第1話(2/4)美男子先輩との遭遇

 そんなはずはなかった。他人の持ち物から聞こえていいはずがない音楽。いや、音だ。俺が奥に奥に仕舞い込んだ、あのヘッドホン、あのスピーカーからしか聞こえるはずがない音。それは、明らかに世間で流れている音楽とは違う異音だ。



「ん? え! もしかして、この曲君も知ってる感じだ!」



 知ってるもなにも。



「アイリス。まさか君も、この三十人の内の一人だったりしてね!」



 彼または彼女はスマートフォンを操作して、画面を男へ見せる。そこにはとある動画投稿サイトの、とあるチャンネルTOPページが映し出されていた。


 それは俺が作った曲だ。アイリスは活動名。あと、それを言うなら三十四人である。これはアイリスのチャンネル登録者の数。笑うなよ。これでも俺は真面目に作り続けて投稿していたんだ。



「それで、キラキラ大注目の長身イケメンくん。おやおや、随分と、お早いお帰りですねぇ。部活勧誘も相当な数がくるんでしょう」



 ベトベトに飾られて、嫌味を纏った言葉だ。だが、それについて指摘する余裕などなかった。俺のことなんか今はどうでもいい。それよりも、この信じがたい状況の答え合わせがしたい。バクバクと鼓動する左側を感じながら、



「そ、そんなことよりさ、アイリス。何でそんな全然有名でもない、むしろ底辺。誰も知らないし、聞かないような人の曲なんか聞いているわけ?」


「あ゛? ────もーう、嫌だなぁ。なんでもなにも! 人が音楽を聞く理由なんて、それが好きだから。しかないじゃないですか」



 彼または彼女から一音だけ。柔らかな雰囲気からは信じられないくらい、ドスの利いた一音が発されたが、男は答えそのものが放つ衝撃の方に意識を奪われ、気が付かなかった。


 それが好きだから? 


理解が追い付かない。何度こいつの言葉を咀嚼しても、食べきれない。そんな幸せな料理の前に立ち尽くすような感覚。俺は今、面と向かって自分のファン(仮)から、好きだと伝えられているのか。そんな馬鹿な話はないだろ。


偶然入学した高校に、偶然俺の曲を聞いている奴がいて、偶然そいつが俺の前に現れる。ないない。信じられるわけがない。きっと、これは何かのドッキリに違いない。



「おーい。聞こえてますかー。ボクはさ、君のことをずーっとここで待っていたわけ。部活というか、同好会か。立ち上げようと思っててさ。是非入って欲しいんだ。君、面白そうだし」



 結局こいつの正体も部活動の勧誘か。それにしてもアイリスの件、一体どこから漏れたんだ。誰から聞いた? いつ聞いた? さっさとネタバラシしろよ。もうウンザリなんだ。



「……あー。お誘い嬉しいですが、考えさせてください。それと、俺。このあと予定あるので、今日は帰らせてください」



 男はそう言うと、彼または彼女の隙間を縫うようにして、靴を取る。



「チッ。────まーだ、何をする同好会かも言ってないでしょー。まぁそれは一旦置いといて。君、まさかあの門を通って帰るんだー。なんてバカなこと言わないよね?」



 男は指を差された方へ目を向ける。昇降口を出た先。門へと続く舗道にはびっしりと、人間の花道が形成されている。張り付けられたかのような笑顔。各々がプラカードや道具を持って、自分の所属している部を主張している。ここから出てくる一年生を捕まえようと。今まさに、下校する生徒が網に引っかかったようだ。嬉々として真新しい制服に滲み寄るのは、どんな部活なのか一目で分かる見た目、勧誘の猛者たちだ。裏門が閉鎖されているのは学校側の配慮か。



「果たして君に、あの勧誘を避けることは出来るのかな? それとも、このボクが、直々に抜け道を教えてあげようかなぁ」


「え? 抜け道」



 彼または彼女はひょっと、下駄箱に預けていた上体を起こすと、彼の前で首を傾げた。柔らかくふわりと揺れる髪と、恐ろしく端正な顔で彼を見つめる。長い睫毛に大きくふっくらとした瞳。すんとした形の良い鼻。そして、淡くぷるりと色彩を放つ唇。それは今から派手ないたずらでもしそうなぐらい、ニヒルに口角を開ける。



「Rin Nakado. ──中堂なかどう りんだ。」


「So……コホン。志之しの 聡平そうへい



 俺はりんから差し出された手に自分の手を重ねる。壊さないように優しく軽く握手を交わす。凛のしなやかに伸びた指先に隠された、確かな頼もしさ。骨ばった硬さが伝わる。


それから、彼の顔を見る。気品とユーモアを感じる振る舞いと雰囲気。隠しきれない自信や野心が漏れ出したかのような満足げな表情。その上目遣いを自然と脳裏に焼き付けてしまった。

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