21 特訓三日目(二)

 午後は訓練場とは違うところに連れていかれた。やしろ住処すみかよりも下がった場所で、薪や丸太が山積みになっていた。


 義凪よしなぎれいに勝てないことくらい、かいはわかり切っていただろう。つまり最初から薪割りをさせるつもりだったはずである。

 午後も羚がいるのは檜の指示なのだろう。檜が薪割りの手本を見せるよう言うと、羚は心底嫌そうな顔をしてから、幼い容姿に不釣り合いな斧を構えた。

 斧が振り下ろされると、ぱかんと小気味よい音と共に丸太が真っ二つに割れた。


「おお!」


 思わず漏れた感嘆の声に対し、羚は馬鹿にしてるのかと言いたげに義凪を睨んだ。


 今度は義凪が斧を持つ。当たり前だが、剣道で持ち慣れた竹刀よりずっと重い。

 腰を落とし、五回ほど練習してから、切り株の上に立てられた半月状の丸太を目掛けて斧を振り下ろした。


 丸太は五対一くらいの大きさに分かれて割れた。


「ヘッタクソ」


 羚の嫌味は全く気にならなかった。


(これは結構楽しいかも)


 大きさはともかく、割れたことが素直に嬉しかった。振り下ろす時に力はほとんどいらない。斧の重みで丸太は割れる。


「筋がいいな」


 十分ほど夢中で斧を振り続け、義凪が一息ついたところで檜が言った。気がつけば用意された丸太はなくなり、そこら中に薪が散らばっていた。薪はほぼ真っ二つに割れるようになっていた。


「ありがとうございます! 俺、剣道やってるんで手ぶらより何か持っていた方が落ち着きます」


 義凪は嬉しくなって声を弾ませる。


「へぇ、剣道やってんの」

「はい……あっ」


 その時、義凪は頭の中で引っかかっていた何かの正体に気がついた。


「思い出した!!」


 義凪の大きな声に、檜と羚は目を瞬いた。


「俺、檜さんのことどっかで見たと思ってたんですけど、朱栄館しゅえいかんに来ましたよね!?」

「しゅえい……?」

「町の剣道道場です。来ませんでしたか? 確か、一昨年の夏」

「ああ、そういえば」

「やっぱり!」


 興奮気味の義凪はパッと笑顔になった。


「俺、覚えてます。師範のこと一瞬で負かしちゃって、すげーって!」


 二年前の夏の暑い日、義凪たちが練習をしているところに、数名の男性と一緒に高校の制服を着た青年がやって来た。青年と師範たちは何か話した後、試合を始めたのだ。

 道場には社会人も通っており、義凪は大人たちの迫力ある試合を見るのが好きだった。そしてその時見た師範と青年の試合は、最も興奮した試合だった。

 一度も負けたところを見たことがなかった師範が、あっさりと一本を取られたのだ。

 青年の動きは、義凪の記憶に鮮やかに刻まれた。


「うわぁ、感動です、あの時の人に特訓してもらってたなんて」

「そう……」


 檜のやや引いている返答に、義凪はハッとした。羚の視線が痛い。


「すいません、つい」


 近づきすぎた体を引く。顔が熱くなった。


「それで俺の刀をチラチラ見てたのか」

「うっ」


 ばれていた。檜が腰に提げている日本刀にはどうしても目が行ってしまう。


「いやぁ、やっぱり憧れるところがあると言いますか……」


 義凪は後ろ頭を掻いた。剣道で真剣を握ることはないが、それでも興味を持ってしまうのは、義凪くらいの年頃なら珍しくもないだろう。


「持ってみる?」


 檜が腰から刀を外した。


「えっ、いいんですか」

「ちょっと檜兄、部外者に持たせていいのかよ。歳だってまだだろ」


 羚が慌てて間に入る。檜は少しだけ考えた。


「幾つ? 十三?」

「いえ、もう十四です」

「歳は超えてる。身長も足りてる」

「でもっ」


 食いつく羚を檜は無言で見つめ返す。


「……ふんっ」


 羚はそっぽを向くと、どこかへ姿を消してしまった。


「気にしなくていい」


 オロオロする義凪に檜は刀を差し出した。

 義凪が刀を両手で受け取ると、ずしりと手に重さがかかった。黒く光る鞘は、漆の質感がまるで手に吸い付くようだ。


(これが真剣かあ……!)


「抜いてみてもいいけど」

「本当ですか?」


 真剣を抜刀する機会などまずない。いつか真剣道を志せばそんな機会が来るかもしれないが、こんなに早く巡って来ようとは。


「ただ、それは武道の道具じゃない。武器だ」


 義凪は動きを止めた。

 その言葉の真意が解らず、檜の顔へ目線を上げると、赤茶色の瞳が鋭く義凪を見据えていた。


「人を殺すためのものだ」


 義凪は思わず息を呑んだ。


 しばらくの間、檜の目から視線を外すことができなかった。


 やがてゆっくりと視線を刀に戻すと、さっき受け取った時とは全く違うものに見えた。

 そっと右手で柄を握り、左右の手を同時に横に引いた。

 引っかかって、鞘から抜けない。

 義凪は唾を飲み込む。

 左手を鍔の近くに持ち直し、もう一度力を入れて、慎重に引っ張った。


 鯉口から現れた片刃の刀身は、酷く眩しかった。


 十五センチくらい抜いたところで、刀身をそっと鞘に戻した。


「……ありがとうございました」


 義凪が檜の目を見ずに刀を差し出すと、檜は無言で受け取った。


「檜さんは何歳から刀を使っているんですか」

「十四。十四にならないと帯刀は許されない。身長も基準があるけど」


 先程、羚が言っていた意味をようやく理解した。

 檜は近くの物置小屋の方へ歩いて行く。義凪は口を固く噤んでその後ろ姿を見つめた。飲み込んだ質問が、口から出ないように。


 ――檜さんは、人を殺したことがあるんですか。





「交代」


 檜が突然現れたので、羚は飛び上がりそうになった。


ゆいと見張り代わったばっかだけど」


 檜は返事をせず木の上に腰掛けた。

 二人ともしばらく黙っていた。風が木の葉を揺らす音と、鳥の囀りだけが聞こえる。


「あいつ、結局刀使ったの」


 羚が沈黙を破って尋ねた。


「いや、途中まで抜いて戻した」

「なんだ、ただの腰抜けか」

「そうかな」


 檜が静かに言った。

 再びの沈黙の後、羚が口を開く。


「ちょっとは休めば。檜兄、あいつに付きっきりだろ」

「……一時間後にまた来る」


 檜は去っていった。

 一人になった羚の跳ねた髪が風に揺れる。木々がざあざあと波のような音を立てる。羚は遠くに見える研究所を睨みつけた。


「外の奴に、俺たちの気持ちがわかってたまるかよ」





「羚は早く刀を使えるようになりたいんだ。でも年齢も身長も足りないから、檜兄から許可が下りないの」


 檜が去った後、入れ替わるように唯が来た。一緒に薪を麻紐でくくりながら、義凪は唯に羚のことを訊いた。


「ごめんね、あいつまだガキでさぁ。檜兄が義凪に付きっきりだからぼた餅妬いてんの」

「焼き餅な」

「それそれ」


 けらけらと笑うこの天然女子は、わざと間違えているのではないかとたまに思ってしまう。


「それで、本物の刀持ってみてどう? やっぱ男子的にはテンション上がった?」

「……重かった、かな」


 義凪は質問の回答を曖昧に避けた。


「そりゃあ竹刀より重いでしょ」唯が笑う。


(そういう意味じゃない)


 あれは、興味本位で持っていいものじゃなかった。

 義凪が握る竹刀と形は似ていれど、全く違う。義凪だって熱心に剣道をやってきた。だけどそれが生きるために必要不可欠かと訊かれれば、そうではない。


「唯も、十四になったら刀を持つのか?」

「んー、誕生日より前にはこの状況が落ち着いてて欲しいけどね。でも多分、持たないかな」

「女だから?」

「性別は関係ないよ。あたし道具使うの得意じゃないから」

「そっか、陸上部でも短距離走だもんな」

「そうそう、手ぶらで突っ走るのが好きなの」


 あはは、と義凪は笑った。


「そういうイメージあるわ」

「ふふん、そうでしょ」

「褒めてないけど」

「あれ?」





 薪を纏め終わった後は社に向かった。いつの間にか腕を擦りむいていたのを唯に指摘され、きょうに手当してもらえと言われたからだ。


 社の表にはかなめすいがいた。

 彗は三匹いる狼のうちの一匹で、滅多に姿を現さない。北斗ほくと椎南しいなの母親で、高齢らしい。毛の色は黒だが、眉や手足の先は茶色い。


「京さんは中ですか?」

「自分の部屋にいると思う」


 要は淡々と答え、書物に視線を戻した。


「ちゃんとノックしろよ」

「わかってます」


 義凪はムッとした。

 社の入り口の扉を開けて中に入るとすぐ、バスケットボールでもできそうな大部屋が広がっている。祭室さいしつと呼ばれるこの部屋には、広い奥行きの先にステージのような一段高いエリアがあり、さらにその奥に扉がある。


 その時義凪は、何故かその扉から目が離せなくなった。


 止まっていた足は、京の自室ではなく扉の方へ吸い寄せられるように向かっていく。


 派手な装飾が施されたその扉には太い閂が掛けられている。その上に青銅の鎖が巻きつけられ、大きな南京錠が掛けられていた。

 扉に手を伸ばした、その時だった。


「何してるの」


 義凪は大きく肩を跳ねた。

 振り向くと、部屋の入り口に険しい表情のかえでが立っていた。楓はツカツカと歩み寄ると、扉の手前で静止していた義凪の右手を掴んだ。


「何してるのか訊いてるの」


 真紅の瞳には、明らかに怒りの色が浮かんでいた。


「何って、あれ……俺、なんでここに……」


 我に返った義凪は強烈な目眩に襲われ、その場に倒れた。


「結城くん!?」


 楓の声が、随分遠くに聞こえる気がした。



 ――結城くん。

 彩加あやかの声が聞こえた気がして、義凪は目を開けた。


「義凪くん、義凪くん」


 視界には、京、要、そして楓の顔があった。


「はぁ……よかった」


 義凪の名前を呼んでいた京が、ほっと息を吐いた。


「あれ、俺……」


 義凪は体を起こす。彗の体にもたれかかっていた。祭室の奥で倒れたはずだが、入り口の方へ運ばれたようだ。


「何があった?」


 膝を付いた要が訊くが、ぼんやりしている義凪から返事はない。

 要は質問を変えた。


「何故あの扉に近づいた?」

「わかりません……気がついたら近くにいて……」


 泣きそうな顔の義凪をじっと見つめた後、要はスッと立ち上がった。


「だとさ」


 そう言われた楓は苦い顔で黙ったままだった。

 義凪は要を見上げる。


「あの扉、なんなんですか……?」

「大体想像はつくんじゃないか」

「宝玉、ですか」

「そうだ、あの扉の奥には宝玉が封じられている。余計な疑いをかけられたくなかったら近づくな」


 義凪はようやく、楓の険しい表情の意味を理解した。


「すいません」


 肩を落とす義凪に、楓が静かに声を掛ける。


「宝玉は封じられていても強い力を放っているから、あなたみたいに慣れていない人が近づくと体に障る」

「あとね、義凪くんが倒れたのは訓練を頑張りすぎているせいもあると思うわよ?」


 京が義凪の顔を覗き込む。


「そうですか?」


 義凪はきょとんとして聞き返すと、京は溜め息をついた。


「自覚なしかぁ。まったく、誰かさんみたい。明日は休んだ方がいいわ」

「休めるとは限らないが」


 要が素っ気なく付け足す。義凪は首を傾げた。


「前回の襲撃から時間が開いてる。疲れ果てた状態じゃ、いざという時動けない」

「わかりました……」


 義凪が返事をした時には、楓はすでに背を向けて遠ざかっていた。

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