第19話◇夢見る青年◇

「今日はありがとう。」

 瑠璃子はタクシーの中の木村に礼を言った。

「連絡お待ちしております。」

 木村は座席に落ちたパンフレットを窓を開けて瑠璃子に渡した。突然の出来事に戸惑い、瑠璃子は遠ざかるタクシーのテールランプが見えなくなっても残像を追いかけて暫く見ていた。

「なんなの?これ?還暦なのに。」

 瑠璃子は、冷たい秋の夜風に吹かれ、満月に近い白く輝く月を見つめて駐車場に立ちつくしていた。店の前を人が通り過ぎたので我に返り店の中に入った。店に入ると、すぐさま事務所へ行って、カレンダーに書かれた予を定表見た。十月二十一日、日曜日漢方研究会東京と書れていた。木村は食事をした後、タクシーの中で毎回のように東京へ来る予定はないのかと聞いた。会が終わって飛行機の時間まで会うというのは、結構スケジュールがタイトで疲れる。社交辞令だと思っていたので、はっきりとは答えていなかった。しかし、今回は返事をしないわけにはいかなくなった。

 その夜瑠璃子は高ぶった気持ちを抑える為に風呂に入ると長く湯船につかって、浴室の窓から見える白い月を眺めていた。夫正夫が心筋梗塞で急死してから十二年、その時四十八歳だった瑠璃子は男性との交際がないわけではなかった。しかし、還暦間近の今は全くそういう気にならないのだ。一人での店の経営も大変立ったので、恋愛をしようと言うエネルギーが湧いてこないのだ。十二年前は、実母房子も存命で介護もしていたので今の方が楽なはずだ。それなのに、今の生活以外、趣味にしろ、恋愛にしろ、生活に必要ない事をするのが面倒なのだ。それが還暦という事なのだろうか。四十年来の友達が還暦で仕事を止めた時に言っていた。「還暦が定年なのには意味がある。しんどい。」

木村との関係がこの先どういう方向に向いていくかわからない。木村は少年が虫を捕まえた時のように喜んでその喜びを瑠璃子に伝えたいだけなのかもしれない。十二も年下の若い男の言動に過剰反応するのはいかがなものかと思った。そんな事を考えていると良いも回っていたのか、いつの間にか湯船でうとうとしていた。

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