第10話

男の一言に対して、周囲は二言も三言もはしゃいだ声を返す。まるでアイドルとファンのようだ。




男はさっき放った一言から言葉を発さず、群れる集団を突っ立ったまま見下ろしている。



その伏せた先で見える長い睫毛が、居酒屋の安い照明の下でも美しく映え、男だけがこの空間から浮世離れしているように見えてしまう。




怠惰でやる気のない、今すぐにでも帰りたそうな男の視線が、不意に持ち上げられて、





「───、」




洋の姿をはっきりと捉えた。




大勢の中から隅っこで小さくなる洋を見つけ、男の瞳が、表情が、その時初めて変化する。



驚き、それから、思考停止、そうして、ふっと逸された視線は、周りに悟らせまいという隠蔽。




その男の動きが功を制したのか、洋と男の関係性を疑う者は誰一人いない。




洋は、不可解に早鐘を打つ心臓を誤魔化すように、カシスオレンジを口にする。冷たい液体が舌の上を滑っているのに味がしない。



ここまで薄かっただろうか。意識を抜いてしまえば、視線が勝手に男の方へ向いてしまいそうで、食べたくもない枝豆に手を伸ばす。




やはり、味がしない。




なんなら、皮を突き破った豆が勢いよく、隣の知らない茶髪の男の方へと飛んでしまう。





「あっ、ごめんなさい、」

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