第2話(1/2)インスピレーションは口笛から

 志之聡平しのそうへい中堂凛なかどうりんと出会ってから、一週間が経った。あれから聡平そうへいりんと会うことはなかった。しかし、あの日から西門が開いていない日は一度も無かった。聡平はありがたく使っているのだが、誰が開けてくれているのやら。


そもそも聡平は凛の居場所が分からない。一年生が三年生である、彼と会うのは至難の業だ。それこそ、向こうから寄ってきてくれなければ。何故か、無性に謎の先輩のことを彼が気になり始めた頃。


 俺は今日こそ先輩を探そうと決意を固めた。そうなれば、まずは情報収集だ。放課後になると、寄って来た同級生の女子たちは、みんな少しずつ離れていって、もう誰も近づいてこなくなった。俺が運動音痴なことをどこかで知ったらしい。たぶん、無理体験させられたバスケ部かサッカー部かそれか……。自分に思い当たる節があり過ぎる。


 自席で腕を組んでいる聡平そうへいに一人の女生徒が近づいてくる。



「ねぇシノくんて、もしかして文化部希望だったりしないかな。最近運動場で姿見ないよね」


「あ、そっーうなんだよね。ちなみに何かオススメとかあったりする?」


「私の? そうだなー。演劇部とか?」


「演劇ね。でも俺、運動音痴だよ。ちゃんと演じられるのかなぁ」


「あー。そっか、体動かすの嫌い? しのくん、画になるなぁって思ったんだけど。ごめんね」



 彼女はそう言うと片目を瞑り、指でカメラのポーズをつくる。被写体である聡平そうへいを正面に収める。空気のレンズ一枚越しに彼はそっと笑う。



「もしかして写真部?」


「うん、そうだよ」


「あ、それとさ。本当に大したことじゃーないんだけど、小柄でおかっぱ頭のズボン履いてる女子見たことない?」



 この子なら、知っていれば答えてくれる気がした。



「あー。待ってね。確か、この前。部室棟にズボンのおかっぱの子いたかも……、あと運動場にもいたっけ、それこそ、しのくんがサッカーやってるところ見てた気がする」


「へー、そうなんだ。 部室棟と運動場ね。ありがとう、佐藤さん」



 俺は目の前のクラスメイトにお礼を言うと、スクールバックを背負って教室から飛び出した。



「うん。こちらこそ……」



 何気なく呼ばれる名前には、破壊力があることを。さりげない笑顔の即効性を聡平は知っているはずなのに。彼はさらりとそれをやってのけてしまう。








 聡平そうへいは部室棟を目指した。運動場にはなるべく近づきたくないので、自然と足は部室棟の方へ向かった。手掛かりは、見たかもしれないという目撃情報とりんが同好会を立ち上げようと言っていた記憶。部室棟でその準備を何かしらしているのかもしれない。



 俺は部室棟に足を踏み入れた。なぜだか背筋がぴしっとなる。階段を上がると、教室が見える。作りは基本的に教室棟と変わりがない。教室を部活の活動場所として使っているぐらいだ。


漫画研究部、書道部、美術部。教室から漏れ出る会話は心地が良い。同じ目標に進む仲間との会話は、さぞかし刺激的なのだろう。白熱した議論の声や、黙々と打ち込む作業の音。


廊下を進んでいると、吹奏楽部だろうか。楽器の音色が聞こえてくる。練習中のあどけない演奏はどこか、背中に推進力を授けてくれるようで。進んでいる内に階段に差し掛かる。ん?



 吹奏楽部の練習の音に耳がいくら引っ張られていようが。いくら音が小さかろうが、聞き逃すはずがない。自分で作ったメロディを。俺は出しかけた脚と体を急いで引き戻し、階段の様子を窺うように聞き耳を立てる。



「ふんふふふーん、ふーん、ふん」



 鼻歌なのに綺麗な音。そして明らかに俺の曲。最近、自意識過剰すぎるのかな。いやいや、まさか同じ学校に34人中2人がいるなんていう奇跡は……流石に起こらないと思う。顔なんて確認しなくても分かるのだが、確認したい。


俺が顔を出そうとすると、朧げながらに言葉が耳に届いた。幾つかかたまりのある言葉。一節。これは歌詞だ。聞き覚えしかないメロディに、聞き覚えがあるはずがない言葉に、きゅうーっと胸が苦しくなる。


締め付けられて、心臓は口から飛び出そうだ。耳は頭から、勝手に千切れて歩き出しそうなほど、この歌声を離してはくれない。


 アイリスは主にパソコンで作られた音源を投稿している。インストゥルメンタルという楽器のみで作られた曲、ボーカルがない音楽だ。だから、メロディはあっても歌詞がつくことはない。


つまり、聡平そうへいの耳に届いた言葉は、この歌声の持ち主が勝手に考え、当てはめた歌詞ということだ。


 俺は顔を確認することなく、急いで踵を返した。早く帰りたい。早く帰ってこの衝動を形にしたい。これしか頭に無かった。これだけで、今の軽い心を抱えて走るのに十分すぎる原動力だった。

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