香水の記憶
星見守灯也
香水の記憶
その香りは死と結びついている。
娘の死体を見た時、したのがその香りだった。
香りをあらわす言葉を私はあまり多く持ってはいないが、清楚な華のような香りだ。娘の部屋にはシンプルな香水瓶が残されていて、ああ、あの娘らしいなとしみじみ思ったものだ。
いい子だったと思う。それなりに反抗期もあったが、優しくてかわいい子だった。そんな人並みな言葉しか出てこなくて、私はそっと恥ずかしく思った。
私が娘のなにを知っていたというのだろう。出かける時にはあの香水を少し手首につける、そんなことしか思い出せない。笑った顔も、怒った顔も、泣いている顔も、霧の向こうにかき消えてしまったかのようだ。写真を見てときどき思い出す彼女の声は、本当にそういう声だっただろうか、もう確信が持てなくなっている。
そんなとき、電車でその香りがした。隣の若い女の子からだった。その女の子は娘とは似ていなかったが、一瞬、娘を幻視した。女の子は私の様子を見て、奇妙そうにみじろぎをする。
「ごめんなさいね、あの……」
どう言えばいいのだろう。不快にさせるつもりはなかったのだが、死んだ娘の好んでいた香りだと言えば、もっと不愉快にさせるのではなかろうか。
「その香水……お好きなんですか?」
「え。あ、臭いとか……?」
私は慌てて手を振った。
「いえ! そうじゃなくて……娘、が好きだった香りなもので……。いい香り、ですよね」
私は慌ててかばんを開け、蒸発して中身がほとんどなくなった香水瓶をとりだして見せる。彼女はちょっと不思議そうな顔になってから、ああ、と頷いた。
「わたしも好きなんです。母がつけていたので」
「そう……なんですね」
「この香りで思い出すんです。楽しかったり、優しかったり、そういう記憶を」
そうだ。私もこの香りで娘を思い出している。
「ええと、娘さん? にとっても大事な香りなんでしょうね」
娘の死は一瞬のことで、痛くなかっただろうと医者は言っていた。それならいい。あの香水は、私にとって娘との楽しいお出かけの記憶だ。
娘にとってはどうだっただろうか。たぶん、娘にとってもいい記憶と結びついていたはずだ。あの香りに包まれて死んだのなら、たくさんのしあわせな記憶を思い出して逝けたのなら、きっと悪くない人生だった。そう思うと、急に涙が溢れてきた。
「ごめんなさい、ありがとうね。ありがとう……」
これは私の、しあわせな思い出の残り香だ。
香水の記憶 星見守灯也 @hoshimi_motoya
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