晩夏
夏。暑い心と爽やかな思い出。
そんなひと夏の思い出の話。
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高校2年の夏、ここが俺の人生最大の山場だったと思う。
一番頑張って、一番楽しんで、そして一番苦しんで、一番泣いた。
喜怒哀楽すべての感情がここに詰まっているだろう。
俺にはずっと好きな人がいた。幼馴染だ。
可愛くて、かっこよくて、時々笑った顔が太陽のように可愛い人。
ショートカットでさっぱりとした性格。たまに天然。
名前は朝木 渚(あさぎ なぎさ)。
渚と俺は幼稚園の頃から一緒だった。
小中高と全部一緒。周りからは仲良しを越してカップルでは、と噂されていた。
実際こんな事実はなかったが将来はそうなりたいと願っていた。
渚は運動神経が良く、小学校の頃から陸上部のエースだった。
短距離走では県内で賞を取り、敵は全国だと言われていた。
逆に俺は運動も勉強もからっきしダメで音楽が唯一の自身だった。
器楽声楽どちらもできるし打ち込みもできたから一人バンドができるのが自慢だ。
そしてそんな俺が唯一目立てる文化祭のバンド。
去年はビビって裏方に徹したが今年は自分で前に出る予定なのだ。
そして渚に告白する。そう決めていた。
妙な胸騒ぎがしたのはそんな2年生の夏のはじめだった。
5月。初夏。暑すぎず寒すぎずの季節。
渚は練習に打ち込み、俺は一人多目的室でpcをいじっている。
窓の外から野球部の掛け声がする。渚の方を見ると女子に囲まれてた。
さすがはイケメン。学校の王子様ポジの渚らしい姿に俺は少しの悔しさを感じる。
その悔しさを紛らわすようにpcとにらめっこを再開する。
見えているのは作曲ソフト。出来上がってる歌詞に音を乗せていく。
思うようにいかず、作って聴いてやり直しの繰り返し。
10月頭にある文化祭用の曲が作り終わらない。最後の一曲がどうしても。
頭を抱えて缶コーラを飲み干す。時間は5時45分。
そろそろ渚が来るだろう。部活が終わればすぐに来る。
”葵!長距離ベストタイムでた!”
ほれきた。着替えもろくにせず片付けを終えてすぐに来たのだろう。
速すぎる帰還。さすがは短距離選手と驚きを隠せない。
しかしわかっていても反応はできない。いいギターソロが落ちてきそうなのだ。
”葵〜!褒めてよ〜!ほらほら頭撫でるだけでいいからさ〜!”
待って、少し、あと少しでくるから...
"またパソコンにかじりついてさ...たまにはこっち向いてよ。"
あ、飛んでった。逃げた。吹っ飛んでった。俺のギターソロが渚にビビった。
急に力が抜ける。あと少しできそうだったのにという悲しみが来るが諦める。
”帰ろ、今日は葵の家で夕飯食べる日でしょ?”
そうだった、渚の両親が今日は忙しいので俺の家に来るのだった。
結局俺の部屋に泊まりになるのが落ちなので掃除してたな。よくやった過去の俺。
一緒に帰るとまわりからひそひそ話が聞こえる。
小中が同じやつはわかっているのだが違うやつからすれば異様な光景だろう。
クラスの人気者の渚と目立たない陰キャの俺が一緒に仲良く帰っているのだ。
話の内容は基本渚の部活の話。どんな練習をして、何があったか。
ずっとこのままが続いてほしいと思える時間だった。
そんな日々が続いていき7月になった。
インターハイやらコンクールやらが忙しくなる時期だ。渚は特にそうだ。
インターハイで渚の練習が多くなり、帰るのが遅くなっていった。
俺は待っている間に作曲に実物での練習、発声や音作りをしていた。
”ギターの音、漏れて聞こえていたよ。すごい良かった。”
たまにアンプを繋げて練習すると音が漏れて聞こえてしまうらしい。恥ずかしい。
しかし渚に褒めてもらえると嬉しい。
毎回甘えてくるくせにこういうとき急に褒めてくるから困惑する。
毎回笑いながら誤魔化しているが多分恥ずかしがっているのはバレてる。
しかしこれでいいのだ。このままの時間が流れてくれれば。
7月も終盤。夏休みに入った。俺は無事新曲を完成させ、練習に励んでいる。
渚は今日も練習。昼になったら弁当持っていってやらなくちゃ。
俺の家も渚の家も共働きなので俺が昼の弁当を作る。
栄養だの何だのはよくわかんないけど取り敢えず渚の好きなもの詰めた弁当。
一応入れときました程度の野菜が哀愁を誘う。
そんな弁当を持って暑い日差しを浴びながら学校へと足を運んだ。
学校へ近づくにつれ声が大きくなってくる。
運動部はこんな暑い中外で練習なのだから尊敬する。俺なら5分で病院送りだろう。
運動場に入ると木陰から声が聞こえる。
”あ、お弁当屋さん来た!”
早めに休みに入っていたのだろう。渚が手招きしている。
隣には彼女の友人もいた。確か同じクラスで、長距離のエース。
俺は会釈をしつつ渚に弁当を渡す。作ったばっかで熱いが大丈夫だろう。
中にハンバーグが入っているのを見るとすぐに万円の笑みになる。
”ハンバーグ入ってる!やった、私好きなんだよね〜。”
長距離の子に自慢しながらかぶりつく。
やはり腹が減っていたのだろう。相当つらいはずだ。
早く休憩に入ったなら呼んでくれればよかったのに。
”いやぁ、やっぱりいそがしいかなー、って。”
そこまで考えるなら急に俺の部屋に入ってくるのを辞めてほしいくらいだ。
取り敢えずやることを終えたので帰ろうとする。
”そうだ、今日帰り早いからさ、一緒帰ろ。ね?”
今日は暇だったし、楽器もメンテナンスに出さなきゃいけないのでちょうどいい。
近くの楽器屋にギターとベースを預けて学校へ戻る。
戻るとちょうど渚が走っていた。その姿は美しく、華麗で、輝いて見えた。
そんな姿に見惚れていると後輩たちの声が聞こえる。
渚さん、可愛いよな〜。告白したらOKしてくんないかな...
お前なんか眼中にないだろwww
あの顔とスタイルと性格ならもう恋人いるだろ。
いやワンチャンないかな...
そんな声が聞こえてくる。そしてその奥から女子の黄色い声援。
一人で走ってるからいいがもし並走している人がいたら心が折れまくるだろう。
ゴールした渚は女子たちの声援に軽く答える。まるで王子様のパレード。
そして俺の眼の前に来ると急に目を輝かせて手を振り始める。
後ろの女子が私に手を振ってくれたんだとキャーキャー騒ぐ。不協和音だ。
そんな時間を過ごしていると後ろから声がかかる。陸上部の顧問だ。
俺のことを渚の専属マネージャーだと言って笑ってくる豪快な先生。
多分骨の代わりに筋肉が入ってるってレベルでマッチョマン。少し怖い。
内容は熱中症に気をつけてくれとのこと。余った塩分タブレットを1つもらった。
今日はいつもより熱いということで少し早めに終わったらしい。渚が駆け寄る。
”ただいま!どうだった?どうだった?”
片付けを終えてすぐに来た。犬かと思うほどの懐っこさだ。
素直にかっこよかったと伝えると向日葵のような笑顔を向けてくる。
これが学校だと王子様として男女ともに人気者なのだ。にわかには信じがたい。
”葵もどう?たまには歌って弾いてってしてくれてもいいんだよ?”
俺はアイドルのようなもんじゃないし打ち込みのほうが楽だ。
実際できるに越したことはないが打ち込みの楽さは楽器を投げ捨てそうになる。
何度楽器を売ろうか迷ったことか...一回もなかったわ。
”ほら、今日は宿題やるんだから、葵の部屋に集合ね!”
勝手に俺の部屋に集合させるな。というか二人だけだろ。
そんなことを言い合いながら歩いていると後ろから気配がする。
足音。多分女子。明らかに音が軽い。振り向くとやはりそうだった。
少し背の低い細身の女の子。渚の知り合いだろうか。
女の子は少し驚いてから声を発した。
`先輩!好きです!一目惚れしました、付き合ってください!`
知り合いではなさそうだが渚関連だった。
多分名前も知らぬうちに告白してきたのだろう。
俺がいるときに告白とは...告白場所ぐらい考えてくれ。
”ごめんね、好きな人がいるんだ。だから君の告白には答えられないかな。”
きっぱりと言ったな。俺にもダメージが来た。耐えろ。俺。
”それにあなたと話したこと無いよね。友達からとか思わなかったの?”
きつい。彼女からしたら真っ当な話だが相手からしたら一生物の傷だろう。
`それは...先輩が走っているとこを見て...かっこよくて...`
ノリと勢いってやつだろう。流石に無理がある。
"それに私帰宅途中だし、まさかストーカー?名前だって知らないでしょ。”
まてまてまて、流石に行き過ぎだ。止めたほうが良いのか...
いや、他人の告白現場に水を指してはいけないな。
`いや、ストーカーとかじゃなくて、告白しようとしてもずっとその男と一緒で...`
俺のせいか。俺のせいなのか。少しイラッする。当たり前だろ。自分で呼べや。
今ここなのが問題であって渚も学校とかならまだ優しかっただろう。
`そもそも何なんですかその男。彼氏?まさか堂々といちゃついてた?`
段々とこちらの方にも矛先が向いてくる。ひどい言いがかりだ。
`そっか、先輩彼氏といちゃついてたんだ。顧問の先生に言っちゃお。`
なんて浅はかだ。ここまでのイかれ具合の人は初めて見た。
`確か陸上部って恋愛禁止なんですよね?しかも顧問の先生生活指導だし...`
脅しか。言われたくのきゃ付き合えと口には出さず雰囲気で出して脅してるのか。
確かに顧問の先生は怖いし陸上部は異性間の交友は禁止だ。
しかし行き過ぎたものだけで高校生らしい恋愛は許してくれるし先生も優しい。
”そもそも私達付き合ってないし先生はこの関係知ってるよ?”
そう。そもそも付き合っていない。心に涙を押さえつけ自分に言い聞かせる。
`嘘つかなくてもいいんですよ先輩。まぁ先生には言っておくんで、それじゃ。`
嵐のように過ぎていった。多分先生に言っても笑い飛ばされるだけだろう。
お互いの家についた頃にはもう4時近く。買い物に行ってこなければ。
夕飯用の野菜に無くなりそうだった牛乳や明日の朝用に鮭なども買わないと。
帰ると部屋には渚が一人。勉強してたらしい。机の上には国語の参考書。
”あ、おかえり〜。宿題の量が多すぎるよ...”
困ったように話しているがある程度進んでいるようだ。
俺はpcの前に座るとヘッドホンを付けた。今日はボーカルの作成予定だ。
”今日どれやるの?ドラム?ピアノ?”
キーボードを叩きながら試行錯誤する。雑な高音を削る。歌いづらいだけだ。
ロングトーンをすこし揺らす。か細くならないように慎重に。
”...ヘッドフォンつけると時間と人の声に気付かない癖、やめたほうがいいよ?”
時計を見る。5時。そろそろ料理を始めなくては。
弁当用のハンバーグの残りとサラダを食卓に並べる。
味噌汁をぱっと作ってしまい、渚の前に出す。
”いただきます!”
この調子だとすぐにおかわりが来るだろう。
”おかわり!”
来た。一瞬で無くなったな。さすが運動部。これで痩せているのだからすごい。
普通の運動部はこれくらい食うのだろうか。全国の母親に聞いてみたい。
”ごちそうさまでした!行ってきます!”
食い終わるのも早いな。そして夜のランニングに行くのも早い。
多分30分くらい走ってくるんだろう。努力家だ。
俺もせめて追いつかなきゃ。別のでいい。別のものでいいから。
何かで、光らなきゃ。
8月になると練習は厳しくなっていった。
暑い太陽も何のその。渚は新記録を取ろうと頑張っていた。
しかしどこか疲れたような、空元気のような雰囲気があった。
暑さで熱中症になりかけてるのかとも思った。
しかし夕食の時の食べる速さや量もいつもより控えめなのだ。
ダイエットや減量かとも思ったが渚はそんな事考えないしいらないだろう。
どうしたのか聞いてみてもはぐらかされるだけだった。
”暑さであんま元気でなくてさ...あはは。”
その声に元気はなかった。
言いたくないのなら無理やり聞くのは野暮だろうと思い深煎りはしなかった。
一応暑さ対策にスポドリや冷えピタ、ハンディファンを持たせて入るものの不安だ。
今日も学校に弁当を届けに行くと顧問の先生が話しかけに来た。
最近渚の調子が悪いらしい、普段の生活を聞かれた。やはり暑さにやられたか。
たまに休みを取らせてくれ、とのこと。
取り敢えず先生や渚と話をして明日は一日休みにしてもらった。
久しぶりの休みに渚は喜んでいたが少し不安そうだった。
本番近くに一日休み。本人の不安は計り知れないものだろう。
渚はエースとして重いものを背負っているのだからなおさらだ。
”ねぇ、今日せっかく休みなんだしなんか弾いてよ。”
王子様の名なら仕方ない。久しぶりに鍵盤を引っ張り出してコードを挿す。
軽く音量調整をし、弾き始める。
久しぶりといっても毎日触ってはいたのでそこまで落ちてはいない。
音楽1日サボれば戻すのに3日はかかる。毎日触れば少しずつうまくなる。
全ては積み重ねなのだ。たまに来る高音に対応していく。
渚が好きだと言っていたのでに似たコードを入れようと思っていた曲。
結局使わなかった。俺には扱うのが難しかった。もっと勉強しなきゃ。
引き終えると小さな拍手が一つ。渚だった。
"いいじゃん、かっこいい。"
その小さなライブはまる一日行われた。
8月終盤。今日は花火大会。
渚と一緒に遊びに来た彼女は浴衣姿で俺は普段通りの服装。
浴衣の渚がまたかわいいんだ。
俺がいるからナンパされないけど一人なら声かけられまくりだったろう。
屋台を回ったあとに少し離れた丘の上に行く。
俺と渚の想い出の場所だ。ここでずっと2人で仲良く遊んでいた。
"...私、言わなきゃいけないことがあるんだ。"
急な重苦しい雰囲気に少し不安を覚える。
最近元気がなかった件だろうか。それとも他になにかあったのだろうか。
今までずっと一緒だったがここまで神妙な顔をした渚は初めて見た。
”私ね、次の大会で引退するんだ。”
静寂。何も言えない。理由を聞くなんてことできなかった。
”多分葵は優しいから私から言わないと理由も聞かないんだろうね。”
見透かされてる。まぁそうか。
”体が、限界なんだって。今までの披露とか、怪我が蓄積してってさ。”
なんとかならないのか。陸上は渚の人生だろう。
”前に膝壊しちゃったじゃん?それが再発しそうで、前よりひどいらしいんだよね”
治せないのか?せめてなにか別の競技で...
”今も走るのを抑えてねって言われてる。全力はインターハイで最後。”
ほんとに選手人生終わりなのか?嘘だろ?頑張ってきたんだろう?
”次治っても後遺症とか、再発の可能性は高いって。”
いつから知ってたんだろう。多分8月はじめだろう。
”...私さ、今まで頑張ってこれたの葵のおかげなんだ。”
そんなこと無い、自分自身の頑張りだ。だから簡単に諦めないでくれよ。
”ずっとお弁当とか作ってくれてさ。応援にも来てくれて。すごい嬉しかったんだ。”
やめてくれ、終わりみたいじゃないか。死んでしまうみたいじゃないか。
”私の両親が忙しくて、代わりに家事とかしてくれて。”
待ってくれ、諦めないでくれ。
”でもね、一番頑張れた理由はちっちゃい頃に葵とした約束だったんだ。”
覚えてないや、何だっけ。そんな事する暇なんて無いのに思い出そうとしてしまう。
”いつか2人ですっごいおとなになって、結婚しようねって。”
ああ、そんなことした記憶があるな。もう追いつけない差ができちゃったけど。
”葵が好きだったからさ、辛いときも頑張れたんだ。”
わかった、わかったからその涙を止めてくれ。辛そうな笑顔をやめてくれ。
”あとちょっとだけどさ、頑張るから。応援してほしいな。”
あとちょっとなんて言わないでこのままでいさせてくれよ。諦めないでくれよ。
”...もし歩けなくなったら、そのときはよろしくね!”
笑いながら言わないでよ。泣いてるじゃん。無理しないでくれよ...
結局あのあと、2人して泣いて帰って
渚の足はどうにもならなくて
ついにインターハイが来た
結果は優勝。全国出場。
その代わり、一生走れなくなった。
渚は家から出てこなくなって
精神科医から鬱と診断された。
9月。学校が始まり、文化祭屋台臭いの準備が始まった。
俺はバンドの練習をしつつ、急いで新しい曲を仕上げている。
どうにか作り上げなきゃ。渚を助ける、渚のための曲を。
10月。文化祭前日。
渚の友人や顧問の先生から口々に応援の言葉がかかる。
渚が自慢して回っていたらしい。俺はここまで渚に助けられていたのか。
明日は朝から晩まで頑張らなきゃ。渚が、来れるといいな。
文化祭当日。
渚は来なかった。いや、これなかった。
残る暑さと人の波がどうしても無理だと怖がっていた。
歩けなくなってからは部屋からも出ていないし顔も見せないらしい。
急に泣き声が聞こえたり死にたいという声は日常茶飯事だと渚の母さんから聞いた。
部屋には何もおいてないらしい。すぐに自傷行為をしてしまうからとのこと。
せめて渚を、楽しませてあげたい。少しでも気を紛らわしたい。
バンドは午後から、おれが最後らしい。
そこまでに渚がいてくれれば。お願いだ。
神様に願う。普段は信用してないが今だけは助けてほしい。
お願いだ。
不安にまみれた文化祭が始まった。
練習していても不安になるだけなのであるきまわってみる。
自分のクラスに行くと誰にも気づかれなかった。悲しい。
俺のクラスはレトロカフェ。クラシックタイプのメイドさんが3人ほど。
裏に行き料理を仕上げる。普段からやってることだ。なんてことはない。
しかし最近はここまで凝ったものは作っていなかった。
渚に喜んでもらいたくて頑張っていたのだ。ふと思い出して泣きそうになる。
我慢だ、我慢。ここで泣いたらステージが決まらない。
午後にもなるとステージでのパフォーマンスが始まる。
渚は来ていない。俺の出番は3時から。現在1時半。やはり無理だったか...
2時。緊張と願望で心が壊れ始める。チョコを食べたが味を感じられない。
緊張がピークに達している。手は震え、声は出ず、水は喉を通らない。
渚はわからない。来てくれなければどんなにいい演奏をしたって俺の負けだ。
2時半。準備が始まる。
見てくれだけでもとすべての楽器を出し、すべて一人で使うと決めている。
準備には時間がかかる。余裕はあるが最後のパーツがまだ来てないのが気がかりだ。
2時45分。コードの設置やアンプの位置に苦戦している。
どうしてもここらへんのことは自分でやりたかったので一人悪戦苦闘している。
渚は来ない。そろそろ諦めたほうが良いのだろうか。
2時55分。あとは軽く発声をしてステージイン。のど飴を噛んで割り、飲み込む。
渚はもう諦めた。無理につれてくるものでもない。せめて来年は、来てほしいな。
3時。立つ前に流しだされる俺自作動画。我ながら痛い。
渚は来ていない。そう思ったとき。体育館の扉が開く。
来てくれた。やせ細って、目に光のない渚。
可愛さはなくなり、悲壮感が漂う。重い空気を帯びている。
俺が今日、少しでも変えるんだ。
普段から歌っていた曲や新曲を歌い、鳴らし、魅せる。
周りの熱は上がりきっている。当たり前だ、そうなるよう曲の流れを仕上げている。
しかし1人、まだ冷たいままのやつがいる。渚だ。
人を怖がり、絶望に溺れ、冷たくなってしまった渚の心を、情熱を、命を。
俺の音楽で、熱くするんだ。
ギターを置き、鍵盤を前に出す。
周りの熱狂を冷ますように、しかし渚にだけは熱く届くように。
俺は話し始める。
’俺はずっと一緒だった人がいた。’
思い出を燃料に
’幼稚園の頃から仲良しで、足の早いアイツ。’
名前は出さない。
’俺と彼女はお互いの夢を掲げ、未来に希望を持っていた。’
小さい頃の思い出。はっきり思い出した。
’俺はそんな彼女が大好きで、あこがれで、いつでも助けてくれるヒーローだった。’
次は俺が渚を助けるんだ。
’でもある日、ちょっとしたことで全部が崩れることがわかって’
今でも泣きそうになる。
’自分の世界が全部なくなるって。’
でも渚はもっと辛かった。
’俺にはまだその気持ちはわからん、世界に1人だけ残されるような気持ちなのかな。’
絶望しかない世界。
’でもそれを誰にも言えなくて。俺だって聞いたときショックだった。’
好きなやつが、大泣きして辛い顔を見て気持ちのいいやつはいない。
’最後までやりきってさ、でも次のステージに立てなくて。一生できなくなって。’
眼の前のない世界。
’ついに部屋からも出れなくなって。当たり前だよな、自分がなくなるんだから。’
自分の世界=自分。世界がなくなれば自分もなくなる。
’でも今日、頑張ってきてくれてんだ。’
前が見えない、死にたいという気持ちに支配されてる中来てくれた。
’だから今から歌う曲は、そんな彼女に送りたい。’
ギザなセリフ、しかし人ひとり熱くさせるならこのぐらいしなければ。
’失った思い出と新しい世界といっしょに。’
渚の方を向き、最後の言葉を放つ。
’最後の曲。聞いて下さい。「渚と夜明け」’
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ピアノの音が鳴り響く。
渚が好きだったコードも入れて流れる。
思い出も、新しい世界への道も、この曲に込める。
最後。渚のように明るく、優しく、美しく。しかしどこか親しみやすく。
終演。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
渚は泣いていた。
ずっとずっと、泣いて泣いて泣いて。
俺のことを見て少しは感動して、泣いてくれてたんだって思った。
でも違った。
現実は残酷で、非情で、冷酷だった。
帰ってすぐ、渚の家から電話が来た。
渚が自殺未遂で病院に行ったそうだ。
大騒ぎして自分自身を殴っていたところ、近くの家から通報が入ったらしい。
スマホのメモには遺書のようなものが書かれていたらしい。
______________________________________
背景、現世の皆様へ。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
もう何もかも嫌になっちゃった。生きてる意味も何もかもなくなっちゃった。
私を支えるためにずっと仕事頑張ってきてくれて。すっごい大変だったはず。
ずっとずっと、私のために頑張ってくれて本当にありがとう。
そして、先に死を選んでしまって本当にごめんなさい。
葵にも言いたいこといっぱいあるんだ。
葵の演奏が最後に聞けてよかった。
すごくかっこよくて、最後なんて私のために曲作ってきたとか言って。
大好きだって言ってくれてすごい嬉しくて。夢みたいなライブで。
でも葵がもう追いつけないところまで行っちゃって辛くなってきちゃった。
もう自分には何もなくて、葵の隣にいる価値なんてなくって。
無能感とか、劣等感とか、現実を押し付けられたような気がして。
全部全部自分のせいで、何も頑張れなくて、寝てばっかで、自分が嫌になって。
死にたくて、投げ出したくて、生きる意味がなくなって。
全部全部全部、嫌で嫌で嫌で。
苦しい、辛い、泣きたい、死にたい。
もうずっと暗い感情ばっかで。
だからもう死んじゃおうって思うんだ。
包丁とか、カッターとか、縄とか、炭とか。
そんなものはなにもないんだけど、人には腕ってものがあるから。
...両親より長くなっちゃった。ほんと私って何もできないんだなって。
だから、他にも言いたいこととか話したい人はいるけど。
私は先に死んで、地獄があるかどうか確かめてきます。
愛してるよ。お父さん、お母さん、葵。
20██年 10月22日 朝木 渚。
______________________________________
俺は泣いた。
急いで病院へ行くと渚は意識不明の寝たきり状態だった。
床に頭を打ち付けていたらしい、いつ起きるかはわからないとのこと。
俺はすべての行動を悔いた。
俺がライブに誘わなければ、という小さな出来事をずっとずっと悔いた。
俺はひとしきり泣いたあとに決めた。
一生渚の面倒を見る、と。
起きたときに少しでもいい寝覚めができるように。
何があっても守れるように。
今までの悔やんでいることを、ここでもう一度やり直すために。
生きているのだから希望を捨ててはならない。
起きるのがいつになろうと、ずっとここにいる。
何を言われようと、何をされようと、俺はすべてを渚に注ぎ込む。
そう決めた、夏の終わりだった。
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そこから何度目の夏だろう。
毎日通って、たまにピアノを持ってって、毎日世話をして。
大学生になった。今日は花火大会。君がすべてを話してくれた日。
病院の窓から花火が咲き誇る。君のように、華麗に美しく。
また君が話してくれるのを俺は待っている。ずっと、ずっと。
そして起きてきたら、全部謝って、そして最後にこういうんだ。
’どんなあなたでも、愛しています。’
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