第5話(3/3)一番の悪魔と覚悟
「え?……」
しゅんとした様子で先輩は自身の印象についてを問いかけてくる。その姿はさっきよりも若干小さく見える。いや、別にさっきも大きかったわけじゃないけど。
「何とも思わ……ないのは嘘だけど、俺は別に口や態度が悪かったとしても、凛くんのことを嫌いになったりはしないかな。まぁびっくりはしたけど」
「そうか。
先輩は良かったとかいうのに浮かない顔をして項垂れている。俺はその表情を何故か見過ごすことが出来なかった。この人は初めからずっと突然なのだ。だったら堂々と俺のことを最後まで振り回し続けて欲しい。何か先輩の気を引く言葉を……。
「
「
凛は胸に手を置くと、聡平の方へ微笑みながら首を傾げる。机に腰を掛け、足をプラプラとさせている。席に座る聡平のことを覗き込むように、顔だけを横に向ける体勢。窓から差し込む光は彼の存在を暖かく強調するようで。
先輩と目が合う。向けられた優しい眼差し。そこにはちゃんと俺が知っている先輩もいた。だけど、そんなことがどうでもよくなるぐらいに、眩しい姿だった。
「こんなのボクじゃなきゃ伝わらないだろ」
「いいんですよ、伝わったんだから」
そして、二人はクスクスと小さく笑い声を上げる。次第にそれは大きな笑いに変わる。他の誰に伝わるかは分からないやり取り。お互いがカッコつけで、ひねくれ者だということが分かるだけ。明確な量や大きさを提示しない、受け取る側の裁量と解釈のフィルターを通すような、曖昧な表現だからこそ伝えられることもある。
「凜くん、一つだけ。俺はその時に、
これは俺が曖昧なものじゃなくて、確かにはっきりと先輩に伝えたいこと。自分が見たもの、感じたことだけを信じたい。これだけは譲れない俺の自我だ。
「ああ、約束する」
先輩はそう言うと、グイっと俺の方へ足と体を投げ出して体勢を変える。上半身はさらに俺の方へ傾ける。急に距離を詰められた驚きや戸惑いよりも先に、目の前で端正なおかっぱ頭が揺れる。
「な、なんですか、急に」
俺の問いかけに対して、先輩は今から悪戯でもするかのような怪しげな笑みを浮かべる。そして、自分の喉に両手で触れる。
「約束しろ。ボクの歌のために最善を尽くすと」
「……そんなの改めて、言われなくても──」
「尽くすの? 尽くさないの?」
さらに凛の顔が聡平に近づく。その瞬間、机が自身の一端に集中してかけられた重みに対して、ガタンと悲鳴を上げながら倒れた。上に座っていた凛も一緒に投げ出される形で姿勢を崩す。
──わっ……!
聡平は椅子からすぐに立ち上がり、凛の腕を掴むと、彼の体を自分の方へと引き寄せる。だが、聡平の想像よりも軽い凛の体重が影響し、勢いを纏いながら彼の大きな体に、すっぽりと小柄な体は吸い込まれる。
──ドタン!
机は大きな音を響かせて、綺麗に横転した。
ワッと咄嗟に俺から離れる先輩。下を向いて顔を隠している。腕と胸に残るのは確かな先輩の重みと感触。耳に残るのは机と床がぶつかる硬い音と先輩の小さな声。頭を巡るのは、そんなバラバラな情報と安堵感。これ以前にどんな話をしていたかも、もう分からなくなった。ただ一つ分かるのは、なんとなく、このまま顔を隠す先輩を見ていたくなかった。
「怪我ないですか。俺、コンポーザーなので、ボーカルの体調を管理するのも仕事なんです。顔上げてくださいよ」
先輩はゆっくりと顔を上げた。すぐに顔を横へそらす。
「じゃあさっさと確認しろよ。──
凛は少し上を向いて、聡平に首をしっかりと見せる。聡平はそんな彼に近づくと、シャツの襟に手を掛けて整える。
「何してんだよ」
彼は襟に伸びる手を払い除けようとする。
「
聡平の言葉にピタリと凛の動きは止まる。聡平はそれを確認すると、今度は彼のネクタイに手を掛けて、きっちりと結ぶ。
「はい、終わりましたよ。なんかネクタイ外されたのモヤッとしたんで。喉の調子なんて外側から分かるわけないじゃないですか」
聡平はにこりと笑う。
「さっきはありがと。あと、これも」
凛は特に反論するわけでもなく、彼と目を合わせながら、結びを軽く握り込んだ。
「いえいえ、口悪いのもガラ悪いのも凛くんの勝手ですが、怪我されるのだけは困ります。俺の唯一のボーカルなんですから」
凛は大きな目をさらに大きくする。そして、小さく鼻を鳴らす。
「……うるせぇな。いいから黙って作曲AIになれよ」
「えー、それ多分悪口なんですよね? 段々と分かってきましたよ、凛くんの言いたいこと」
「勝手にしろ。それと、もう今日は帰れ。教室はボクが片しておくから」
凛は聡平の手伝うという言葉を跳ね除けて、一人教室に残った。
「
彼は誰にも届かない、自分だけの心のイメージを口にした。
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