第12話 あなただけの

「はい! 先輩はフルコーラスを歌い切る体力がないってことですか?」

「そうだけど、そうじゃねぇよ。非力なことは認めるが、体力でどうにかできるもんなら、もう歌えるようになってる」

「じゃあ。一番だけなら、何曲も続けて歌えるってことですか……」

「そうだな。そこはお前らと変わらねぇよ」

「好きな食べ物は?」

「カルドンチェッロのソテー」



 凛はいつものように教卓に座っている。その前へ置いてある椅子に座った田中、茸木なばき聡平そうへいから質問攻めを受けているのだ。本人はとても不服そうだが、こんな状況になったのは彼の告白が原因である。


「体力面では無いということでしたが、精神的な面で何か心当たりはあるのでしょうか。また、解決策を先輩は思いついているのでしょうか?」

「結構ヅカヅカとプライベートな話に入りこんでくるな。心当たりも解決策もねぇよ、そんなもん。一曲に全てをかけて、観客の心を掴めばいいだけの話だろ。何か問題あんのかよ」

「ええ、じゃあやっぱり、呪術的な何かによる代償なんじゃ……」

「なわけねぇだろ、馬鹿。お前はボクを何だと思ってんだ。ボク自身にそんな力はねぇよ。ただの人間だ」

「好きな色は?」

「赤……って志之しの、さっきからお前は何を聞いてんだ。ふざけるのもいい加減にしろ」


 聡平そうへいは凛から指摘を受けると、「ごめん、ごめん」と平謝りをしながら、どこからか取り出したメモとペンをポケットに突っ込んだ。


 マイペースな聡平そうへいと、馬鹿と言われてへこむ茸木なばきを他所に、田中は凛の体質について纏めていく。


 中堂凛なかどうりんはフルコーラスが歌えない体。その理由は体力的でも精神的でも呪術、魔法的なフィクションでもない。フルではなくワンコーラスだけなら、普通に連続して歌うことができる。これが、彼への質問から分かったことである。


「でも、一曲しか歌えないんじゃ、『ムジカデラーニモ』は絶望的じゃないですか。確かビデオ審査の次は現地でのミニライブでしたよね?」

「あ゛? 勘違いするなよ。いつからお前はボクを心配できる立場になったんだ。ボクはお前に何かしてもらおうなんて思ってねぇ。倒れることをライブ前に言われなかったことは悪いと思ってる。でも、ボクの体のことで迷惑をかけたとも思ってねぇぞ」

「迷惑だって? 僕と茸木君が動揺してるお客さんを多少なりとも落ち着けさせたんだよ! どう考えても心配はかけてるでしょ!」

「は? 支えた気になってんじゃねぇよ。サポートが不十分だったから、こんな話し合いをしてんだろ。ボクの歌より、お前の叩ける音の少なさの方が問題だろ」

「凛くん、落ち着いて! 言い過ぎだって。タナショーは凛くんのことを悪く言ったつもりはイチミリも無いと思うよ。冷静になってよ」


 りんは鋭い視線を田中に刺す。聡平そうへいはヒートアップしそうな彼を宥めると、やんわりとした言葉を投げかける。


「と、とりあえず! 俺たちも演奏をもっと頑張らなきゃいけないのは事実だからさ。凛くんの歌のことも、俺らの技術のことも、みんなで一歩ずつ進めていこうよ」


「今日はお疲れ様でした」


 田中は一度頭を下げると、部室から出て行く。それを見た茸木なばきも扉の方へ歩き出す。


「……これは流石に中堂なかどう先輩が酷いよ。じゃあ……」


 茸木は捨て台詞のような言葉を残して、部室から出ていく。室内には聡平と凛の二人だけになる。


「聡平ごめん。ボク、どうかしてるよね」


 先輩は急にしおらしくなった。教卓から降りて、俺の隣の椅子に腰をかける。


「まぁ、二人が心配してたのは本当だし、タナショーは精一杯頑張ってるだろうからね。あれは良くないかな。あと、謝る相手は俺じゃないからね」

「うん」

「あと俺さ、あの質問会の時。凛くんがフルコーラスを歌えるようになる方法なんて考えてなかったんだよね」

「え?」

「だって、凛くんが頑張ってないはずないんだもん。あんな凄い歌を歌える人が、フルコーラス歌えないって言ったんだよ。もう方法なんてないよ。じゃあ、あとは俺が頑張ればいいだけでしょ」


 一曲を通して歌えないのなら、歌わなければいいだけだ。ワンコーラスだけなら連続して歌えるのであれば、とんち的な方法がきっとあるはずだ。何のために俺がいるのか。やっと意味を見出せた気がする。


「俺が作るよ。凛くんのためのフルコーラスを」


 俺は席を立つと、片方の手を胸に、もう片方の手を大きく広げた。いつも先輩がやっているポーズだ。それを見ると先輩は下を向いてクスリと小さく笑う。


「うん。期待してるよ」


 窓から差し込む夕日が先輩に淡く色をつけているようだった。端正な顔を崩して笑う先輩の姿に両目が吸い寄せられるばかりだ。何だか恥ずかしさでいっぱいになったように、体の内側がじんわりと熱くなる。


「た、ただ! 二人にも俺と同じことを期待するのだからやめてくださいね。二人がいないとバンドサウンドにならないですし、もう大事な大事な────」


 居た堪れなさを和らげるために必死で言葉を並べていると、先輩が急に俺へ距離を詰めてくる。そして、ネクタイの結び目を握り込む。


decisoデチーゾ


 短い言葉に込められた作者の想い。それに準えた言葉は、俺の頭の中に先輩がイメージを作り出しているようで。


「俺は何があっても、凛くんをあの舞台へ連れて行きます!」


 俺は自分に言い聞かせるように、先輩へ決意の言葉を口にした。

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