23 夜明け前の襲撃

 早朝、狼の遠吠えで目を覚ました。


義凪よしなぎ、すぐやしろに来て」


 部屋を覗いたゆいの声に、いつもの陽気さはなかった。


 義凪は急いで着替えて、まだうす暗い住処すみかを飛び出した。

 社のおもてには義凪以外の全員が既に揃っていた。巫女装束の二人を除いて、皆が臙脂色の上着を羽織っている。唯は関節部分に金属がついたグローブをはめていた。

 空気が張り詰めていた。


かいたちは前回決めた位置へ。きょうしょうは中へ」


 かなめの指令と共に、各々が散らばる。

 義凪は京たちが向かった扉を見た。そのさらに奥の扉に向かった記憶が蘇る。あれ以来、社の中には入っていない。

 記憶を振り払うように正面に向き直ると、いつの間にか目の前に檜がいた。


「お前はもう障壁も張れるし動けるから、慌てないこと」

「はい」

「危ないと感じたらすぐに逃げろ」


 義凪は返事が喉に詰まった。


「逃げる……」

「そうだ」

「一人で、ですか」

「そのための訓練だっただろう」


 普段と変わらない、ぶっきらぼうな檜の声。

 義凪は俯く。

 そうだ。自分の身は自分で守りたい、そう言ったのは自分だ。


(だけど……)

「誰もお前を責めない」


 義凪はハッと顔を上げたが、檜の表情からはどんな感情も読み取れなかった。

 檜がひらりと背を向けると、臙脂色の上着がマントのように棚引いた。檜、唯、れいの三人は一斉に社を飛び出した。


(そんなことを気にしてるわけじゃない)


「義凪、もっと後ろに下がっていろ」


 立ち尽くしていた義凪は、要に言われた通りに扉の前まで移動する。隣に立っためいは何も言わずに正面を向いている。

 最初の襲撃で男に襲われた時、茗は果敢にも男に蹴り掛かった。次の襲撃の時だって、銃を向けられても逃げなかった。普通だったら有り得ない。こんな幼い子こそ、逃げたって誰も責めやしないのに。

 不意に、茗が顔を上げた。大きな瞳と視線がぶつかる。


「大丈夫だよ。茗が守ってあげる」


 それは最初の襲撃の前にも言われた言葉だった。


(違うだろ。逆だろ、普通)


「来た」


 かえでが言うが早いか、離れたところで猛獣の咆哮が聞こえた。やや遅れて、重低音が近づいてくる。


「なんの音だ?」


 義凪は思わず口にする。

 突如、社の迫り出した石畳の下から鉄の塊が現れた。羽のようなものが背面から飛び出し、頭から放たれる光が社を照らす。義凪は眩しくて腕で目を覆った。


(なんだこれ、ロボット!?)


 ロボットの下部で赤いランプがチカッと光った瞬間、義凪は反射的に跳び退いた。次の瞬間には無数の銃撃が石の床を削り、煙が上がった。


「茗っ! 大丈夫か!?」


 茗だけじゃない。楓、要、それに北斗と椎南しいなもいたはずだ。

 煙の中から、小さな影が飛び出した。


(無茶だ!)


 飛び出した茗がロボットの上部を蹴った。カンと高い音がしたが、ロボットは僅かに揺れただけですぐにバランスを取り戻した。

 跳躍のスピードが落ちた茗を、容赦なく銃口が狙う。

 義凪は茗に向かって地面を蹴ると同時に、障壁をロボットに向かって展開した。


「きゃあっ!」


 茗の悲鳴が聞こえた。

 義凪は銃弾の雨の中で茗を抱え、上方へ抜けた。

 土煙の中から、楓が前に出る。重力がかかったような、空間が歪んだような、不思議な感覚がした。


(これが《術》の発動する感覚……!?)


 義凪は着地してすぐ、ロボットからできる限り距離を取った。

 バチバチと電線がショートしたような激しい音が響く。フラッシュが三度ほど、周囲を強く照らした。

 間も無く、爆発音が空気を揺らした。

 強い風圧を感じ、義凪は茗を抱きしめる。爆風が収まった頃、ドスンと鈍い音が響いた。


「落ちた……のか?」


 義凪は顔を上げて表を見た。床の向こうから煙が上がっているのが見える。


「茗、大丈夫か」


 義凪は腕を解いて茗を解放した。


「うん……」


 茗はそのまま座り込んだ。左腕から血が流れている。


「まだ来る!」


 楓が叫ぶ。義凪は茗を庇うように前を向いて、腰を低くした。

 地鳴りのような咆哮と共に、キメラが飛び込んで来る。数は三体。頭が一つしかないのでただの猛獣と呼ぶべきかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。

 真っ先に北斗が先頭の一体に飛びかかる。けたたましい悲鳴と共にキメラの体から血が飛んだ。もう一体は楓を狙っている。


 残りの一体と、義凪は目が合った。

 それは、獲物を狙う獣の眼。命を奪いに来る眼だった。

 獰猛な唸り声で、硬直していた義凪は我に返った。


 ――危ないと感じたらすぐに逃げろ。


 檜の言葉が頭をよぎる。

 障壁を長時間張り続けることはできない。この場に留まれば、誰かに守ってもらうしかなくなる。

 足しか無いも同然の義凪は、逃げることしかできない。そこに茗を抱えて逃げるか否か、という選択肢が付随するだけだ。

 一瞬の迷いで義凪の初動が遅れた。キメラが飛びかかってくる。


(しまった!)


 茗が義凪の横から跳び出した。


「茗!?」


 茗がキメラの顎を蹴り上げた。飛び散った血はキメラのものではない。茗の左腕の傷から流れたものだ。


「逃げて!」


 茗が叫んだ。

 義凪は動けなかった。

 泣きたかった。

 悔しくて、やるせなくて、叫びたかった。

 息ができない。喉の奥が熱い。


 茗に蹴られて怯んだキメラを楓の放った術が襲う。茗の頭上ギリギリを、炎の蛇が走った。

 キメラは弾き飛ばされ、斜面下へ落ちていく。しかし、入れ替わるように別のキメラが飛び出した。


「ごめんっ! 逃した!」


 悲鳴に近い叫び声が聞こえたかと思うと、森から飛び込んできた唯が、キメラの首を後ろから殴りつけた。

 骨の折れるような鈍い音。

 しかし、滞空中の唯の横から、別のキメラが襲い掛かった。


「危ない!」


 義凪が叫んだが、間に合わない。


「っ!!!」


 悲鳴にならない声と同時に、キメラの爪が唯の背中を裂いた。

 唯は横に吹っ飛んで石の床を転がった。無防備になった唯に、キメラは容赦なく襲いかかる。


「唯!!」


 義凪が飛び出そうとしたその時、刀を振り翳した背の高い人影が風のように現れた。

 そんな人物は一人しかいない。

 檜は目にも留まらぬ太刀捌きで、二体のキメラの首を跳ねた。キメラは悲鳴も上げずに床の上に落ち、血溜まりを作った。


 檜は素早く正面に向き直り刀を構える。しかし、獣の声はもう聞こえない。キメラもロボットも現れなかった。

 代わりに羚が現れた。


「こっちは終わった」


 羚は社の床に着地し、惨状を見て目を見開いた。


「ねえちゃ……」

「羚、念のため周辺を確認して来てくれ」


 檜が落ち着いた声で指示を出す。


「わ、わかった」


 羚は動揺した表情のまま、後ろ髪を引かれるように唯から視線を離すと、森の中に消えた。


「大丈夫か」


 素早く刀を鞘に納めた檜が唯を抱き起こした。要が京を呼ぶ声が聞こえる。


「ごめん……ヘマしちゃった」


 そう言って笑う唯の声は、僅かに震えていた。


「唯ちゃん」


 駆け寄った茗は泣きそうな顔をしている。


「茗……あんたまた無茶したでしょ」

「してないもん」


 大扉の横の扉から、京と梢が走って来る。京は唯の横に跪くと背中の傷に手をかざした。


「すぐ止血するわ」

「先に茗の怪我を……」唯がか細い声で言う。

「あなたが先よ。茗、ちょっとだけ我慢してね」


 無言で頷いた茗の口は、への字にきつく結ばれている。

 止血が終わったのか、唯は檜に抱えられて社の奥に入っていった。その後に梢と北斗が続く。京は今度は茗の左腕に手をかざしている。


「茗、頑張ったわね」


 京が優しく話しかけた。茗は口をつぐんだままこくんと頷いた。

 茗の応急処置を終えた京が、突っ立ったままの義凪を見上げた。


「義凪くん、あなたは……」


 義凪は慌てて両手を振った。


「俺は大丈夫です。俺の血じゃないので……」

「茗の血、ついちゃった」


 か細い声が辛うじて聞こえるが、茗は俯いたままだ。

 義凪は茗の前で膝をついた。


「いいんだよ、そんなの。ありがとな、茗。また守ってもらっちゃったな」


 茗は下を向いたままぶんぶんと首を横に振る。


「茗、よく頑張ったわね」


 京に抱き寄せられた茗は、京の胸の中で泣き始めた。京の袖をぎゅっと掴んで、肩が細かく上下している。


 どうして声を殺して泣くのだろう。

 居た堪れなくて、義凪は唇を噛んだ。


 奥から檜が戻って来ると、茗は京から離れて檜の首に抱きついた。

 檜は茗を抱えて立ち上がる。その姿は、まるで幼い子供をあやす父親のようだった。


 羚が見回りから戻って来た。


「生きてる奴はいない。ロボットももう動かないと思う。なあ、唯と茗は……」

「傷は深くない」檜が答える。

「そっか……」


 羚の声には安堵が含まれていた。

 檜と羚は要に声をかけてから、京と共に社の中へと消えた。


「怪我はないの」


 立ったまま檜の後ろ姿を見つめていた義凪は、いつの間にかそばに立っていた楓の声で我に返った。


「あ、うん、大丈夫……」

「そう」


 楓はそれだけ言うと、山の様子を見下ろしている要の方に歩いて行った。そして言葉を交わすと、社の外へ姿を消した。


 しばらくして、小さな爆発音が連続して聞こえた。驚いた義凪は社の床の先端まで駆け寄り、要の横に立って斜面を見下ろした。


「機械を完全に壊しているだけだ。あとで爆発でもしたら困るからな」


 煙が細く立ち昇り、焦げ臭い匂いがした。


 空はすっかり明るくなっていた。


 義凪は振り返って社の表を見渡した。

 石の壁は銃弾で削れ、床はキメラの死体が転がっている。

 顔を背けたくなるような光景なのに、目が離せないのは何故だろう。


「もう死んでいる」


 要は前を向いたまま言った。


「着替えてこい」


 そう言われて、義凪は服が血で汚れていたことを思い出した。血はもう乾いていた。




 森の中を全速力で走った。

 昨日教えてもらった沢に着き、血で汚れた上着を水面に叩きつけた。


 今更になって吐き気がして、頭を沢に突っ込んだ。沢の水は頭が痛くなるほど冷たい。三十秒ほどして、勢いよく顔を上げた。

 肩で息をする。


「くそッ」


 濡れた髪もそのままに、水面に映る自分を睨んだ。

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