然、高い位置にある覗き窓の方から小石と埃が落ちた。


「誰かいるの?」


 高い覗き穴から両目とも違う色をした赤毛の女の子が、なぜか目を丸くしていた。


「あなたって……えっ? なんでここに?」


「あれ? どこかで会った?」


「あぁ、ごめん。自己紹介してなかったから分からないよね」


 少女は気まずそうにして、覗く目が笑っている。しかしこの声、どこかで聞き覚えがあるような。思い出してみようとすると、少女に問われる。


「どうして牢屋にいるの?」


「落とし物届けに来たら、盗人だと思われて牢屋に入れられたんだ。ここの主人が言うこと聞いてくれなくて……」


「あー、やっぱりあなたもか……」


「"も"?」


「分かった、今開けるね!」


 理解したかのように少女は、覗き窓からその顔が消える。そして、鉄格子の奥からその声の主が姿を現すと、見覚えのあるフードが真っ先に目に入る。


「き、君は……、昨日、僕を助けてくれた……?」


「やっぱり、そうだったんだね。リボン届けてくれてありがとう。失くしてテンパっててさ」


 フードを脱いだその子の姿は、青色の涼しげなドレスを纏っていた。そして、その長い髪にあのピンク色のリボンが結ばれている。それが一瞬にして、僕の中で全てが繋がった。


「まさか、君がアイビー?」


「……うん、ここの一人娘、令嬢。それが私」


「えっ!? ミント、お嬢様とも対面してたの!? すごー!」


「マリーも一瞥したんじゃなかったっけ?」


 アイビーと名乗る少女は苦笑いを浮かべる。


「そんな大層なものじゃないと思う。私はお飾りだし、もう今日限りでお嬢様じゃないと思うし。あなたがミントで、あなたはマリーね。覚えた! リボン、見つけてくれてありがと!」


 そう細々と言いながら、鉄格子の錠に、鍵を手にしてかける。ガチャと言う音と共に、重々しい音を響かせながら開かれる。


「どうして……」


「ごめんね……あの場で身分を公にするわけにはいかなかったんだ。お父様に度々外に出てたこと知られていたから、こっそり帰るしかなかったけどね。そこで、リボンのこと聞かされたよ。本当に、恩を仇で返すようなことしてごめん。アイツ思い込みキツくてさ……」


「それはいいんだけど、お嬢様じゃないってどういうこと? それに、なんか、うれ……」


「……? なになに?」


「あ……っ?」


 おかしい。今思ったことを口にしようとしたら、なぜか口が動かなくなる。まるで、上と下の唇の中にそれぞれNとS磁石を埋め込まれているかのような。いや、そういえばこれは初めてじゃない。

 そういえば、前にソレルと絵本の話をしていた時、"絵本の中のキャラクターがソレルに似てる"と言おうとしたら同じことが起きたような。


 しばらくして、やっと動かせるようになったとき、僕の続きの言葉を口にしようとする。


「お嬢様」


 背後から聞き覚えのある声に遮られる。そこには、あのメイドが険しい顔でこちらを覗いていた。


「ハイド!」


「周囲の警戒を解除しました。こちらへ」


「ご、ごめんね。続きは後から聞かせて!」


「あ……うん」


 そのハイドと呼ばれるメイドの手招きの元、僕たちは周囲に目を配りながら、屋敷の前まで誘導された。


「え、こんなところだと見つかってまた牢屋に……」


「心配には及びません。ただいまそれどころじゃないので」


「?」


 メイドは軽い紹介を始めた。


「申し遅れました。私はフェクトウェッジ邸でメイド長を務めさせていただいている、ハイドレンジアと申します。呼びにくいのであれば、ハイドや別の名前でも構いません。先日の私の無礼をお許しください。あの時は、お嬢様の捜索に計画が予想外に進行せず、切羽詰まっていたもので」


「あ、あぁ……いえ、別に……」


 ハイドは頭を下げながら、己のふっくらとしたスカートを持ち上げる。こんなに仰々しく丁寧に挨拶されることに慣れてないせいか、調子が狂って言葉が詰まる。


「ハイド、外の状況は?」


「手遅れでした。恐らく、魔物の襲撃によるものかと」


 そう言われて、今気がついた。魔物に襲われたとは思えないほど、建物の損壊が一つもない。それだけじゃない。


「なんで人がいないんだ……?」


 光から伸びて建物や道に映るはずの人影も、あの賑やかだった声も聞こえない。その答えを、アイビーは言う。


「皆、あのスライムに溶かされたんだ」


「え」


 その一言で僕は身体が凍りついた。その言葉を疑ってもう一度辺りを見渡してみるが、どう探っても人らしきものが見つからない。代わりに、鉄を水で薄めたような臭いが漂う。


「ごめん、私も治療しようとしたんだけど、進行が早すぎて……」


「昨晩、この町の入り口から大量のスライムが入り込んできました。我々も加勢して食い止めようとしたんですが……。これが証拠です」


 ハイドは懐から一枚の写真を取り出して見せた。


「うっ!?」


 胴体が溶けて内臓が剥き出しになった女性、顔面が溶けて目玉が飛び出た男性などの残忍な死体が写し出されていた。大人だけじゃない、生まれたばかりの赤子も例外ではなく、ゆりかごの中で溶かされていた。僕はそれに吐き気が込み上がる。そして、二つ目に気づいたことといえば、そのほとんどの写真に写し出されてた人は皆、メイド服や甲冑を着込んでおり、それがこの邸宅のものたちだということ。


「私以外の従者、七十四分の六十五人の死亡を確認されました。避難できた住民以外、全滅といった方が良いかと」


「ほんとにもう……いない、の、ね……」


 アイビーの声の力が抜けていく。現実的でない数字に、頭がついていかないが、それ以前に違和感があった。


「そんな大惨事なら、僕でも気づくはずだけど……」


「ミント氏も我も夢の世界へと降臨していたものでな……いわばそこは天よりも高い桃源郷……」


「……その夢の世界を永遠と見るの嫌だよ?」


 こちらの漫才を気にせず、ハイドは話を続ける。


「それから、今の所ご主人様の行方は把握できておりません」


「ご主人様って、私たちを閉じ込めたあのクソ主人のこちょ?」


「はい、あなた方を閉じ込めてから数分後、我々の目を潜ったのか、行方をくらましております」


("クソ"には言及しないんだ……)


 普段からアイビーと従者達は皆、不満と鬱憤が溜まっていたんだろうか。そう言いかけようとしたが、急に悪寒がしたので言うのをやめた。僕だって意味のわからない理由で牢屋に入れたあの主人に少なくとも良い思いはないし。それとは別の疑問が浮かび上がったので、ハイドに問う。


「でも、それっておかしくない? なんでここの主は逃げてるの? こうなることを知ってたの?」


「ご主人様がこの騒動の主犯であるかと見て捜査を続けております」


 限りなく断言に近い発言をするハイドに、アイビーは反論する。


「ちょっとハイド! いくらなんでもそれは考え過ぎだよ! お父様と魔物に接点ないし! 何を根拠にそんな事……」


「一つの可能性として見ているだけです。ありえなくとも、対策は可能です。他者の深い疑念に良い印象はありませんが、そのような事態も覚悟せねばなりませんので」


「じゃあ違ったらどうするの?」


「違うも何もそれ以前の問題です。これは身を守るため、さらなる最悪の事態を考慮した予防線です。わかってください。大人だからといって、皆正確とは限りません。私たちは死ぬか生きるかの境目にいるのですから。お嬢様も、"死ぬ"かも知れないんですよ」


「絶対嫌ッ!!!!」


「いっっっっだ!??」


 アイビーから突然裏返るほどの怒涛の声が押し寄せた。耳元で言われたから、鼓膜が破れるかと思った。


「あっ、ご、ごめん、なさい……」


「耳鼻科に行くことをお勧めしておきます」


「い、いや、そこまでないから大丈夫……」


「そ、そう! でも、私の方が治療得意だから! その時は私に任せて。中耳炎とかにもならないよ!」


 あたふたするアイビーを横目に、僕は後退りした。だが、その後「それに」と付け加えたアイビーの表情が曇る。


「私の話を聞いてもらわなきゃいけないし」


 さっきの気分の移り変わりの激しさとは違い、彼女の言葉がまっすぐなように思えた。

 それにしても、彼女のあの青ざめぶりは異常に感じた。死ぬこと自体確かに怖いことではあるが、何かあったのだろうか。考えを巡らせようとしたが、今はそんな場合じゃない。脱線した話を軌道修正するため、ハイドに他の住民の生存者と行方を聞いた。


「お嬢様の命により、残った使用人、および住民を屋敷へ避難させました。ある程度の食料も無償提供しています」


 ハイドは自分の腰につけている懐中時計を開いてこう言った。


「魔物を倒すだけでは埒があきません。かくなる上は……、"神頼み"ですね」


「まさか、この原因を打ちにいくってこと?」


「確証はありませんが、恐らく、五大統制の神、アスクレピオス様に、何かあったのかもしれません」


 彼女らのいう"神"とは、その名の通り、世界を統治する神様だ。僕でも知らないわけがない。人々が危険に晒されないようにする、監視者の役目もある。当然、この町の人たちもアスクレピオスを信仰している。こんな騒ぎになってるところを見過ごすはずがない。それなのに、事態に変化も動じもせず、ただ沈黙を続けているのに異常を感じざるを得ない。


「だったら今すぐ行こう! そのアスクレピオスって、神殿にいるはずだよね? その神殿はどこ?」


「ケイロンの樹海でございます」


「ケイロンの樹海って確か、最近魔物が湧き始めてるよね……。神様なのになにやってるの……!?」


「それも踏まえ、"何かあった"としか言えません」


「そんなにヤバいの?」


「ええ、先月はとある信者達が参拝に行かれたところ、魔物に襲われ、その一行の殆どが亡くなられたのです。壺の魔物にスクラップされたとか」


「うぉぇ……」


 僕の胃液が上に押し寄せてくる。人体ぐちゃぐちゃとか欠損などと言ったスプラッタが全て苦手。それらのものが現実で起きてるとするなら、どのくらい気色悪いのか想像できない。


「恐らく今回の件であるスライムは、その壺の魔物が生成した分身かと」


 今朝のスライムから攻撃で、皮膚が抉られてたのを思い出して、出るか出ないかの狭間で気分が右往左往する。


「そ、それは私に任せて!! 怪我したら回復させるから!!」


「お嬢様、流石に口説いです」


「これは願掛けだってば! 私にかかれば壺のまぼの、壺のまの、ん? まも、まもの、つろのまr違う、ツボノマモノ、うん。壺の魔物! 壺の魔物くらい一網打尽よ!」


 何度も名前を噛んでいて、一気に不安になった。


「ちなみにあれはこの前、壺の魔物という呼び方が少々噛んでしまうと従者たちからの苦情より、"ベーススワロー"と仮称されました。お嬢様、先日全ての従者を交えてその話をしていたはずですが、聞いてましたか?」


「えっ? あー、えっと……、そうだっけ???」


「はぁ……」


 僕に残った不安が覆ることなく、計画は直行されてしまった。


⬛︎⬛︎と友人との会話

「⬛︎⬛︎君、ああいうのやめた方がいいよ」


「だって、皆困ってたじゃん。⬛︎⬛︎君が正しさのために頑張ってるのは分かるけど……」


「……いい加減夢から醒めなよ。ここは君が言うほど綺麗な世界じゃないんだよ。君だって人のこと冷やかしたくせに」


「大人も道徳も、正しいとは限らないんだよ。皆も辛いんだよ」


「……ごめん、もう無理。付き合ってられない」


「謝れば済むと思ってるの? 絶交だよ。謝ってもらって、君は許してただろうけど、逆だってあるんだから……ら……、……だ……ね……」

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