第16話
師匠は男の家に乗り込んできたのだ。
この秩序のない街の、治安維持部隊に所属していた当時の師匠は、それはもうブルドーザーのような人だった。
僕を買った男は師匠に半殺しにさせられた挙句、何人か来ていた治安部隊の男たちにあっさりと表へ引きずられて行った。
あんなに苦しめられたのに、呆気なかった。
「あんた、あの男の息子か?」
今の今まで僕の存在に気づかなかったのだろう、ちょっと驚いた様子で師匠が尋ねてきた。
喉が枯れて声が出なかったので首を振る。
「そうかじゃあ、行くあては?」
また首を振ると、ううんと顎に手をあて考える素振りを見せた後「それなら、うちに連れて帰ろうかな」と驚くほど愉快に笑った。
”また誰かに飼われるのか”と気落ちする隙もないほど真っ白な宣言で、その日から師匠の家で世話になることになった。
何より師匠はなんにもできない人だった。強い人だけれど、生活力の面でいえば僕よりも下だな、と家に来てすぐに思った。
建屋はキノコのような丸っこい造形をしていた。
しかし、一歩屋内に入れば、服は散らかり、洗い物はそのまま、おそらく昨日に食べたであろう器がまだテーブルに並んでいた。
「今、汚い家だなって思ったろ」
いやそんなことは、と言おうかとも思ったが声が出ずに咳き込んでしまった。
「ほーん、知ってるか? 人は図星をつかれると咳き込むらしいぞ」と師匠がじろりと視線を寄越す。
「まあいいよ。この家は今日からお前の家でもある。なるべく快適に暮らせるように務めてくれ」
遠回しに、掃除はよろしく頼んだぞと言われているのだと思った。その後、名前を聞かれたが僕は覚えてないと答えた。
それから僕の名前は”ハチ”になった。
それは師匠がつけた名前だった。
思い返せばあの時、僕は嬉しかったのだと思う。
やっと僕の名前を聞いてくれる人に出会えたから、何より人間として向き合ってくれているのだと思えたから、ホントの名前よりもずっと気に入っている。
最初に師匠から教わったのは洗濯だった。
近くの泉で服を洗い、よく絞って、物干し竿へと引っ掛ける。
重ならないように、シワにならないように、丁寧に。
自分より大きなシーツを干すのは大変だった。
でも、真っ白の布が陽の光を浴びながら、パタパタとなびいている所を見るのが心地良かった。
僕はやっと人間の真似事が出来るようになった。
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